第1章 第2話 煽り
「お勤めご苦労だったな、小澤」
「いえ、アニキのため……何より組のためっすから。ムショに入る程度何ともありません」
組員でも滅多に入れない組長の自室。庭が覗ける大きな和室に入ってきたのは30代半ばほどの坊主の男。彼が今日まで刑務所に服役していた組員、小澤忠太だ。
なんでも7年前。鎧波組とある組が険悪な関係になっていた時、当時の若頭がその組の若頭を銃で撃ったらしい。幸いにも命に別状はなかったが、表沙汰になることは避けられなかった。そして当時の若頭の身代わりとして出頭したのがこの小澤という男。それから今日まで7年間、無実の罪で服役していたというわけだ。
にしてもこの人……顔が怖い。なんか体格いいし顔に傷あるし……うわ小指がない。そういえば元々はこの人が相手組織に絡んだせいで関係が悪くなったんだったか。そう思えば自業自得……そもそもヤクザなんかやってるのが悪いといえば悪い。無実とは言ったものの、善人ではないことは明らかだ。
「これは慰労金だ。少ないが受け取ってくれ」
そう言ってやたら分厚い紙袋を手渡したのは、鎧波組組長、鎧波雄大。小澤も正直関わりたくないくらい怖いが、この人もまた異質な怖さをしている。もう60も後半だというのに視線は鋭く、恰幅もいい。和服に身を包んだその姿は5年前の俺が見てもヤクザの親玉だと認識していただろう。
「オヤジ……ありがとうございます」
遠慮なく差し出された紙袋を受け取る小澤。厚みからいって500万は確実に超えている。そりゃ7年間も服役させたんだからそれくらい当然と言えば当然だけど……そんな大金ポンと払えるほど組に余裕あるわけじゃないんだよな。さすがメンツだけで生きている男は違う。
「オヤジ、実はムショにいる間にツテができまして。クスリの売買で捕まった奴なんですが、安く仕入れられそうです。いただいた金で新しいシノギを……」
「悪いがうちはもうクスリはやってねぇんだ。どうしてもってんなら後ろのに言ってくれ」
組長が小澤の後ろに立つ俺と結愛を顎で指す。答えはわかりきっているだろうに。
「……もしかしてお嬢ですか? ずいぶん綺麗になって……この間まであんなちっちゃかったのに……」
「はぁどうも……」
組長に背を向けた小澤が俺の隣にいる結愛に頭を下げる。だが当の結愛はどうにも反応が薄い。まぁ7年間会ってない人なんて覚えてないよな。それにクスリ……麻薬売買。そういう一般人に迷惑をかける行為は結愛が一番嫌いなことだ。まぁもちろん、俺もだが。
「それで隣にいるのは……」
そして小澤の視線が俺へと移る。相手は平然とクスリに手を付けようとしているクズだ。だとしたら遠慮はいらないな。
「どうも。若頭の葛城光輝です」
「……は?」
毎度のことだが強面の男がぽかんと口を開ける姿は少し滑稽だ。俺の立場を知った大人はたいてい理解できずにこういう反応を取る。それも当然、若頭は若とは付くものの必ずしも若い奴が就くポジションではない。むしろ40代、50代が平均だろう。それなのにこんな若い奴が……それも15の子どもが就いているんだ。何かの冗談に聞こえたはずだ。
「オヤジ……これはどういうことですか? アニキはどこに……新しく組を興したんですか?」
「当時の若頭だったら俺が潰しましたよ。今頃は真っ当に働いてるんじゃないかな」
組長の代わりに俺が答える。ついでに教えておこう。7年前とは変わった、今の鎧波組を。
「当時の幹部連中は全員追い出しました。どいつもこいつも揃いも揃ってクズばかり。暴力上等クスリにも手を出す、自分たちのためなら平気で他人を傷つける最低な連中でしたから。今はかなりクリーンな組織です。警察に目を付けられることも少なくなりましたよ」
俺が組に入った当時。鎧波組はいかにもな暴力団だった。この人が服役することになった出来事が特別珍しくなかったほどに、暴力と争いで満ちていた。そしてそれを気に入らなかったのが、組長の娘の結愛。彼女に買われた俺は、当然結愛の望み通りに動くことになった。
「当時鎧波組は結構追い詰められてたでしょ? 増えるばかりの上納金に、減ってくばかりの稼ぎ。相当危ない橋を渡らなければ組を維持することもできない。舐められれば終わりのヤクザ稼業。幹部自らが抗争を起こすほどだった」
暴力団の組織図は、一般的な会社と同じだ。まず一番上の親組織があり、その下にいくつもの組があり、さらにその下に多くの組がある。いわゆる親会社、子会社と認識的には相違ない。うちはトップの一つ下、二次団体だから立場は悪くなかったが、弱体化した組織は乗っ取られて滅ぼされるもの。俺が入った当時、まさに組は崩壊の危機に瀕していた。それを何とかしたのが俺……ひいては俺を飼っている結愛なわけだが、今はその話はいいだろう。ずいぶん小澤の顔つきが怖くなってきた。
「おいクソガキ……! 誰に向かって偉そうな口を利いて……」
「口の利き方を弁えるのはてめぇだろうが」
精一杯声を低くし、凄んでみせる。こういうのは苦手だし嫌いだけど、ヤクザ同士の口喧嘩だ。舐められるわけにはいかない。使いたくないものだって使ってみせるさ。
「偉そうじゃなくて偉いんだよ。若頭なんでね。組長、こいつの役職は?」
「……まだ考えている最中だが。若頭補佐を考えている」
「俺のヤクザ歴より長く服役してたのに俺の下。それがあんたの実力だよ」
「なんだと……!?」
幹部の身代わりとして出頭した者には、その見返りとして相応の役職が用意されるもの。組長が口にした若頭補佐も相当高い役職ではある。いずれ若頭に選ばれる可能性のある、未来あるポジション。しかし現時点では俺の下だ。見ず知らずのガキの補佐。いきなり受け入れられるわけがない。でもこれが今の鎧波組だ。
「いいですか? うちの今のシノギは同じヤクザを食い物にすることです。敵対組織の力は削げるし、被害に遭ったからって警察に助けを求めることもできない。おかげで今の鎧波組は昔よりかなりいい立場にありますよ」
「……でもんなことしたら結託されて潰されて……」
「そうですね、敵はずいぶん多いです。うちを憎んでる組織は過去の比じゃない。追い出した連中も別の組織で俺に復讐しようとしてますしね。でもカタギに迷惑をかけない、それが今の鎧波組の方針です。俺が若頭でいる限りそれが変わることはない」
さてと……餌は撒いた。後はもう一煽りするだけだな。
「俺が気に入らないなら潰せばいい。7年前みたいにな。そうすれば今度こそ若頭になれるんじゃないですか? 次出てこれるのは何年後か知らないけど」
答えは聞くまでもない。突然現れた生意気な子どもが偉そうなことを言って、受け入れられるような人種ではないことは嫌というほどわかっている。でもその度に、潰してきた。今回も同じだ。
「……俺は認めねぇからな」
負け惜しみのようにそれだけ言うと、小澤は俺を一睨みして部屋を出ていく。……にしても迫力すごいな。こればっかりはいつまで経っても慣れない。
「……ずいぶんと煽るな。組のために罪を被った彼を無碍にしたら組員からの反発を招くぞ。それが任侠ってやつだ」
「だから退けないんでしょ。向こうにもプライドがあるように、俺にもプライドがある。あんたらの言う任侠に背こうが、何も悪くないカタギに迷惑をかけるような昔ながらのやり方は俺は絶対に認めない。まぁ役職なんてどうでもいいんで。あの人を若頭にしたいならそうしてください」
たしなめてきた組長にそう答え、俺も部屋を出る。素直に俺のやり方に従ってくれるようなら温かく迎え入れたが、そうでないのなら仕方がない。
「始めるか。どちらかが潰れるまでの戦争を」




