第4章 第3話 捕食
「おいおい……ずいぶんなメンツが集まってんじゃねぇかぁ」
論馬組事務所の一室。代紋と組の名前の掛け軸が飾られた部屋に通されると、そこには組員と思われる男が小指を詰めようとしている姿を退屈そうに眺めている若頭の蜘蛛道海斗がいた。
「『鏖殺の皆川』。『冥土の高城』。そして『餓鬼の葛城』……鎧波組のトップ3が何の用だぁ?」
エンコ詰めから興味を移した蜘蛛道が楽しそうに近づくとソファに腰かける。いつの間にか舞に変な異名が付いてるな……そして俺にも……ん?
「俺のだけただの蔑称じゃないか?」
「ははっ、そっちのガキじゃねぇよ。六道輪廻に餓鬼道ってあるだろぉ? そこに蠢く亡者のことだ。なんでも食っても食っても満たされないひどい飢餓状態にあるらしい」
俺たちに対面のソファに座るよう手を振り、蜘蛛道は笑う。
「俺がこの通り名を付けたんだ。若頭になっても満たされず余計なことにばっかり首を突っ込むお前にぴったりだろぉ、葛城ぃ? 5000万の小遣いじゃたりなかったかぁ?」
「俺を嵌められたことがそんなにうれしかったか? 残念だけど悪手だよ。おかげでお前は起こしちゃならない奴を目覚めさせちまった。今日の相手は俺じゃない。紹介するよ、鎧波組のお嬢だ」
「鎧波結愛です。私の飼い犬がずいぶん世話になったようで」
「そう怖い顔するなよぉお嬢ちゃん。葛城を刺したのは玄葉組の人間なんだろぉ? うちとは一切関係ない。むしろ仲良くしたい相手がやられてこっちも怒り心頭だぁ。いっそのこと俺が殺してやってもいいんだぜぇ?」
「どの口が……! 龍華には手出しさせない……!」
「落ち着けお嬢。この始末はお嬢がつけるんだろ? ということで論馬組は手出し無用だ」
暗にこれ以上文句つけるなら龍華を傷つけると言われ、結愛の怒りが沸騰する。結愛のポテンシャルは鎧波組の誰もが認めるほどだが、正直まだ歴戦のヤクザと対峙するには経験が足りなすぎる。俺が上手くサポートしなければ、最悪鎧波組が潰されかねない。
「まぁとりあえずよぉ今から飯を食おうと思ってたんだ。一緒にどうだぁ?」
「ひぃっ!?」
部屋の扉が開き運ばれたものを見ると、舞が小さく悲鳴を上げる。カニだ……舞の唯一の弱点が持ち込まれた。
「舞……」
「だ……大丈夫です……。あの日……舞のせいで若様を傷つけてしまいました……もう二度と失態は演じません……!」
ふるふると震えながらもそう意気込む舞。だが蜘蛛道がカニを持ち上げた瞬間。
「生きているのは話が違います……!」
カニの足が動き出し、舞は白目を剥いてカニのように泡を吹きながら倒れてしまった。
「おいおいカニが苦手だって話マジなのかよぉ。だとしたら悪いことをしたなぁ、そんなふざけた報告をしてきた奴の指を切り落としちまった」
敵組織の人間に囲まれながらピクピクと痙攣することしかできない舞……クソ、この弱点が晒されたのは痛すぎる。苦手なものを前にがんばろうとしてくれた舞を責めることはできないが、本当に勘弁してほしい。
「わざわざこれを確かめるためにカニを買ったのか?」
「いやぁ普通にカニが好きなだけだ。葛城はどうだぁ? アレルギーとかあるかぁ?」
「……貧乏だから食ったことない」
「だったら人生の半分は損してるなぁ。キャバクラでロクな歓迎ができなかった詫びだ。俺が捌いてやるよぉ」
蜘蛛道がカニをテーブルに逆さまに置くと、ドスでその腹を突き刺した。
「ひっ……」
瞬間カニの多足が激しく暴れ出す。だが蜘蛛道は気にせずその割れ目から内側に折りたたむと、今まで動いていた足がピクリとも動かなくなる。絶命した証拠だ。
「な……んで……そんな……ひどいやり方で……」
「あぁお嬢ちゃんには刺激が強すぎたかぁ? まぁ奪われる側は死に様すら選べねぇってこった。死にたくなかったらこのカニは俺を殺すべきだった。でもできなかった。だから殺された。人と人だって同じさ。この世界にいるのにこんな常識も知らなかったかぁ? ずいぶん甘やかされて育ったんだなぁ」
カニの足が根元から刈り取られ、体液が滴り臓器が晒される。確かにあんまり綺麗なものではない。結愛が怯えるのも無理はないだろう。
「言っとくがこいつは俺の趣味ってわけじゃねぇ。正式な捌き方だ。つまり人間は喰うためならどこまでだって残酷になれるってこった。なぁ葛城。お前ならわかるだろぉ?」
「ああ。家に食べ物がなくて湧いてきた虫を食べることだってあったからな」
蜘蛛道が慣れた手つきでドスを使い足を解体していく。
「特に邪魔な蜘蛛を喰らうのは得意だった。お嬢に見せてやるよ。小さな巣を作っていい気になった蜘蛛が地に這いつくばる姿を」
「……ガキが調子乗ってんじゃねぇぞ」
だが思わず力が入ってしまったのか。ドスがカニを貫通してテーブルに突き刺さる。ずいぶん簡単に挑発に乗ってくれたもんだ。
「……俺がカニを好きな理由は味だけじゃねぇ。硬い甲羅を徐々に剥いでいくこの感触も好きなんだ。わかってんだろうな葛城ぃ」
「よく切れる道具を使えばそりゃ楽だろうさ。だが俺の舞は素手でカニを捌ける。格が違うんだよお前なんかとは」
キャバクラでは不調から後れを取ったが、体調が回復した今口喧嘩でなら負けるつもりはない。蜘蛛道が俺を睨みながら氷が入ったボウルに足を投げ込む。
「五分もすりゃ食べごろだ。それまで話でもしようや。俺に何の用があってここに来た?」
「……自意識過剰ね。いつあなたと話すために来たなんて言ったかしら。私が話したい相手はあなたなんかじゃないわ」
結愛がスマホのGPSアプリを開いてみせる。表示された位置はここだが、指し示す相手は結愛自身ではない。
「ここにいるんでしょう? 龍華。無断で私のもとから消えた弁明を聞いてあげるわ」
「……わざわざ言う必要もないでしょう」
入口とは別の扉から、パンツスーツを纏った龍華が歩いてくる。
「人が離れる理由は一つ。あなたが嫌いだからですよ。世間知らずのお嬢様」
その瞳は冷たく、そして辛そうに揺れていた。




