第4章 第0話 助け
「助けて光輝が死んじゃう!」
遠ざかる意識の中。夜煌の悲鳴が聞こえる。
「さっきからずっとまともに息ができてなくて……あたしじゃ何もできなくて……お願い何とかしてよ!」
「……無理ね。私にもどうすることもできないわ。ただ見守ることしか……」
この声を聞き違えるはずがない。結愛だ。結愛が助けに来てくれたんだ。でも……俺には何も……。
「若しゃまっ♡ しゅきっ♡ だいしゅきですっ♡ わかしゃま~~~~♡♡♡♡」
盃と言う名のキスを交わした直後の興奮した舞を止めることはできないでいた。
「もう五分以上無理矢理キスされてるんだよ!? 光輝ピクピク痙攣しちゃってるんだけど!」
「でも舞は基本的に光輝の言うことしか聞かないし……。舞、私の声聞こえてる? ……ほら、この通り。まぁ舞の尋問の技術をもってすれば死なないギリギリのラインを攻めることくらいできるわよ」
「それって半殺しでしょ! 弟が半殺しの目に遭う姿なんて見てられない!」
「そうね……仕方ないわ。あまり人の多いところで見せたくはないのだけれど……必殺技を使いましょう。ほら舞、これ見て」
「ぎゃあカニ! 舞カニ苦手です!」
「た……助かった……」
俺の身体に覆いかぶさっていた舞の身体が飛び跳ねて解放された。その代わりに視界にはスマホにカニの写真を表示した結愛が。この弱点を知っているのは俺と結愛、それともしもの時のために教えた龍華の三人だけ。カニの姿を見ると舞はいくら興奮していても一気に平静に戻るのだ。
「姉さんまだあのトラウマ抱えてるんだかわいそう……。幼稚園生の頃会食に出てきたカニの殻を手で割って食べてたら他の参加者にドン引きされてすごいパパに怒られたんだよね……」
そんなことがあったのか……頑なに理由を教えてくれなかったから初めて知った。にしても参ったな……この弱点は正真正銘の弱点だ。喧嘩相手がカニを持っていたらその時点で舞は戦闘不能……生きていたら下手すると失神しかねない。そんな弱点を晒してしまった。
今ここにいるのは誘拐されていた俺、舞、夜煌、雪。倒れながらも意識を取り戻しつつある論馬組の連中と高城一郎。迎えに来てくれた結愛、龍華。そして鎧波組若頭補佐にして傘下組織戸川組組長、戸川良哉。こんな大人数の前に晒していい弱点ではない。
「光輝、お姉さんと仲直りできたのね」
どう口封じしようかと考えていると、心底うれしそうな顔をした結愛が俺の手を握ってきた。
「おめでとう。あなたはカタギの世界に戻りなさい。少し……ううん、かなり寂しいけど……ご家族と幸せにね」
「そういうわけにはいかないでしょうお嬢。……まだ俺はお前を助け出せてない。俺がヤクザを辞める時はお前を真っ当な人生に戻した後だ」
俺からしたら当然の回答。そして結愛も内心ではその答えが返ってくると思っていたのだろう。少し申し訳なさそうに目を伏せて笑う。
「……ごめんね。気にしなくていいよとか言ってあげられなくて。これからもよろしく」
「元々夜煌と仲良かったわけじゃないしな。それに今も仲良しって感じじゃないし」
「そうそう。あたしにもやるべきことがあるからね」
夜煌が床に落ちていた封筒を拾って返り血を拭う。論馬組の若頭補佐が用意した、俺たちの両親についての資料というやつだ。
「これがどこまで本物かわからないし、下手したらあいつらの罠かもしれない。だからあたしが調べとくよ。あたしたちを捨てたあいつらに復讐してやる」
「……お前が率いてるネオンって半グレグループ。これから悪事を働かないって誓うなら鎧波組が面倒見てやってもいい。蜘蛛道に反抗した以上このままケツ持ちをやってもらうわけにもいかないだろ」
「悪いけどもう誰かの下に着くのは御免なんだ。それに率いてるって言ってもただリーダー格っぽい扱いになってるってだけで、半グレってのは基本的に自由集団だから。その誘いには乗れないよ」
「……だよな。でも……もしよかったら今度うちに遊びに来てくれ。歓迎するから」
「……考えとく。じゃあまた……学校で」
「ああ……またな」
小さく手を振りながら夜煌が雪を連れて去っていく。まさか夜煌とこんな風に普通に話せる日が来るなんてな……しかも自分がこんなに落ち着いているなんて。あ、そういえば星閃のこと話すの忘れてたな……まぁいいか。俺たちは姉弟。いつでも会うことができるのだから。
「じゃあ私も舞連れて先車行ってるから。やること終わったらすぐ来てね」
「うぅ……カニ……怖いです……。あ、お嬢聞いてください! 舞、若様の子分になったんです!」
「ふぅん。ま、光輝は私のなんだけどね」
「そうでした! でも舞だって負けません……! なんせ舞は若様と唯一盃を交わした女なのですから!」
夜煌たちに続いて結愛と舞も部屋から出ていく。ここからの仕事……後始末は俺たちの仕事だ。
「戸川さん、来てくれてありがとうございます。正直俺だけじゃ手に余るんで助かりました」
「礼なんて一々言ってんじゃねぇよカシラ。それに敬語もやめた方がいいですぜ。俺はあんたの部下なんだからよ」
若頭補佐、戸川良哉。髪をオールバックにかきあげた40代の強面の男だ。役職上は俺の方が上だが、組長のもとで長く働いてきた古株。とてもじゃないが偉そうに振る舞うことはできない。
「で、こいつらどうしましょうか。組に連れて帰ります? 個人的には面倒だし放置しておきたいんですけど」
「俺もそっちの方がいいと思いますぜ。組員を攫ったとなったら向こうが攻めてくる口実ができる。向こうが攫い、こっちが反撃した。これで借りは返したって状態だ。無駄な争いはない方がいいでしょう?」
俺個人の考えはあるが、それがヤクザにとっての常識かどうかは俺にはいまだわからない。こういう時極道に長くいた人の考え方はタメになる。さすがは補佐といったところか。
「にしてもまさかカシラが誘拐されるなんて思いませんでしたぜ。しかも舞がいる状態で。相手はやっぱり蜘蛛道ですかい?」
「はい。でも少し妙なんですよね……俺の状況について詳しすぎた。もしかしたら組の中に内通者が……」
「なるほど。それで俺に話をってわけですか。俺は反葛城派のボスだからなぁ」
「まぁ……そういうことです」
鎧波組は全員が全員俺の味方……というわけではない。若頭でありながら普通のヤクザの道から外れている俺。当然気に入らない奴は多いだろう。そういう奴はあらかた追い出したが、行動に移さず思っているだけなら処分することはできない。その筆頭がこの戸川さんだ。
「本音を言えばうちの誰からが裏切ってるなんて考えてないです。でも嫌でも考えないといけないでしょう?」
蜘蛛道にも指摘されたが、俺は身内を大事にするタイプだ。小澤のようなハナから俺を裏切る気満々な奴は置いておくとして、基本的に今俺についてきてくれている人は信頼するようにしている。だからリーク元は情報屋の薬……だと思いたいけれど。もし違ったとしたら取り返しのつかないことになる。だが俺の思慮とは裏腹に、戸川さんは豪快に笑い飛ばした。
「そう思い詰めないでくだせぇよらしくない。確かに俺はあんたの反対派だ。まだまだ極道の世界もロクに知らねぇ若造。しかもヤクザを辞めようとまで考えているんだ。そりゃ面白くはねぇよ。だがあんたを裏切ろうなんて人間は一人だって知らねぇ。あんたを信頼しているからこそ、辞めさせたくねぇって思ってるんだ。昨日カシラが帰ってきてねぇってだけで組の連中みんな大慌てだったぜ。俺もいくつも組を見てきたが、ここまでカシラを慕ってる組は早々ねぇ。そこは俺が保証する」
そう言ってもらえるとありがたいと同時に……どうしても罪悪感が生まれる。ずっとみんなを守ってあげられたらいいが、俺はいつかヤクザを辞めようと思っている。そのギャップがどうにもいまだに埋まらない。
「まぁとにかく俺からあんたへの要求は二つ。こんな生意気な口利く部下は殴って叱ってくれや。それと敬語なんて使わず堂々としてろ。若頭として自覚してくれさえすれば文句ねぇからよ」
「俺は敬意を払うべき人間には敬語を使いますよ。それに身内に暴力なんか振るいません。こればっかりは人として譲れないんで」
「はは、そういう頑固なところは気に入ってますぜ。じゃあ俺ぁ親父に無事回収できたって報告してくるんで。車戻っててください」
戸川さんはそう言うと一礼し、スマホ片手に部屋を出ていく。やっぱり身内から内通者なんか出るわけないか……となると犯人は薬一択だな。だったらそれに越したことはない。
「若頭さん、少しいいですか?」
「龍華……まだいたんだ。先に戻ってくれててよかったのに」
部屋に残されたのは論馬組の連中と高城一郎。そして俺と龍華の二人。最近龍華は警察の娘である藍羽と結愛が仲良くなった関係で付き人から外れている。なぜなら龍華の父親が組長を務めている玄葉組は、論馬組と抗争の真っただ中だからだ。
「なんだかちゃんと話すのひさしぶりだな……お互い忙しかったし。結愛も寂しがってたよ。龍華と話したいって」
「それは申し訳ないですね」
「龍華が話したいことはわかってる。こいつら論馬組の連中だろ? ほんとは龍華の助けをしたいんだけど玄葉組の助けはしたくないからな……組長の弟分らしいけど所詮はヤクザだし。だから舞が倒したこいつらには手出ししないでほしいな。うちがとばっちり食らうのは嫌だし」
「ええ……でしょうね」
龍華を助けたいのなら、本当は昨日の時点で問答無用で蜘蛛道を潰せばよかった。それをしなかったのは鎧波組の若頭だから。下手に組織間の問題に首を突っ込んで結愛を危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。ただ可能なら、龍華の力になりたい。そこで俺がここに残っている理由だ。
「俺がこいつらから情報を引き出す。もちろん問題にならない程度にだけど。これでも交渉には自信があるんだ」
こいつらの目的は舞を自分たちのものにすることだった。しかしそれは失敗し、5000万円も失う始末。その結果をそのまま組に持って帰ったらどうなるか……だからこそ交渉だ。この5000万は臨時収入。龍華を助けるために使えるのなら高くない。龍華に背を向け、倒れながら悔しそうに睨んでいる論馬組の若頭補佐に目を向ける。そんな中龍華の話は続く。
「……若頭さんは本当に身内に甘いですね」
「まぁな。蜘蛛道にも指摘されたけど、それが俺のやり方だから。変えるつもりはないよ」
「わたくしも同じです。身内には助かってほしい。平和でいてほしい。若頭さんならこの気持ちはわかってくれますよね?」
「ああ。多少痛い目を見てもな」
「でもちゃんと自覚していますか? わたくしは若頭さんの身内ではありませんよ?」
「……はは」
あぁ……クソ。どうしてこの可能性に気づかなかった。不調だったからか? いや、たとえ絶好調だったとしてもこの可能性には至らなかった。
「藍羽にいつか背中から刺されるかもとは言われていたけど……まさかその相手がお前だと思わなかったよ……龍華」
激痛と共に腹から刃が出ていることに気づく。一気に血の気が引く中、血のついたドスを持った龍華が俺の正面に回った。
「玄葉組は既に論馬組に負けました。父の命を助ける条件、それがあなたを刺すことでした。先ほどの交渉が決裂した場合、わたくしがトドメを刺せと。どちらにせよ玄葉組は解体されますが、おかげで父と共にどこかの田舎に逃げられそうです」
もはや立っていられなくなり、床に倒れてしまう。そうか……蜘蛛道に俺の情報をリークしていたのは龍華だったのか。同じ家で暮らしているから情報は知り放題、結愛から離れているおかげでいくらでも論馬組に情報を流す機会はあった。答えはこんなにも単純だったんだ。なのに……気づかなかった。だって龍華は友だちのようなものだと思ってしまっていたから。
「今のうちに早く逃げてください。舞さんが帰ってきたら殺されますよ」
龍華が指示を出すと、論馬組の連中が高城一郎を連れてふらふらと部屋を出ていく。倒れている俺を見下ろしながら。
「ではわたくしも行きます。わたくしもまだ死にたくないので。死ぬのはあなただけで充分です」
そして誰よりも冷ややかな目をした龍華も部屋を出ていこうと俺の視界から消える。
「……残念だ。結愛が傷つくよ……」
「そうですか。知ったことではありません。わたくしとは無関係の人間なので」
今まで結愛のことを一番に考えていた龍華からは考えられない発言。だからこそ……強く思う。
「それではさようなら。生きていればまた会いましょう」
この不自然なまでの冷徹さ。そしてあえて内臓を避けた位置を刺し、間違っても死なないようにしていること。間違いない。
「……許してくれなんて言いません。どうか……こんなクズのわたくしを怨んでください……!」
これは龍華から俺への、助けてというSOSだった。




