第3章 第8話 茶番
「あぁ……よく寝た……」
ここしばらく忘れていた頭の冴えを感じながら目を覚ます。学業と若頭の両立による疲労、寝不足による倦怠感、ずっと付き纏っていた身体の不調をまるで感じない。つまり絶好調だ。たかだか一週間ぶりのはずだがずいぶん懐かしい気がする。
「……あんたこんな状況でよく眠れるよね」
そして懐かしいのはもう一つ。俺の実の姉、夜煌が隣のベッドから俺の顔を覗いてくる。同じベッドには舞の妹、雪の姿もある。
「まぁこの程度の修羅場ならいくつも潜ってきたからな……それより舞は?」
「この5年間の話は今度ゆっくり聞かせてもらうとして……あの子ならどこかに連れていかれたよ。寝たまま何の抵抗もできずにね」
昨夜論馬組の連中に拉致された俺たちは、とあるマンションの一室に連れていかれた。おそらく論馬組が所持している隠れ家の一つだろう。三つのベッドが置いてある寝室に閉じ込められてそれからの記憶がない。だいぶ疲れがたまってたしすぐに眠ってしまったんだろうな。
「夜煌……お前身体は大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけないでしょ。見てよこの傷。たぶん一生残ったままだろうね」
夜煌が前髪を上げると、右眉の上に一筋の傷が深く刻まれていた。瓶で殴られた時に切れてしまったのだろう。
「……お互い慣れないことはするもんじゃないな」
「だね。もうこんなのこりごりだわ」
俺は一人で抱え込み体調を崩し、夜煌はヤクザの下で媚びへつらっていた。俺は一人では何もできないし、夜煌は一人が一番性に合っているというのに。これはその報いだろう。
「ま、あたしのことはいいよ。それより……」
「お姉様あまり動かないでください!」
「……お姉様?」
立ち上がろうとした夜煌を止める雪。何か変な呼び方をしていたようだが気のせいではないだろう。
「……お前中学生にそんな呼び方させてるのかよ……」
「違う! これは雪が勝手に……」
「私はお姉様の子分ですので。何か文句ありますか?」
……舞といい何なんだろうなこの姉妹は。いやむしろ俺たち姉弟が悪いのか……?
「そうその雪の姉……舞さんだっけ? やばいんじゃないの? 雪の話だと寝たら全然起きないんでしょ? もし何かされてたら……」
「どうだろうな。とりあえず見に行くか」
「見に行くって……あたしらここに監禁されてるんだよ?」
「たぶん鍵は閉められてないよ。俺は奴らの敵組織のナンバー2。お前らは一応カタギだ。そんな奴らを監禁なんかしたらコトだからな。俺たちは立場上はお客様だよ」
「……あんたほんとどんな修羅場を潜ってきたの?」
「まぁ本気で潰すつもりなら話は変わってくるけど、だったらさっさと殺っちまえばいいだけだしな。たぶん舞も無事だよ。俺を怒らせないためにもすぐ近くにいるんじゃないか? 全部交渉の場を設けるための茶番だよ茶番」
ドアノブに触れてみると想像通り鍵はかかっていなかった。夜煌と雪を連れて舞がいるであろうリビングに向かう。
「よぉ。遅いお目覚めじゃねぇか」
確かにそこに舞はいた。だがそれ以外にもずいぶん人が集まってる。蜘蛛道こそいないが論馬組の構成員と思わしき強面の男たち。それに俺に話しかけてきた小指のないおっさんは確か論馬組若頭補佐の男だったか。それに舞と雪の父親……高城一郎もいる。
「お前らのボスは病院か? 同じ一撃を食らった女子高生はピンピンしてるってのに」
「カシラはてめぇに構ってるほど暇じゃねぇからな。代わりに俺が相手してやるって言ってんだよ」
「俺が名前も覚えてない程度の小物に相手が務まるとは思えないけどな」
適当に煽ると若頭補佐はみるみる内に顔が赤くなっていく。まぁあいつは放っておいてもいいだろう。問題は……。
「若様……申し訳ございません。絶対に見捨てないという約束。守れなさそうです。舞はパパと一緒に行きます」
一瞥しただけでわかる高級なブラウスとスカート。品のある立ち方。凍りついたような薄い微笑。普段の舞からは考えられない、本来の姿をした舞が高城一郎の隣に立っている。おそらく父親が舞に用意したものだろうが、一つ気になるのは首輪を思わせる鉄製のチョーカー。あの武骨なシルエットだけが妙に浮いている。
「……あんた。捨てられたことがあるくせに光輝を捨てるんだ。どれだけ辛いか覚えてないんだ。自分さえよければそれでいいんだ」
「そう言うなよ。こいつには逆らえない理由があるんだからよ」
低く軽蔑するように吐き捨てる夜煌の言葉に若頭補佐が何らかのリモコンを掲げて答える。
「そのガキの首に嵌ってる首輪。簡単な仕組みだが、このスイッチで内部から刃を出すことができるようになってるんだ。もちろん無理矢理外すなんてできない鋼鉄製。寝ている隙に取り付けさせてもらった。わかるか? そのガキは俺たちに逆らえないんだよ」
なるほど……舞の身体能力は化物じみているが、あくまで脳のストッパーが外れているだけでどこまでいっても人間。首を刺されて生きていくことはできない。何より獣を支配する首輪。中々いいセンスをしている。
「パパ……ほんとにそれでいいの? 一度捨てた姉さんを無理矢理縛り付けて……それで恥ずかしくないの!?」
次に雪が詰め寄るが、実の娘の呼びかけに対して高城一郎は冷ややかな顔を浮かべている。
「まだ子どものお前にはわからないかもしれないが、子どもの存在は親の箔付けに重要なんだ。立派な子どもがいればそれだけ親の教育が成功した裏付けになる。中身は獣のままだろうが、表面だけは素晴らしく成長してくれた。それだけは鎧波組に感謝だな。何より娘というのは玉の輿を狙ういい道具になる。雪、お前も反省して戻ってくるのならいい結婚相手を見繕ってやろう。そっちの方がそんな肥溜めにいるより幸せだろう?」
「だ……れが……! あんたのそういう子どもを道具としてしか見てないところが嫌いなんだよ! 私にはお姉様がいる! それだけで幸せなんだよ!」
「なんだ……そっちの趣味があるのか。だったらいらないな。子どもを産めない女などどの家もいらないだろうからな」
昨日までの俺なら声を荒げていてもおかしくなかった。感情の赴くまま行動していたに違いない。でも寝不足を解消し、調子のいい今なら。この激情を胸の内に閉じ込めておける。
「で、俺が舞を手放すのに同意すると思うか?」
「もちろんタダでとは言わないさ。カシラは本当に鎧波組と仲良くやっていくつもりのようだからな」
若頭補佐が顎を動かすと、下っ端の一人が部屋の金庫を開ける。そして中から札束の山を両腕いっぱいに収めると床に放り投げた。
「お前は高城舞を買うのに2000万使ったんだろ? その倍の金額を出す。そして今回の迷惑料としてプラス1000万……計5000万だ。それと、これ。うちが握っているお前の両親に関する情報だ」
若頭補佐の手にある薄い封筒がひらひらと揺れる。なるほど、確かに俺が喉から手が出るほどほしいものではある。
「それに加えて高城舞を鎧波組に貸し出すのも許可するらしい。うちのカシラの優しさに感謝するんだな」
……はぁ。せっかく回復したのに、相手がこんなんじゃ拍子抜けだな。蜘蛛道本人が出てきてくれたら心置きなく潰せたんだが。
「そもそも勘違いしてるよ。舞の人生は舞のものだ。舞本人が俺を捨てたいのならそれを止める権利は俺にはないよ」
床に散らばる金を拾うフリをして、俺は片膝を床に着く。まるでプロポーズするかのように。
「それでも俺を選んでくれるのなら。俺と家族になろう。俺と盃を交わしてくれ」
盃というヤクザの文化が嫌いだった。他人はどこまでいっても他人。家族には決してなれないのだから。
だが今は少し違う。家族という存在を思い出して、その大切さを刻み込んでしまった今。絶対に離れたくない人と、たとえかりそめだったとしても、家族になりたいと思ってしまった。
「まるで死亡フラグですね、若様」
「それは舞の答え次第だよ」
うれしそうに微笑む舞に笑い返す。絶好調だというのにこの感情を隠すことができない。
「なにが盃だ。聞いてなかったのか? 俺がこのボタンを押せばそいつは……」
「この5000万はありがたく受け取るよ。これで舞は鎧波組とは一切関係がなくなった。後は舞をお前らが好きに口説けばいい」
馬鹿なことを言い出した若頭補佐を遮り指を二つ立てる。
「俺の方が蜘蛛道より遥かに優しいから二つ教えておいてやる。まず一つ、舞の力は確かにすごいが、一番得意なのは尋問だ。父親も知らなかったようだが、昔から得意だったよ。自分の力をコントロールするのは。じゃないと、触れるもの全て壊しかねないからな。こんな風に」
「えいっ」
首輪に手をかけながら舞がかわいらしく声を上げると、鋼鉄製だと言っていた首輪はまるで豆腐のように簡単に崩れ落ちた。馬鹿なことその一。舞の全力を侮っていたこと。たかだか鋼鉄。舞が壊せないはずがない。
「ば……化物……!」
「続いてもう一つ。3年前うちでも誰が舞を飼うか悩んでいたことがあった。理由は単純。誰も舞を制御できると思わなかったからだ。たとえどんな困難が待ち構えていたとしても、舞は自分を曲げないからな」
首輪を嵌めた? 親という立場を使った? 全部が甘すぎてまるで話にならない。
「正面から本気でぶつかる覚悟もない奴が。舞に信頼してもらえると思うなよ」
舞がこの場を制圧するのに3分とかからなかった。屈強な男たちが、舞の暴力によって簡単になぎ倒されていく。
「ちょっと残念です。約束を破るなんて言ったら、若様の焦った顔が見られると思ったのに」
「お前が俺を裏切るわけないだろ。この前の校舎裏の時といい、一々不安がって俺を試してくるなよ。俺がお前との約束を破るわけないんだからさ」
かくして俺たちの誘拐という茶番は一瞬で終わりを迎える。残ったのは新しい約束だけ。
「若様。舞と盃を交わしてください」
これからもずっと一緒だという約束だけだった。




