第3章 第5話 代弁
「本当にこんなところに雪がいるんですか……?」
その日の夜。俺は舞を連れて繁華街にある小さなキャバクラにやって来ていた。外観はひどくこじんまりしていて古臭いが、狭い扉とは裏腹に建物自体は大きい。明らかに一般人が来ないように設計してある裏の世界の店だ。
「若様はこういうお店にはよく行くんですか……?」
「いや未成年だから客としては全く。まぁ雰囲気でやってみるよ」
とりあえず俺はスーツ、舞には黒いドレスを着させた。客として遊びに来たことはないが、うちも何店か出資してるし他組織の人間との話し合いでは何度か使ったことがある。何となくでできなくもないだろう。厄介なのは論馬組がバックにいる店だということだが……最悪舞を暴れさせればこの場は何とかできるか。
「こんばんは」
「ようこそ……君たち子どもだよね? さっさと帰んな。ここは君たち子どもが来る世界じゃないから」
入店した途端受付の男がさっそく退転させようとしてくるが、構わず辺りを見渡してみる。……一見するとしょぼくれたバーって感じでキャバ嬢がいる感じはしない。店内も狭いし……あの奥の扉の向こうか。
「おい無視してんじゃ……」
「ルナちゃんとフユちゃんで」
薬から聞いていた夜煌と雪の源氏名を出しながら一枚の名刺を差し出す。それを見た瞬間受付の表情が変わった。
「わ……若頭のお知り合いでしたか……失礼しました」
「いや大丈夫です。何もしないので安心してください」
俺が渡したのは論馬組の若頭の名刺。敵対組織とはいえ常に戦争状態というわけではない。むしろ敵だからこそ、抗争にならないよう慎重に会合を重ねているものだ。そしてヤクザが関わっていたとしても店員は何も関与していないケースも多い。むしろみかじめ料を払わされてる被害者ってケースが大半だ。あくまで優しく対応する。
「今日はその子を売りに来たんですか? この子ならすぐ売れっ子になれますよ。童顔で身長も低いけどスタイルがいい。何なら僕も相手してもらおうかなーなんて……」
「殺すぞ黙って連れてけ下っ端」
「し、失礼しました!」
ふざけたよいしょをしようとした男を脅し、扉の奥に連れていってもらう。やはり想像通り……扉一つ隔てると、煌々と輝く広いスペースが出てきた。内装はいかにもなキャバクラといった感じ。だがそこで働く女性は俺の知っているキャバクラとはずいぶんと違う。俺と同い年……明らかな年下の女の子が露出度の高いドレスを着て高いスーツを着た男たちを接待していた。中には制服やスクール水着を着た子もいて、違法性しか感じない。いっそのこと藍羽に教えて潰してもらった方がよさそうだ。
「二人ともうちではトップの子なのでしばらく他の子で我慢してもらえますか……?」
「いらない。それと飲み物は烏龍茶で」
「もちろん若頭のお知り合いならサービスしますよ。女の子たちもそっちの方が喜びますし……」
「いらないって言ったのが聞こえなかったか?」
「失礼しましたぁ!」
失礼しか言わない受付が去ったのを見送り、テーブルに座ってため息をつく。
「ご機嫌斜めですね」
「そりゃこんなの見せられたらな……不機嫌にもなるよ」
きっとここで働いている女子は俺や舞と同じく親に売られた子だろう。あるいはグレて家から飛び出した不良か。いずれにせよ見てて気持ちのいいものではない。何か一つ間違えたら舞もここの子のように知らないおっさんに触られサービスをさせられていたらと思うと……不機嫌極まりない。
「それだけでなく顔色も悪く見えます。ここは舞が何とかしますから若様は帰ってお休みになられた方が……」
「いや大丈夫だよ。さっさと終わらせよう」
舞には強がってみせたが、正直な話結構きつい。連日の疲れに加えて昨夜は藍羽と話したせいで寝不足。舞の父親に夜煌のこと……そして敵陣地に侵入しているという緊張感。昼も感情的になったし、何より舞の妹だけでなく、俺たちの目的にはないはずの夜煌まで指名してしまった。自覚している……今俺は冷静ではないし頭も回っていない。だが今の舞の前でそんな弱音は吐けない。
「お待たせしましたルナで~す」
運ばれてきた烏龍茶をチビチビ飲んでいると、派手なピンクのドレスを着た夜煌がやけにキャピキャピした挨拶でやってきた。俺の姿を見て固まっているが、それは実の姉のこんな姿を見てしまった俺も同じ。夜煌のこんな媚びた態度なんて見たくなかった……。
「なんであんたがここに……論馬組の若頭の知り合いだって……」
「そういうことだよ。とりあえず座れ」
さっきの笑顔は消え、すっかりいつもの無表情に戻った夜煌が嫌々俺の隣に座る。
「……あんたなに飲むの? 煙草は?」
「飲まないし吸わない。未成年だぞ」
「……あっそ」
「…………」
まずいな、何をしゃべっていいのかわからない。こんなのヤクザになってから初めてだ。いつもなら話したいことなんてなくても適当に口を回すことくらいできるのに、何も口から出てこない。
「フユで~す。よろし……姉さん!?」
「雪……」
会話に詰まっていると、ようやく本命がやってきた。舞の一個下の妹、高城雪。見た目は舞にそっくりだがサイドテールの位置は逆で、前髪にはピンクのメッシュが入っている。
「姉さん……なんでここ……!?」
騒々しい店内に一発の乾いた音が響く。舞が雪の頬を叩いたのだ。感情に身を任せた一発のように見えるが、そうではないことは明らか。舞が本気でビンタなんかしたら女の子の首なんか簡単に壊れてしまう。
「なんで雪がこんなところにいるんですか……! 雪は真っ当に生きられたはずでしょう!? パパに嫌われてなかったんだから!」
「……姉さんには関係ない」
「関係ないわけないでしょう! 自分から道を外れるんだったら……初めからあなたが舞の代わりに売られればよかったじゃないですか! 舞は……普通に生きたかったのに……!」
……舞をひどい奴だと言う人間はいるだろう。真っ先に出る言葉が実の姉妹の心配をするのではなく、自分の立場と代わってくれと叫んでいるのだから。道を外れた姉妹を心配する気持ちはあるし、俺にはそれが目的だと言ったけれど。どうしようもなく強く、その気持ちが溢れているのだ。思わずそう口走ってしまった舞は正しくはないのかもしれない。それでも俺だけはその気持ちを否定しないでいられる。
「……自分だけ辛いみたいなこと言わないでよ。自分がポンコツだから捨てられたのを私のせいみたいに言わないで!」
「……どういうことですか」
「昔から姉さんのことが嫌いだった……親の機嫌を悪くするあんたが。あんたのことを見下してたし、捨てられた時はせいせいしたよ。これでようやく家が静かになる、家族仲もよくなるってね」
舞と雪が言い争う中。舞には申し訳ないけれど、俺は夜煌の顔しか目に入らなかった。
「……でも違った。次は私が標的になるんじゃないか。何かしたら捨てられるんじゃないか……そう思うと何も信じられなくなった。……たぶん誰か一人でも欠けたら駄目なんだろうね、家族っていうのは。あんたが消えた家はあんたがいた頃以上に地獄だったよ。あの頃はよかった、なんて冗談みたいなことを思うくらいにはね」
何か後悔があるかのように僅かに目に涙を浮かばせる夜煌の顔。それがとにかく腹立たしい。どうしてお前がそんな顔をできるんだ。被害者ぶるな。捨てられてヤクザになる方が地獄に決まってるだろ。そう叫びたくて仕方がなかった。
「……じゃあなんですか。怒っている舞の方が筋違いだって言うつもりですか?」
「……別に。あんたが私を怨むのは当然だと思ってる。それだけのことをしたよね」
「謝るつもりですか!? そんなことしないでください不愉快です! あなたは舞の敵でいてくれればそれでいい! 嫌な人で、でも自分にはもう関係ない人で、そんなあなたを遠くで見て……あぁ、あの時捨てられて、この人に拾われてよかったって思わせてくれれば、それでいいのに……!」
でもそうはいかないのだろう。わかっているよ、悪いのは全部こうさせた親で、子どもである夜煌だって被害者の一人だって。わかっているんだ、わかった上で許せないんだ。
「謝ってほしくないなら謝らないけど、これだけは言わせて。生きててよかった」
それなのにそんなことを言われてしまったら。
「……お願いです。こんなことしてないで、普通の人生に戻ってください」
こっちもそう言うしかないじゃないか。嫌いでも憎んでいても家族なんだから……心配するしかなくなってしまう。
「あまり騒がないでもらえますか。他のお客様の迷惑になるので」
……少し感情的になりすぎたようだ。店員がこちらを注意する声が聞こえる。
「……なんてお前には言わねぇよ。好きなだけ騒いでいきな。俺とお前の仲だからな」
だがその声の主の顔を見て、やらかしたことに気づいた。
「なぁ、鎧波組若頭、葛城光輝」
論馬組若頭、蜘蛛道海斗。今この場で最も出会ってはいけない人物。そしてもう一人……。
「光輝……なの……!?」
俺の正体を知られたことで、姉弟の再会にもなってしまった。まったく……面倒なことになったな。
「おいおいせっかく楽しく飲んでたのに……」
髪をかき上げ、一度目をつぶる。正直こっちはそれどころじゃないし、こんなことしたくないけれど。
「……ヤクザの顔出させんじゃねぇよ」
俺は一度笑い、臨戦態勢をとった。




