第1章 第1話 付き人
「おはようございますっ、若様っ」
俺の一日はうるさいメイドの元気いっぱいな挨拶から始まる。
「……おはよう、舞」
「おはようございます若様! 朝食の準備できております!」
舞に毛布をひっぺがされ、目をこすりながら起き上がる。ていうか何度も何度も言ってるけど……。
「メイド服着なくていいって言ったよな?」
今俺が暮らしているのは、鎧波組組長の自宅。暴力団が徹底的に締め出されている現代。しかし古くからこの地域に根付いている鎧波組組長宅はかつての規模を残しており、庭付きの立派な日本家屋になっている。そこに洋風丸出しのメイドがいたら不自然だ。
「でも若様メイド好きですよね?」
「そりゃ嫌いな男はいないけど……」
「でしたらメイド服で従事させていただきますっ。この舞、人生の全てを若様に捧げると決めているので!」
……ここまではっきりと言われたらやめろとも言いづらい。なんせ俺と舞の境遇はよく似ている。
高城舞。2年前鎧波組に売られた俺と同い年の女の子。ヤクザの仕事にも慣れてきてそれなりに稼げるようになった俺が護衛として買ったのだ。だから俺のものではある……のだが。懐かれ過ぎて困っている。
なんせいいと言っているのに護衛として俺と同じ部屋に住んでいるほどだ。そんな彼女がメイド服を着て屋敷中をうろついているもんだから、組員から同い年の女子にメイドコスプレをさせてご主人様プレイを楽しんでいると噂になっている。
「舞の身体は若様のものです。どうぞ何でも命じてください。舞はどんなプレイにも……」
「変なこと言ってないでさっさと行くぞ」
朝から元気な舞を連れて自室を出る。ここは組長の自宅だが、部屋は余りに余っている。その関係で俺や舞のような行く当てのない組員たちが数多く住まわせてもらっており、掃除や仕事の準備で朝からかなり慌ただしい。彼らからの挨拶を適当に流し、朝食会場の広間に入る。
「おはようございます、お嬢」
「……おはよう、光輝」
そこで待っていたのは俺の買い主であり飼い主、鎧波結愛。5年前は良いところのお嬢様といった西洋人形のようなかわいらしさがあったが、和室に正座で上品に座っている彼女の姿は同じ人形でも日本人形のような優雅で美しい印象へと変わっていた。
「今は私しかいないからかしこまらなくてもいいわよ」
「俺もそうしたいんだけどさ……後ろの奴が怖いんだよ」
結愛は自分しかいないと言っているが、彼女の後ろには女性が一人控えていた。俺や結愛、舞と同い年ながらその鋭い目つきやばっちりと着こなしたパンツスーツが15歳とは思えない威圧感を与える女性、玄葉龍華。彼女は俺と舞の関係と同様に結愛の付き人だが、その性質は俺たちとは異なる。
「お嬢様。発言にはお気をつけください。あなたは由緒正しい鎧波組の御令嬢なんですよ」
「わかってるわよ、うるさいわね」
「当然です。わたくしは貴女様のお目付け役なのですから」
龍華は元々別の組織、玄葉組の組長の娘だ。しかし玄葉組と別の組の抗争を始まり、危険だと判断した玄葉組組長がちょうど一週間前この子をうちに逃がしてきた。そしてうちの組長が同い年ということで結愛の付き人にしたのだ。しかし本当の理由は違う。
「そんなにダメ? 私たちが高校に通うのが」
俺、結愛、舞の三人は一ヶ月後、高校に進学することになっている。そしてそれが結愛の父親にして俺の上司にも当たる組長は気に入っていないのだ。
「別に駄目というわけではありません。ただあなたたちが勝手に進路を決めたことに組長さんは納得していないようです」
「だってパパが決めた高校って裏口入学させるつもりのとこでしょ? 私たちは普通の人生を送りたいの。そんな卑怯な手なんか使わないわ」
「ですが進学予定の高校は普通の公立校ですよね。セキュリティや民度、何より普通の学校に通われては鎧波組のメンツが……」
「外面ばっかり気にし過ぎなのよあんたらは! 確かにパパが決めた私立校はセキュリティも万全だし何より格がある。でもまともに中学も通ってない私たちが合格できるはずもない難関校よ。そんなところにズルして入学するなんてありえない!」
俺と結愛の目的は5年前から何一つ変わっていない。普通の人生を送ること。そのためにはいずれ鎧波組から離れる必要がある。それなのに高校受験に組の力を使うなんてもっての他だ。
「はぁ……。お嬢様、ずいぶんこの男から悪影響を受けているようですね」
頑なな結愛の態度に見切りをつけた龍華が鋭い視線を俺へと移す。
「わたくしはあなたを若頭だと認めていません。まったく、なぜこんな育ちの悪い子どもを若頭なんかに据えたのか……理解に苦しみます」
「それは同感。俺だってこんな立場になるつもりはなかったんだよ」
俺の立場は若頭。組長に次ぐ、組織のナンバー2だ。いや既に組長は半隠居状態。実質的な舵取りは俺に任されているので事実上トップと言っても差し支えない。
元々俺の立場は結愛の使用人。組長から続く親子の関係からは少し離れた存在だった。だから出世争いからも外れていたのだが、それが逆に結果を出すことにつながってしまった。
組織内で出世する方法はただ一つ。組の役に立つこと。鉄砲玉なんかの損な役割を引き受けたり、上層部の代わりに出頭したり、一番大きい指標である金を稼いだり……。俺は最後の金を稼ぐ才能があった。悔しいが完全に両親の血を引いていたのだ。
うちのクズ両親……今でこそ借金漬けのギャンブル狂いだが、若い頃はかなり儲けていたらしい。主に無駄に優れた容姿と口の減らない話術によって。あんな風にはならないと心の底から誓っていたはずなのに、俺はまさしくクズの方法で金を稼いでいた。
無垢な子どもだと油断した相手に取り入り騙し、奪い取る。具体的には敵対組織や半グレなんかに接触し、口八丁手八丁で内部分裂を引き起こして金だけ回収してきた。相手がクズなら罪悪感は抱かなかったし、目障りな相手を潰すのと同時に稼げる一石二鳥の作戦だ。
結愛の役に立つために必死に働いてきた5年間。彼女の許嫁相手の敵対組織を潰し、カタギに手を出すような組員を排除し、金を稼いできた。その結果、一ヶ月前。別の組とつながっていた先代の若頭を排斥した功績で俺は若頭になってしまったというわけだ。
「ですがあなたがいい気でいられるのも今の内だけです。わかっていますよね?」
「ああ、今日出てくるんだろ? 服役してた奴が」
ヤクザが出世する方法、身代わりの出頭。俺が組に入る前から牢屋に入ってた人間が今日釈放されるらしい。上層部の身代わりで出頭した者への見返りは、多額の慰労金と役職。組長の判断次第になるが若頭の役職を盗られるかもしれない。
「まぁいいよ、若頭の立場なんていくらでもくれてやる。別になりたくてなったわけじゃないし」
俺に必要なのは俺を買ってくれた結愛を助ける力だけ。ある程度の立場さえあれば充分だ。
「いいんですか? あなたが今の役職を失えばきっと追い出されますよ? 身代わり出頭なんてする昔気質の方からすれば、お嬢様に悪影響を与える生意気な子どもなんてとても目障りでしょうから」
「そうしたいならそうすればいいよ。でも……」
そう、俺は役職なんてどうだっていい。それは5年前から変わっていないのに、気づけば若頭だ。つまり。
「俺たちの邪魔をする奴は誰であろうと潰す。そうやって俺はこの5年間生きてきた」
そいつがどんな想いで身代わり出頭したのかなんて関係ない。俺は俺のやるべきことをやるだけだ。




