第3章 第2話 売買
ヤクザの事務所はそれそのものが組の格となっている。赤熱組のような小さな組は雑居ビルの一室に潜むように隠れているが、鎧波組は伝統ある大きな組織。とっくに警察にもカタギにも警戒されているせいで隠れようにも隠れられない。もちろん大々的に組の紋を掲げるようなことはしていないが、明らかに普通の建物ではない三階建ての城を思わせる造りになっている。
「……で、お前らなんで来たの?」
俺について来たのは結愛と舞と藍羽。結愛と舞はわからないでもないが、藍羽は完全に部外者の人間だ。ていうか部外者どころか敵対するべき人間。
「こーくんの目が怖いから。相手は国会議員でしょ? 下手すれば潰されるよ。もちろん鎧波組が潰れるのは歓迎だけど、こーくんが無茶しないかは見張らないと。ちょっとした交渉でも脅迫だと捉えられたら犯罪なんだからね」
「じゃあ親が子どもを捨てるのは犯罪じゃないのかよ」
「そういうとこ。自分の境遇と重ねてるから危ういんだって」
……まぁ自分が冷静じゃないのは確かだ。藍羽がいた方が客観視できる部分はあるのかもしれない。ただどうあれ脅迫はするけどな。
「結愛は?」
「私も藍羽ちゃんと同じで監視が目的。だって組を抜けられるならそれに越したことはないでしょ。光輝は舞を捨てた親が許せないのかもしれないけど、それは光輝のエゴだよ。私はできることなら組のみんなにヤクザなんかやめてほしい。だからいい条件なのに光輝が意地を張って突っぱねるんだったら止める。あくまで大事なのは舞本人の気持ちなんだからね」
そう語る結愛の瞳には決して揺らがぬ意志を感じる。同時にそう思わせてしまうくらいに感情的になっていると見られているのだと自覚する。
「で、舞は……」
「……わかりません」
目を伏せ小さく首を横に振る舞。いつも元気に俺の意見に従順する舞にしては珍しい反応だ。
「会いたいのか会いたくないのかもわからないんです……自分が父をどう思っているのかも。完全に捨てられたと思ってたから、こうなるなんて想像もしてなくて……。だから舞は……」
俺は俺を捨てた両親を許せない。いつか会えたら復讐したいしそのために個人的に捜索までしている。そんな復讐に囚われた俺に比べたらその感情はとても優しく、そしてとても普通だ。舞はやはり、普通の生活を送ることができる。
「……わかった。結愛と藍羽は俺についてきてくれ。舞はあの場所で待っててくれ。会わせるべきだと思ったら呼びに行くから」
俺と舞の出会いの場所……物置に舞を待機させ、隣の客間に向かう。威厳を出すために高級なソファやインテリアを飾っている大きな部屋。そこに舞の父親、高城一郎がいた。舞とは似ても似つかない、高級なスーツを着た恰幅のいい親父だ。隣には秘書と思われる男性もいて、二人で組員に囲まれ小さくなっている。
「どうも。若頭の葛城光輝です」
挨拶すると、二人の緊張が解けたのがわかった。女子高生二人を連れたスーツを着た子ども。一見すると場違いな存在を見て気が緩んだのだろう。そして同時にこうも思ったはずだ。子どもが相手なら交渉で優位に立てると。
「私は若頭を呼んでくれと頼んだはずだが。この対応はどういうことだ? ふざけているのなら失礼する。次は本物の若頭を出すようにしてくれたまえ」
おそらく半分本気で半分交渉のつもりだろう。俺が対面のソファに座ったタイミングで父親が立ち上がる。だいたい初見の奴はこういう反応を見せるものだ。子ども相手だからと舐めて本気にしない。……馬鹿にしやがって。
「別に帰っていただいても構わないんですけどね。ただ若頭の時間を奪っておいて何もしないで帰る。そんな舐め腐ったことをしたということは記憶しておきますよ」
俺も半分本気で半分交渉だ。ただでさえ疲れ果ててるのにこんなところに呼び出して。それで帰られたらたまったものじゃない。どうせ何度来たって対応するのは俺なんだ。その相手に失礼をしたことは交渉の難航を意味する。
「……話だけはしておこうか」
眠いおかげもあって凄みが出せたのか。高城一郎は座り直し、懐から一枚の写真を取り出した。
「これが私の次女……舞の一個下の妹の雪だ」
「……舞とは違って娘さんはよくできた子だと伺っていたのですが。ずいぶん変わられたようですね」
舞とは逆の方にサイドテールを作った少女。妹だけあって顔立ちは舞と瓜二つだ。だがピンクのメッシュを入れ、派手なメイクをしたその姿はとてもじゃないが国会議員の娘とは思えない。なるほどそういうことか。
「最近悪い仲間とつるんでいて半グレとの交流もあるようだ。もしそんなことがマスコミや警察に知られたら私の立場も危うくなる」
「確かにこれに比べたら舞の方が清楚に見えますねぇ少なくとも見た目は。でもあなたは舞が普通の子ではないから捨てたのでは?」
「聞くところによると今は更生して高校にも通っているそうじゃないか。普通になってさえくれれば何の問題もないんだ。少なくとも傍目から見て普通であれば。もちろん相応の御礼はする」
高城一郎がそう言うと、秘書がアタッシュケースを開いてテーブルの上に出す。
「1000万円出そう。必要なら雪を売ってもいい。どうかな? 悪い話じゃないと思うんだが」
悪い話……ね。確かに組からしたらそう悪い話でもない。1000万円というのは大金だ。最強のボディガードを失ってもお釣りがくるかもしれない。
「……ずっと気持ち悪かったんですよ。買ったって言っても実際にはこちらは一円も出してないわけでしょ。どうにかならないかってずっと思ってたんです」
俺は立ち上がり、金庫を開ける。つまりこいつから見て舞の価値が1000万円ということだろう。だったら話は早い。俺はテーブルにある金の倍の金額を出し、宣言する。
「てめぇみてぇな自分のことしか頭にないクズに舞はやらねぇよ。3年前受け取った1000万とあんたが提示した1000万。まとめてくれてやる。だから二度と俺たちの前に顔を出すな」
結愛の言う通り、舞のためなら普通の世界に戻してやりたいと思っていた。舞を捨てたことを後悔している、もう一度家族に戻りたいと言うのなら交渉の余地はあった。だが外面だけを気にして舞を手元に置いておきたいなんて言っているクズにかける容赦はない。
「あんたと一緒にいたら舞は幸せになれない。舞は俺のものだ」




