第3章 第0話 舞・オリジン
『皆川がやられた!?』
鎧波組きっての武力を誇る皆川さんがボロボロになって事務所に担ぎ込まれたのは、今から約3年前の出来事だった。
『お前がタイマンで負けるわけねぇよな……誰にやられた?』
『論馬組……まさか半グレにでも囲まれたか?』
『それよりお前はお嬢の世話係だろ。お嬢は無事なのか?』
当時の鎧波組員は今の倍、100人前後の組員がいた。その中のトップ、幹部連中が額から血を流している皆川さんに詰め寄る。若い衆に手当てを受けながら、皆川さんは吐き捨てるように答えた。
『俺をやったのは女子中学生……中一の女子にタイマンでボコボコにされました……』
冗談と言うにはあまりに出来の悪い返答に、周りの誰も何も言うことができなかった。冗談なのかそうでないのか判断がついていないようだ。なんせ皆川さんは若い頃、単身敵対組織の事務所に殴り込み組を潰したこともあるほどの鉄人。やられたことさえ信じられないのに、それが中学生……ましてや女子にやられたとなれば、信じられないのが当然だろう。
『お嬢が学校に行っている間、こいつに仕事を任せてたんだ』
広い室内に皆川さんの荒い声だけが響く中、説明を始めたのは当時の若頭だった。
『高城一郎っているだろ、国会議員の。そいつから1000万で仕事が来た。娘を売りたいってな』
『国会議員の娘……確かに高く売れそうですね。もう1000万は払ったんですか?』
『違う。1000万円払うから娘を始末してくれって話だ』
若頭はそう言うと一枚の写真を床に落とした。話の流れ的にこの子が皆川さんをやった女子中学生なのだろう。だがとてもじゃないが信じられない。写っていたのは人形のような小柄でかわいらしい顔立ちをしたサイドテールの女の子。結愛が和の令嬢だとしたら、この子は西洋風のお嬢様といった感じだ。
『高城舞。高城家の長女だが、生まれつき脳の一部がおかしいらしい。理性というかストッパーがないそうだ。高城が言うには、常時火事場の馬鹿力状態。思考力も弱く通っていた私立小学校で、いじめられていた子を助けるために囲んでいた19人を病院送りにしたらしい。それが原因で退学、学校にも通わせず軟禁していたそうだが一個下の次女が相当の才女だったんだと。だったらその子を長女にした方がいいだろうということで、いらなくなった長女の処分をうちに任すことにしたそうだ。今隣の部屋に閉じ込めてるが……』
『飯を届けに行ったらやられました。人が相手ならどんな奴にも負けるつもりはねぇが、あれは人というより獣に近い。本気で殺されると思いました』
皆川さんが袖を捲ると、歯型が肌に食い込んでおり、血がダラダラと滲んでいた。なるほど、やたら幹部連中がいると思ったらそういうことか。
『ツラはいいが未成年だと店で働かせるのは難しい。となると海外だがリスクもでけぇ。殺っちまってもいいが国会議員の娘というカードを失うのはさすがにもったいない。かといって飼おうにもこのザマだ。誰か部下にしようと思ってる奴はいねぇか?』
当時の鎧波組はいくつもの派閥で別れていた。先代の若頭を俺が追い出したばかり、今は別で若頭がいるが結果さえ出せばいつでも出し抜ける。そんな状況で皆川さんすら上回る戦力を手に入れるというのは実質若頭になると同義だった。しかし誰も手を挙げる人間はいなかった。なぜなら、いらないから。
『じゃあ俺がもらいますね』
『おい待ててめぇはちげぇだろ!』
元々誰が手を挙げても俺が買う予定だったが競合がいないなら好都合。さっそく会いに行こうとしたが呼び止められた。先代の若頭の派閥に入っていた奴だ。
『お前んとこには皆川がいるだろ。これ以上力をつけてどうする気だ? まさか組を乗っ取るつもりじゃねぇだろうな? あ?』
『心配しないでも出世なんか興味ないんで安心してください。たとえ力を付けても若頭なんかになりゃしませんよ』
『嘘ついてんじゃねぇぞてめぇコノヤロー! 知ってんだぞお前が過激派を追い出してるってことはとっくによぉ! そのせいでアニキは……』
『知ってるんだったら黙ってろ三下。お前らみたいなカタギに迷惑をかけるようなクズは全員追い出す。それは決定事項でこの子のことは一切関係ないんだよ。なのにこれ以上ゴタゴタ言うんだったらお前から潰す。こっちは珍しく気が立ってるんだ静かにしてろ』
邪魔な奴を黙らせて部屋を出る。どいつもこいつも腐ってやがる。いらないから捨てる? そしてそいつを組の政治の道具にする? ありえないだろ、そんなの。
『君が高城舞さん?』
中学生がいるという部屋に入ると、確かにいた。薄汚い物置の中で、堂々とした存在感を放つ少女が。見た目は写真の通り。だが実際に見てみるとこんなに違って見えるものか。愛らしい表情とは裏腹に、禍々しい雰囲気が全身から迸っている。なるほど、確かに獣のようだ。
『チンピラの次は子どもですか。どうなってるんですか、この組は』
『別に敬語じゃなくていいよ。同い年みたいだし』
『……敬語以外使えません。使う相手によって表現を変えるなんて難しすぎます』
……なるほど。確かにあまり頭はよくないようだ。そして俺は言葉が通じない相手にはめっぽう弱い。まぁ交渉する気なんてそもそもない。ストレートに行こう。
『お前は俺が買った。俺がお前を普通の人生に……っ!?』
『あまり調子に乗らないでください。舞の人生は舞のものです』
気がつけば俺の身体は倒れていた。同時に側頭部が激しい痛みに襲われていることに気づく。眼前には片脚を上げた状態の舞がいる。ハイキックを食らったのだと理解したが、だから何だという話だ。わかったところで勝てるわけがない。
『あなたを人質にでもすれば脱出できますかね。早くおうちに帰らないとパパが心配しちゃいます……』
『……残念ながらそれは無理だな。お前は親から捨てられたんだよ……俺と同じでな……』
『舞は捨てられてなんかいません! ただちょっと……人と同じようにできないだけで……。でも次こそは必ず……!』
『次なんかない。いらないから捨てられたんだから。ゴミがどうがんばったって汚いままなんだよ……』
『舞はゴミなんかじゃありません! だって劣ってるから捨てるだなんて、そっちの方が、絶対におかしいはずです……っ』
『おかしい奴らが普通の顔をしてるのがこの世界なんだよ。だからお前はおかしくなんかない。ただその世界とは合わなかっただけだ。だから俺のところに来い。俺ならお前をわかってやれる……同じ親に捨てられた同士なんだから……!』
『……初めて会ったあなたを信用しろと?』
『ああ……だったら約束でもするか。馬鹿でもわかる、破ったら終わりの単純な約束だ。俺が約束を守れないと判断したらなら、俺を捨てて殺してくれていい。俺はお前を――』
そしてそれから一時間後……。
『光輝のやつ帰ってこないな。殺されたか?』
『だったら助かるんだけどな。ヤクザのくせに真面目に生きようとする本当の馬鹿なんだから。ちょっと様子でも見てみるか』
部屋の外から声がした。それは救助の声……だが助けを求めるなんてことはできなかった。
『若様しゅきしゅきしゅきっ! 舞は若様の奴隷になりますっ!』
俺に覆いかぶさり首筋に甘噛みするこの獣のような少女こそが俺の一番の味方なのだから。
これが俺と舞との出会い。そして交わした約束は、『家族から捨てられたお互いだけは、絶対に見捨てないこと』。
それから3年後の今。この約束が、破られようとしていた。




