第2章 第5話 戦争
「ここが若様の生まれ育ったご自宅なんですね……」
入学式の日の夜。俺は舞と二人でかつて住んでいた部屋にいた。
「いや生まれは違うな。育ったってほどここにもいなかったよ。親の収入が不安定で色々転々としてたから。小学校に入学してからはこの安アパートだったけど」
だからだろうか。懐かしいという感覚はあまりない。いやそれだけの理由じゃないな。俺が覚えている景色とだいぶ異なっている。畳敷きの1DK。五人で暮らすには手狭な部屋は、小学生だった俺の日々の掃除によってある程度の清潔さは保たれていた。
だが今はどうだ。乱雑に並べられた布団に、その上に転がっている着替えや酒。ゴムやティッシュもそこら中に乱雑に捨てられており、ゴミ袋が部屋の隅にまとめられている。こういう部屋は金の回収の際によく見てきた。典型的な、クズの部屋だ。
「ちゃんと靴履いとけよ、汚いから」
「……物凄い清掃欲に駆られます」
仕事着であるメイド服を着た舞がうずうずとしている。大切な舞にこんな汚い部屋を掃除させられるか……とは言えない。この後もっと汚いものを掃除してもらう予定なのだから。
「それにしても情報は確かなのですか?」
「ああ、間違いない。今この部屋に住んでるのは長男の星閃一人。両親も姉もそれぞれ別の家で暮らしているらしい。と言っても仲間が何人も泊まってたり女性を連れ込んだりしてて一人でいることはないみたいだ。毎晩騒いで近隣住民の迷惑になってるらしい」
「……どこでそんな情報を? ま、まさか舞というものがありながら別の女に調査をさせていたんですか!?」
「俺の家の事情に組を使えるかよ。それより静かにしてろ。聞こえてきた」
女性に頼んだことは事実だが、切札の存在は舞にも明かせない。スーツのネクタイを直しながら軽く深呼吸をする。あの頃のあいつはまだ声変わりもしていなかったが、不思議とすぐにわかった。喋り方の癖、口調、嫌悪感。星閃の笑い声が外から聞こえる。まったく、もう深夜十二時を回っているのに。迷惑な奴だな……。
「ただいまーっと……あぁ?」
「ご近所さんの迷惑にならないように、一瞬で終わらせるか」
部屋の扉が開き、顔に赤みのある星閃が帰ってきた。その両隣には男が二人。年齢的には星閃と同じくらい、身長は二人とも星閃よりは低いがガタイがいい。俺が真正面から戦ってたらきついだろうな。
「お前サトウコウキ……だよな……!? なにスーツなんか着て俺の家に入り込んでんだよ!」
「お前だけの家じゃないからな……舞。まずは邪魔な二人を片付けろ。そんで星閃は黙らせてくれ」
「かしこまりました」
舞がミニスカートの中に手を伸ばし、手にした特殊警棒を引き伸ばす。
「やっぱり武器を隠すならロングスカートの方がいいんじゃないか?」
「長いと動きづらいので。何より、短い方が若様の好みでしょう?」
スカートを摘まみながらいつもより肌の見える絶対領域を俺に見せつけると、次の瞬間舞の姿が目の前から消えた。
「まず一人」
そして舞の声が聞こえたかと思うと、同時に男の一人が畳に崩れ落ちた。警棒を振り切った舞の姿を視認したのは、俺と星閃たちほぼ同時。
「てめ……」
もう一人の男が反射的に拳を振りかぶる。防ごうとするのでなく殴ろうとするのは、普段から暴力を振るっている証拠だろう。抵抗しないような相手に対して。だとしたら舞に敵う道理はない。
「ふっ」
舞は一人目の男を殴り倒した流れで警棒を壁につき、それに体重をかけて跳び上がった。男が拳を振り抜くより早く、舞のハイキックが二人目の男の後頭部を蹴り抜く。
「二人目、三人目です」
二人目の男が倒れるのとほぼ同時。フリーになった警棒が星閃の口に突っ込まれる。二人の制圧と星閃の言葉を封じる。その技量はさすが鎧波組ナンバー1の戦力だとしか言いようがない。
「な……な……!?」
「抵抗はしないでくださいね。あまり大きな音は出したくないんです」
口に警棒を突っ込まれた衝撃で尻もちをついた星閃の眉間に、舞が構える拳銃の銃口が突き付けられる。男二人は完全に気絶したようだ。これで邪魔者はいなくなった。
「夜煌から聞いてないか? 全面戦争、って言ったはずなんだけど。まさか襲われるわけがないと、俺が口だけなんじゃないかと舐めてたんじゃないだろうな」
舞に警棒を外すよう指示を出す。銃口は突き付けられたままだがこれで喋れるようになるはずだ。
「ぉ……お前ら俺が誰だかわかってんのか!? 俺のバックには鎧波組がはぁ!?」
「やっぱり聞いてないみたいだな。その名前を口にするなって言っただろ」
星閃の側頭部を蹴り飛ばす。嫌な感触だ。それでもこいつは平然とそれを振るってきたのだろう。俺と同じ、クズの遺伝子を持っているから。
「お前のバックに論馬組がいることは知ってる。半グレで俺たちが手を出しちゃいけない人間だってこともな。だからどうしたって話だけどな」
やってはいけない。それを遵守できるなら、この世にヤクザは存在しない。やってはいけないけどやらざるを得ないからヤクザは存在するんだ。
「ようするに表に出なきゃいい。問題にならないように処分する。それで話は終わりだ」
俺が呼べばすぐに車が到着する。たとえ近隣住民が警察に通報しようがこっちの方が早い。それに乗せてしまえばおしまい。鎧波組の関与の証拠は残らない。後は臓器を売るか船にでも乗せるか……こいつらの態度次第だ。
「ま……待て……待ってください……! 昼間殴ったことは謝るから……そうだ、金もやる! これでも結構持ってるんだ! それで全部チャラにしてくれませんか!?」
「……チャラ?」
「そう! だって俺、殴ったこと以外あんたの怨みを買うようなことしてないだろ!?」
俺がこいつらをシメているのは鎧波組の名前を使って好き勝手暴れているから。こいつが俺の兄であることは関係ない。だから金をもらいこれ以上周りに迷惑をかけないようにしてくれれば、全部チャラにはできる。むしろ論馬組へのスパイにできればかなり好都合だ。今ここにいるのが鎧波組の若頭だとすれば、そうするべきだろう。……でも。
「舞、こいつをこれ以上喋れないようオとせ」
「かしこまり……」
「……いや、お前に手は汚させない。やっぱり俺がやる」
舞から警棒を受け取り、構える。俺は舞ほど手加減ができない。上手くいけば気絶。悪ければ死んでしまうだろう。実の兄を、殺してしまうかもしれない。できるか、俺に。家族の命を奪うことが。
「……できるわけがない」
一度深呼吸し、振りかぶる。俺に家族の命を奪うことはできないだろう。たとえ結愛や舞が裏切ったとしても、たぶん殺すことはできない。でも今は、問題ない。だって俺たちはとっくに、家族なんかじゃないから。
「そこまでだよ、こーくん」
だがその腕は、いつの間にか部屋にいた藍羽の声によって引き止められた。
「……なんでここに」
「言ったよね、悪いことをしたら捕まえるって。それが今だよ」
……あぁそうだな。これは悪いことだよ。でもな、
「こういう奴らは誰かがこらしめないといけない。警察は動けないんだろ。だったら必要悪がやるしかないだろうが」
「それでもわたしはこーくんにそこまで堕ちてほしくない。だからわたしが止めるの。ごめんね、許してね」




