第2章 第3話 友だち
「……というわけで、さっそくだけど俺がヤクザだってバレちゃった」
教室で騒ぎを起こした俺を、藍羽は追ってこなかった。ちょっと寂しくもあったが監視の目から逃れられたこのタイミングを逃すことはできない。スマホで結愛たちと連絡を取り、この後入学式が行われる体育館への移動の隙を突き、校舎裏で作戦会議を行うことにした。
「というわけで俺との接触は極力避けてくれ。まだ藍羽は俺が若頭とは知らない。せいぜい使いっぱしりの捨て駒くらいの認識だと思う。そんな人間にべったりとくっついてる奴がいたら不自然だからな。ひとまず舞との偽装カップル計画は中止だ」
「がーん!」
とりあえずの方向性としてはこれで問題ないと思う。理想としてはさっきの教室での騒動のように、藍羽が警察の力を行使できない程度の問題を起こし続けることでガラの悪い連中の標的を担い続けること。ああいう連中が目立っていたが、普通そうな人もクラスの半分近くはいた。結愛たちにはまともな人間と楽しい学生生活を送ってもらおう。ただ懸念点が一つ。
「結愛、難しい顔してどうした?」
「いえ……友だちを作るのがこんなに難しいだなんて思っていなくて……。普通の高校に入ること自体が夢になっていたから、その後のことなんて考えていなかったもの。正直あんな屈辱生まれて初めてだわ」
あぁそっち……。組長の娘としては藍羽への警戒について考えてほしかったが……いや、それならそれでいい。ノイズは俺が処理すればいいだけの話だ。
本当に障害になるのなら最悪……最悪。鎧波組に手が伸びないように細心の注意を払いながら、藍羽を処分する。大丈夫だ俺ならできる……結愛のためなら何も悪くない親友を手にかけることだって……俺なら……。
「ねぇ。光輝はどうやってあの子と友だちになったの?」
密かに覚悟を決めようとしていると、その覚悟を鈍らせるかのように結愛が訊ねてきた。
「昔のことだからあんまり覚えてないけど、親に虐待されてた俺を憐れんで話しかけてくれたのがきっかけだと思う。俺だからじゃなくて、俺の属性が都合よかったんじゃないかな」
自身の正義感を満たす、都合のいい被虐者。それが藍羽にとっての俺だ。……だなんて思ってしまうのは俺の心が汚れているからだろうが。
「人間は打算的な生き物だ。自分の利益になるから傍に置こうとする。それが友だちってやつの正体だよ。だから結愛も思いつめなくて大丈夫。ああいう馬鹿な連中じゃなくて、自分の得になる奴と仲良くすればいいよ」
答えると、結愛と龍華が困ったように目を合わせる。そして若干の躊躇の後、龍華が口を開いた。
「若頭さんが教室を出た後。あの方……神室さんがクラスに向けて釈明をしたんです。若頭さんは悪い人じゃない、誤解しないでほしい、できれば仲良くしてあげてほしいって」
……だから俺を追ってこなかったのか。まぁでもあいつのやりそうなことだ。
「あいつは自分が正義でいたいんだよ。俺を庇うことで自分の正義欲を満たしたかったんじゃないか?」
「……違うと思うわ。きっとあの子は純粋にあなたを助けたかったのよ」
「結愛はあいつのこと何も知らないだろ」
言ってから突き放した口調になってしまったことに気づいた。……だって少し嫌だったから。結愛のその目が、藍羽の全てを見通す瞳とよく似ていたから。
「わかるわよ。だってあの子、笑われてたもの。そしてあの子は笑われることがわかっていながら、それでも庇おうとした。自分より馬鹿な人間に馬鹿にされる屈辱は言い表しようがないほどに不快よ。とてもじゃないけど、自己満足でできることじゃない。たぶん神室さんは、本気であなたのことを心配しているわよ」
「だからそれは……自分のためで……」
「じゃあ光輝が私を助けてくれたのも自己満足のため? 違うわよね。私のことが大切だから、傷ついてほしくないから守ってくれたんでしょう? きっとそれが、本当の友だちというものなのよ」
「…………」
一体いつぶりだ。結愛に言葉で言い負かされるのは。俺らしくもない。いや、今の俺らしくない。まるでヤクザになる前、藍羽と一緒にいた頃のようだ。
「きっと光輝は仲直りがしたいのよ。神室藍羽さんと。でも立場がそれを許してくれない。だからそんな顔をしてるのよ」
「そんな顔って……どんな……」
「私だってあなたとは長い付き合いなのよ? あなたがどんなことを思ってるかくらいわかる。今の光輝、すごい辛そうな顔してる」
あぁ……そうか。今の俺はたぶん、ヤクザの顔ができていない。だから舞があんな目を向けてくるんだ。結愛と龍華の後ろから、闇のような暗く、光のない瞳で俺を値踏みするように見つめている。
俺と舞の関係は、結愛と俺の関係とよく似ている。ヤクザに売られた者と、買い取った者。だが明確にその二つの契約は異なっている。俺は舞に、ヤクザでいることを強いられている。
「私は友だちがほしい。光輝は仲直りしたい。どっちもヤクザにはふさわしくない望みよ。でも私たちの目的はヤクザから抜けること。だからいいのよ。少なくとも学校にいる間は、ヤクザであることを忘れて」
結愛の言葉は全くその通りだ。俺もそうできるならそうしたい。でもそう簡単にはいかないんだよな。
「……舞、ちょっと来い」
「かしこまりました」
いまだに暗い瞳を向け続けている舞を物陰に呼び出す。陽の当たる場所にいる結愛たちからは見られない位置だ。
「ごめん。俺、藍羽と昔のような普通の友だちに戻りたいみたいだ」
そう口にした瞬間、俺の身体は壁に叩きつけられた。両腕を掴まれ、身動き一つ取れなくされる。俺の身長は175cmほど、舞は150cm前後だろう。その対格差など無意味なほどの、圧倒的な力の差。
「舞のことを裏切るおつもりですか?」
俺を見上げ、首をことんと傾けて訊ねる舞。その顔はかわいらしいお人形のようだ。瞳に生気が宿っていない。
「お前、俺を舐めてるだろ」
誰にそんな目を向けている。まさか俺がお前を裏切ると、本気で思っていたのか。
「で……でもでもっ。若様はあのメスと……!」
「藍羽とは仲直りする。でも兄貴たちへの復讐もするし、ヤクザの仕事だって全うする。そしてお前も結愛も普通の人生に引き戻す」
「ですが全部叶えるのは到底……」
「だから舐めてるだろって言ったんだ。俺にできないと思ってるのか?」
教室で騒動を起こして兄貴たちから来させるように仕向けた。その後どうするかも既に考えてある。ただそこに藍羽と仲直りすることが加わっただけだ。
「俺はお前を幸せにする。あの時の約束は絶対に裏切らない。だから黙って俺についてこい」
あまりこういう強い言い方は好きじゃない。だが言えるのが、俺なんだ。嫌なことだってなんだってやってやるさ。望みを叶えるためなら。
「わ……わかしゃま……っ。しゅきぃぃぃぃ~~~~っ」
俺を抑えつけていたが一転、抱きしめる強烈な万力へと変わる。どうしてこんな小さな身体にこれだけの力が宿っているのか。
「ほしいもんはどんな手を使ってでも手に入れる。それがヤクザだろ。だから手伝ってくれ、俺の夢を」
「はいっ。舞は若様に一生ついていきますっ」
すっかりいつものぽわぽわとした笑顔に戻った舞。だがこの笑顔は触れれば一瞬で崩れてしまう脆い硝子細工だということも知っている。この笑顔を守るためには、俺は全てを手に入れなければならないのだ。
結愛の、舞の、俺の、そして藍羽の。全員の望むものを。




