72.ただの怪物①
原初の魔獣たちは、意識の奥底で繋がっている。
彼らは互いの位置や情報をリアルタイムで観測し合っている。それ故に、遠く離れた地で勃発した戦いも、その顛末も伝わっていた。
とある古びた屋敷に、男女の一組が座っている。男は貴族の当主が座るような大きな一人用の椅子に腰かけ、割れた窓から外を見ている。
女は汚れたソファーに座り、男のほうに視線を向ける。
「気づいたかしら?」
「ああ。アギアがやられたみたいだな」
「そうみたいね」
彼らの中にもシオリアと同じように、原初の魔獣の意志が宿っている。彼らはアギアの死を感じ取っていた。
ただ死を知るだけではなく、彼らはアギアが死に際に体験した光景を記憶として保管することができる。
「太陽に……影の異能か。俺たちの時代にはなかった異能だ」
「ええ……」
「どうかしたか?」
「ふふっ、なんでもないわ」
男は訝しみ、女は笑みを浮かべる。
その笑みは月明かりに照らされ、不気味というよりも妖艶だった。淡く白がわずかに紫がかり、長い癖のある髪をなびかせる。
その容姿が、見せた笑みがセレネに似ていた。
「数奇な運命ね……セレネ」
◇◇◇
「――以上が、今回の騒動と顛末についてよ」
守護者と王が一室に集まり、長い机を挟んで向かい合う。その場で私は、彼らに向けてここ数日に起こったことを説明した。
人間が魔獣と化す……正確には、かつて存在した強大な魔獣が、現代に人間を依代として蘇ってしまった。
その一人が、私の義母でありソレイユの実の母親だった。
「そっちも驚きだけど、僕は太陽の守護者が生まれたことにも驚いたなー」
そう言いながら、大気の守護者ロレンスがソレイユに視線を向ける。前回の魔獣退治前の会議には参加しなかったソレイユも、異能を発現したことで今回から同席している。私の隣の席に座り、緊張しているところでロレンスの発言だ。
ソレイユはビクッと身体を震わせ、ロレンスに愛想笑いをする。
「黙っていて申し訳ありませんでした」
「いいよいいよ別に! 僕は驚いただけだからね」
そう言いながらニコニコするロレンスに、ソレイユは反応に困っていた。彼の飄々とした態度は相変わらずだ。
彼のことだし、ソレイユが異能をずっと前から使えたことにも気づいていたかもしれない。
「でもよかったね。姉妹仲よく異能に目覚めて! これでお互いの距離も縮まるんじゃない?」
「ロレンス、お前は少し静かにしていろ」
「あ、はい。ごめんなさい」
調子に乗ってペラペラしゃべっていたロレンスだったけど、ゴルドフの低い声に止められて、しょぼんと縮こまる。
空気の読めないロレンスと違って、ゴルドフは私とソレイユの心を気遣ってくれているように見えた。アレクセイもいつもより静かだ。
ゴルドフが私とソレイユに視線を向ける。
「先の戦い、二人に任せてしまって申し訳なかった」
「気にする必要はありません。私たちは、私たちの意志で戦っただけですので」
「……そうか、強いのだな」
「私だけじゃありませんよ?」
「ああ。ソレイユ・ヴィクセント殿」
ゴルドフはソレイユに視線を向け、軽く頭を下げる。
「此度の戦い、騎士団を代表して感謝する。そして、同じ守護者として今後も王国のため、人々のために尽力して行こう」
「はい! 若輩者ですが頑張ります」
ソレイユは太陽のように笑顔を見せ、ゴルドフも微笑む。実の母を亡くして二日しか経過していない。心の傷は癒えていなくとも、他人に弱さを見せないように笑顔を作る。
それができるのは、心が強い者だけだ。
ゴルドフは見かけによらず強い心を持ったソレイユに、深く頭を下げ直して感謝を伝えた。
あの日、ゴルドフとアレクセイには王であるユークリスの護衛を担当してもらっていた。狙いが守護者であるなら、王も命を狙われる可能性があった。
原初の魔獣はアギア以外に五体存在している。もし、それらも復活しているのなら……と経過したけど、今回は何事もなかったそうだ。
しかし私は、予感ではなく確信をもってこう考えている。
「残りの原初の魔獣も、現代に蘇っていると考えるべきだと、私は思っているわ」
「俺も同感だね。偶然一体だけ蘇りました。なんて、単純な話じゃないと思う。何せただの魔獣じゃない。人間を依代にするような魔獣だ」
アレクセイが私の発言にいち早く同意した。ゴルドフもそれに頷き、他の面々もそれぞれに肯定的な反応を見せる。
彼らも感じ取っているのかもしれない。異能を宿す者として、見えない恐怖が迫っていることに。
ゴルドフはエトワールに尋ねる。
「ウエルデン卿、星読みはどうだったのだ?」
「残念ながら、今のところ何も」
「そうか」
星の守護者の異能は、未来を見通す星読みという力だ。エトワールは自身に起こる悲劇や不運を予め見て知ることができる。
非常に強力な異能ではあるけど、自身の周囲で起こることでなければ見ることができない。遠い未来は分岐するため不確定で、見た未来と違う道をたどることもある。
他にも細かな制約があるものの、王国に強大な影響をもたらす災害級魔獣の襲撃も、ロレンスからの情報を元に予知できていた。
今回何も見えなかったということは、少なくとも彼の周りで何かが起こるわけじゃなく、王や守護者たちの身に悲劇が起こるわけじゃないということ……。
もしくは、私にだけ何かが起こるかもしれない。彼の異能の唯一の例外として、私の姿は未来視には映らないから。
エトワールの視線が、一瞬だけ私に向いたことに気付く。
「……」
どうやら本当に、私のせいで未来が見えなかったのかもしれないわね。だとしたら、シオリアが最後に言い残したセリフは……。
考えながら、私はゴルドフに尋ねる。
「騎士団のほうで何か情報はないのかしら?」
「それなんだが、セレネ殿が言っていた六体の魔獣の名前について、少し気になることがある」
「教えてもらえる?」
今は少しでも情報がほしい。
私だけでなく、その場の全員がゴルドフに集中し、彼は一呼吸置いて答える。
「現在、騎士団では王国の人々を脅かす複数の組織を追っている。そのうちの一つに、近年勢力を増している盗賊団、明け色の雫がある。その団長と副団長の名前が……ヴィクトルとセラフという」
「ヴィクトル、セラフ……」
どちらも原初の魔獣の中にあった名前と同じだった。
ゴルドフは明け色の雫について、今のところわかっている情報を私たちに開示してくれた。
明け色の雫は二十年ほど前から王都近郊で活動している盗賊集団の一つ。当時は数ある盗賊団の一つであり、さして脅威と呼べる一団ではなかった。
それが近年、勢力を拡大させている。構成人数が何十倍にも増え、盗みの規模も個人から組織、街へと大きくなっている。
今や王国トップの盗賊集団となりつつあり、ゴルドフたち騎士団も動向を警戒していたらしい。
そんな彼らを束ねるトップと、ナンバーツーの名前が原初と同じ……。
「ただの偶然じゃないんですか?」
ロレンスが軽口でゴルドフに言う。するとゴルドフも、その可能性は高いのだが……と、あいまいな返事をした。
実際、名前が似ているだけということはありえる話だ。シオリアがそうだったように、魔獣の名前を名乗っているとは限らない。
ただ、今のところ他に有力な情報はなかった。
「その盗賊団はどこにいるの?」
「アジトは複数ある。我々も何度か討伐作戦を決行しているが、先に話した二人だけは捕まえられていない」
「次に討伐作戦をする予定は?」
「今回の話を受けて優先順位を引き上げるつもりでいる。早ければ十日後にも決行する。有力なアジトを一つ見つけた」
「そう。その作戦、私も参加するわ」
ゴルドフがピクリと眉をひくつかせる。他の面々も、私の発言に驚いているような反応をしていた。ユークリスとソレイユ以外は。
「騎士団の作戦に協力してくれるというのか?」
「ええ、と言っても作戦の一部には組み込まないでほしいわ。私は独自の立場で動くつもりよ」
「……邪魔をしないなら構わないが……なぜだ?」
「決まっているわ。その二人が原初の魔獣なら、私も無関係ではないもの。降りかかる火の粉は、先に排除しておきたいのよ」
私とゴルドフは視線を合わせる。彼の視線から、それだけが理由かと疑問視する感情が透けて見えた。
もちろん、理由はそれだけじゃない。原初の魔獣アギアの核を砕いた時、過去の情報が頭に流れ込んできた。
確信はないけれど、魔獣たちは過去の記憶の一部を保管している。核を砕くことで獲得できるなら、他の守護者たちに渡すわけにはいかない。
それに……。
「一人目がヴィクセント家の人間だったのよ。それ以上に、私が関わろうとする理由がある?」
「……そうか。なら日程は追って伝える」
「感謝するわ。ボーテン卿」
「いや、礼を言うべきは本来こちらだ。騎士団に変わり、王国を守ってくれたこと、感謝する」
ゴルドフは私にも頭を下げた。
感謝なんてされる必要はないし、その資格もない。私は別に、国のために戦ったわけじゃない。私はいつだって自分のために戦う。
シオリアの件だって、身内の問題だから率先して解決しに動いただけだ。今回も……。






