66.憎しみの獣⑥
勝負は私たちの勝ちとなり、自分から仕掛けた勝負で敗北したはずのシオリアは、最初から最後までニコニコと笑っていた。
ソレイユの敗北をなんとも思っていない。
それどころか、私とソレイユどちらも称賛するような言葉をかけている。その態度が、言動が、何もかもが気持ち悪かった。
「これで、当主はこれまで通り私でいいわね?」
「ええ、もちろんよ。見事だったわ」
「……じゃあ、当主として聞くわ。シオリア・ヴィクセント……貴女は何を考えてこんな茶番を仕掛けてきたの?」
「あらあら、茶番なんてひどい言い方ね。妹が健気に昔の貴女を取り戻そうと頑張ったのに」
「ふざけないで。どうせそれも、貴女が嗾けたんでしょう?」
シオリアはニヤリと笑みを浮かべる。
ソレイユは甘すぎるほどに優しい。自分から、私と戦おうなんて考えが浮かぶはずがない。シオリアが唆し、逆らえない命令を下しただけだ。
その結果、彼女は何を得た?
私にはさっぱりわからない。彼女が何を考えているのかが……だから尋ねた。
「答えなさい。これは当主としての命令よ」
「怖い顔……そういうところはラルドにそっくりね」
「一緒にしないで」
「ふふっ、私の目的が知りたいのよね? ええ、教えてあげるわ。十分にいい頃合いだもの」
シオリアは嬉しそうに語りながら周囲を見渡す。
不気味な笑みが張り付いたその顔で、私と視線を合わせる。
「ソレイユは頑張ってくれたわ。欲を言えば、もう少し貴女のことを追い込んでほしかったのだけど……」
「何を言っているの?」
「でも十分だわ。大地と水の守護者は激戦を終えて戦える状態じゃなくなった。ソレイユは戦意喪失しているし、貴女も多少は疲れているでしょう?」
「だから……どうしたというの?」
不気味な雰囲気がより明瞭になっていく。
見間違いだと思っていた。けれど、ハッキリと見えているそれを、見間違いだとは思えなくなる。
それが見えているのは私だけじゃない。私から距離を離し、ずっと後ろにいたディルも違和感を感じ取っていた。
「この感覚は……」
「どういうことなの?」
シオリアの身体から黒く濁ったオーラのようなものが漏れ出ている。私がディルに纏わせていた影の力に似ていた。けど、明らかな別物。
未知の力、新たな異能の発言?
違うことはハッキリしていた。私はこの感覚を知っている。目の前にして、対峙している。
シオリアが放つそのオーラは……。
「魔獣の……力?」
「ふふっ、さぁ――時間よ」
シオリアが両腕を広げると、彼女の背後の地面に黒くどろどろとした穴が生成された。穴の中からボコボコと姿を見せたのは、異形の怪物……魔獣の群れ。
四本足で狼のような鋭い牙を持ち、赤黒い瞳でこちらを見つめている。その数は十……二十を超えている。
加えて翼をもつ魔獣もいる。見た目は大鷲に似ているけど、不気味な骨が見え、まるで大鷲が腐りかけた状態で固まったような姿だ。
とにかく不気味で、魔獣らしい見た目をしている。
「本当によくやってくれたわ、ソレイユ! 貴女のおかげで、私は簡単に守護者たちを殺すことができてしまいそうよ」
「お、お義母さま?」
「ええ、そうよ。私は貴女の母親よ」
シオリアがソレイユに見せた笑顔は不気味すぎて、隣で見ていた私でさえ背筋がぞっとする。
シオリアがどうやって魔獣を召喚したのか、彼女が魔獣と同じ力を纏っている理由はなんなのか。
疑問しか浮かばないし、状況の整理はつかない。けれど今、私がすべきことは悩むことじゃない。
「影の檻よ」
「ふふっ、さすがに行動が早いわね」
シオリアと魔獣をまとめて影で捕えようとしたけど失敗する。シオリアは大きく後退し、魔獣たちは四方へ散り散りになる。
一瞬にして私とソレイユは魔獣に囲まれてしまった。
「セレネ!」
「ディル!」
「くそっ、こいつら……」
私たちとディルの間にも魔獣たちが立ちふさがる。分断されてしまったけど、彼のことなら心配はいらない。魔獣の数は多いけど、あの時のような災害級の魔獣たちじゃない。
私の力なら十分に戦える。
「私のことはいいわ! それより……」
「ひ、ひぃ! 魔獣がどうして!」
私はコロシアムの端っこに視線を向ける。
立会人の男が腰を抜かし、今にも魔獣に襲われそうになっていた。彼はシオリアに雇われてここにいる。ハッキリ言って不憫ね。
「可哀想だから助けてあげて」
「……わかった。油断するなよ」
「貴方もね」
「さぁ……」
不気味な笑みを絶えず表情に張り付けているシオリアと、私は改めて視線を交わす。
見た目は人間、シオリア・ヴィクセントで間違いない。人間の姿に化けることができる魔獣が存在した?
だとしても、さっきまでの振る舞いが説明できそうにない。彼女の口調や立ち振る舞い、その全てが彼女はシオリアだったと告げている。
しかし今の彼女は……人間の形をしているだけで怪物に見える。
「ふふっ、考えているわね。私が何なのか。魔獣なのか……人間なのか、わからないでしょう?」
「……」
「特別に教えてあげる。どちらも正解よ」
「どちらも……?」
「そう。私は見ての通り人間……貴女たちがよく知るシオリア・ヴィクセントで間違いないわ。けれどそれだけじゃない……私は魔獣の力を、意志を持っているの」
「魔獣の意志?」
シオリアが何を言っているのか私には理解できない。ただ、どこかの魔獣がシオリアに化けていたわけじゃなさそうだ。
彼女はあくまで、私たちが知っているシオリア・ヴィクセントらしい。私にとっては義母であり、ソレイユにとっては……。
「本当に、お母さま……なのですか?」
「ええ、そうよソレイユ、ビックリしたかしら?」
「どうして、そんな力を持っているのですか? お母さまは、魔獣になってしまったのですか?」
ソレイユの悲痛な叫びと疑問が木霊する。
彼女にとっては実の母親。肉親が目の前で、異形の者たちを従えて笑みを浮かべている。恐ろしい以上に、理解が追い付かないはずだ。
シオリアはニタっと気持ちの悪い笑顔を見せる。
「私は私よ、ソレイユ」
「っ……」
「諦めなさい! ソレイユ」
「お姉……さま……」
動揺しているソレイユを庇うように、私は彼女の前に立つ。
「見ての通りよ。あれはもう、私たちが知っているお義母様じゃないわ」
「……」
「感じるでしょ? あの人が纏っている力……あれはもう怪物だわ」
「ふふっ、怪物だなんて、母親に対してひどいことを言うのね?」
「今さらよ。それに……あなたは私の母親じゃない。ただの他人だわ」
シオリアがぴくっとわずかに眉を動かし、ニヤリと笑みを浮かべる。
「そうね。貴女は私の子供じゃないわ。あの忌々しい女の子供! ああ、ようやく殺せるのね!」
シオリアは歓喜に満ち溢れる。
笑みから零れ出す殺意が私に向けられ、それに合わせるように魔獣たちが一斉に襲い掛かる。
「影の茨よ」
私は周囲に影を広く展開させ、地面から無数の影のトゲを生み出し、襲い掛かってきた魔獣たちを串刺しにする。
「この程度の魔獣で、私を殺せると思っているの?」
「そうみたいね。なら私も、とっておきを出してあげましょう」
シオリアの背後に再び沼のような穴が生成される。八か所の沼からずぼっと飛び出したのは、黒ずんだ八本の足。
うねうねとうごめき、吸盤のようなものがついている。見た目は巨大なタコの足だ。
シオリアが右手をかざすと、巨大なタコ足が私に向かって倒れ込む。私は咄嗟に影をドーム状に変形させ、タコの足を防御した。
凄まじい衝撃に地面がピキっとひび割れる。
一撃、二撃、三撃と連続でバタバタとたこ足が私を襲う。
「っ……」
「ふふっ、いつまで耐えられるかしらねぇ」
「なめないで」
私は影を操り、シオリアが操るたこ足と同じものを作り出す。八本の影の足がたこ足と絡み合い、攻撃を受け止める。
「影遊びの真似っこね。悪くはないけど、それじゃ足りないわよ」
しかし、影の足は本物のタコ足を完全に止めることができなかった。強度と攻撃力で劣っているせいで、すぐに数本破壊されてしまう。
私はすぐに再生成して攻撃を受けに行く。
「健気ね」
「……」
「お姉さま! 私も!」
「動かないで!」
私はソレイユを怒鳴りつけてしまった。きっと彼女は自分も戦うと言うつもりだったのでしょう。
けど、今のソレイユは私との戦いで力の大半を使い果たしている。とてもじゃないけど戦力にならない。そうさせたのは私だ。
思った以上にギリギリの戦況に焦りが生じる。
本当ならソレイユも、自分の身くらい自分で守れたはずだ。それができないほど本気を出させたのは私だから、私が守らないといけない。
それが私の責任……そう思ってしまった。
「……ふっ」
滑稽なのは私のほうだ。
妹を守るのは姉としての責任……なんて、今さら言える立場じゃないのに。
「お姉さま……」
「大丈夫よ。私の傍を離れないで」
「……はい」
「安心しなさい。二人仲よく、殺してあげるから」
シオリアの攻撃が激しさを増す。






