64.憎しみの獣④
「はぁ……嬉しいな。ちゃんと全力を出してくれているみたいじゃないか」
「当然だ。アレクセイ殿は戦士の眼をしていた。その眼をしている相手を前に、騎士たる俺が手を抜くことはない」
「さすが、この国を守り続けてきた男……その強さに敬意を表する」
アレクセイは大きく深呼吸をして乱れたリズムを整える。その瞳は静かに、しかしまっすぐにゴルドフに向いている。
ゴルドフは剣を構えなおす。
「悔しいが、どうやら今の俺ではボーテン卿には勝てないらしいな」
「――! それは、降参するという意味か?」
「そんなわけないだろう? 男が一度戦いを挑んでおいて、負けそうだから降参する? そんな無様な姿を誰が見せられよう!」
「……ならば」
「ああ、俺は戦う。勝てないことは悟ったが……それでも――」
アレクセイは右手をかざし、人差し指を突き立てる。その指先には、小さな水の球体が浮かんでいた。
「負ける気は毛頭ない!」
「――」
直後、ゴルドフが駆け出す。
彼は悟ったのだ。その小さな球体が、アレクセイにとっての切り札であることを。と同時に、二人の戦いを観戦していた私は気づく。
アレクセイが能力で生成した水は、自然に蒸発しない限り消えることはない。戦いが長引くほど、水は周囲に溜まり続け、アレクセイにとって有利なフィールドになる。
しかし、気づけば辺りから湿気が消えている。
水の猛攻、巨大な水の牢獄までせいせいしたのに、地面には水たまり一つすらできていない。
この短期間で自然に蒸発することは考えにくい。ならば、彼がこれまで生成した水はどこに消えたのか。
その答えこそが、アレクセイが指先に浮かべる小さすぎる水の塊だった。
アレクセイが水の牢獄で見せた技。集めた水をさらに高密度に圧縮させる力を、極限まで高めて作り出した一粒の雫。
その小さな小さな水の塊には――大洪水を起こすだけの水圧が込められている。
「死なないでくれよ。お互いにな」
「くっ――」
ゴルドフが斬りかかるよりも一瞬速く、アレクセイは高圧縮した水を全て解放した。爆発的に四方へ散った水の勢いは、観戦していた私たちの元へ届くほど。
それでも私たちを巻き込むほどではなかった。ここまで計算して技を放ったのなら、素直にアレクセイの技量に感服する。
たとえ……勝てなくとも。
「ごほっ、ぐ……」
水圧に押し流されたゴルドフが、壁にもたれかかりながらせき込む。至近距離で水圧を食らって尚、意識を保っている。
「なんてタフさだ」
「アレクセイは?」
視線の先に、地面に倒れ込んでいるアレクセイを発見した。胸は動いているから死んではいないけど、起き上がらない。
立会人が慌ててコロシアムの中心に立つ。
「アレクセイ様は戦闘不能となりました! よって勝者は――」
「待て!」
呼び止めたのはゴルドフだった。
彼は未だ地面にしゃがみこみ、剣も手から離している。
「俺も……まったく動けそうにない。だから、ここまでだ」
「で、では……」
「ああ、構わない。この勝負は――」
「引き分けね」
予想外のことが起こって、私も思わずボソッと言葉が漏れてしまった。
彼には失礼だけど、ゴルドフとの一戦は完全に捨て試合で、アレクセイが勝利するなんて微塵も思っていなかった。
両者の間には、それくらいの実力差があったと見ている。
それがまさか……勝利こそできなかったけど、引き分けるなんて。
「嬉しすぎる誤算ね」
「ああ。ちゃんと労ってやれよ」
「……そうね」
私はゆっくりと倒れているアレクセイの元に歩み寄る。彼は未だに動きもせず、仰向けに倒れていた。
私は彼の傍らに立って、顔を覗き込むように見下ろす。
「生きているかしら?」
「……ああ、なんとかね」
かすれた声が返ってきた。肩と胸を大きく動かし呼吸しているところを見ると、ひどく消耗しているのは明らかだ。
「治療はできるのでしょう?」
「できる……が、残念ながら肋骨が数本折れている。俺の力では、骨折までは治せない」
「そう。だったらしばらく安静にしていることね」
あれだけの爆発的な水圧に押し出されて、肋骨数本の骨折で済んでいるのが奇跡だと思う。下手をすれば二人とも死んでいた。
「随分と派手にやったわね」
「そうだね……あれくらいやらないと……勝てないと悟ったのさ」
「そう」
「……結果は?」
「引き分けだそうよ。ゴルドフは意識があったみたいだけど、ピクリとも動けないそうね」
「……そうか」
アレクセイは唇をかみしめる。
「すまなかった。期待に応えることができなかった」
「……そんなことないわ。期待以上よ」
「だが、俺は勝てなかった」
「負けると思っていたのよ、私はね。相手は世界最強の男、どうあがいても勝ちの目はないと思っていたわ」
「ああ、彼は強かったよ」
「そうね。けど、そんな男と貴方は引き分けたわ」
世界最強の男と戦い、倒せないまでも彼を戦闘不能まで追い込んだ。ディルのように不死身でもない彼が成し遂げた。
「胸を張りなさい。貴方のこと、少しだけ見直したわ」
「……ははっ、惚れ直してくれても、いいんだぞ?」
「ふっ、それは無理よ。最初から惚れていないもの」
「それは……残念だ」
悔しそうに、けど少し満足気な笑顔を見せて、彼は意識を失った。
しゃべっているだけでも辛かったはずだ。私の前だからって格好つけて、平気なフリをしていたのでしょうね。
まったく、強がりが強すぎる人だわ。
その後、アレクセイは救護の人たちに担がれ、コロシアムを去って行った。ゴルドフも一緒に、といっても彼の場合は、自分の足で歩いてだけど。
二人を見送った私とディルは、改めてシオリアと向き合う。
「おめでとう、セレネ。ここまで一勝一分けね」
「……予想外ではなかったの? ゴルドフ・ボーテンの引き分けは」
「ええ、予想外だったわ。負けるとは思っていなかったけど、引き分けまで考えていなかったわね。そういう意味で、初戦の結果も驚いたわ。ソレイユの、太陽の加護を受けた人間に勝ってしまうなんて」
「……」
私はシオリアを見ながら訝しむ。
どうして笑っていられるの?
一勝一分け、これでもシオリアたちの勝利はなくなったようなものよ?
「一応先に確認しておくわ。もし最後の戦いでそっちが勝った場合、勝敗はどうなるの?」
「その時は引き分け。お互いに代表者を一人出して、その勝敗で決着をつけるわ。代表者はすでに戦った三人の誰かよ」
「……そう」
やはり意味がわからない。
大将戦は私とソレイユの戦いになる。ハッキリ言って勝負にもならないと私は思っている。
いかに太陽の異能に覚醒していても、ソレイユがアレクセイやゴルドフのように、異能を駆使して戦えるとは思えない。
仮に私が棄権して、大将戦を敗北にしたとしても、向こうの陣営で決戦に出られるのはソレイユしかいない。
私かディル、どちらかとの戦いは避けられないし、ディルでも彼女に負けるところなんて想像できないわ。
状況はシオリアにとって圧倒的に不利なはず……なのに、彼女は未だ笑みを浮かべていた。
何を考えている?
何を狙っているの?
不気味さが増して、人間を相手にしている感覚じゃなくなってくる。
でも……。
「それじゃ、最後の戦いを始めましょう」
私がソレイユに勝利すれば、シオリアが何を考えていようとも関係ない。当主として改めて、彼女の思い描いた計画を聞き出してあげましょう。
私はソレイユに視線を向ける。
「私たちの番よ、ソレイユ」
「……はい」
まったく乗り気じゃないソレイユだったけど、ここに来て少しだけやる気を見せる。やる気、というより覚悟を決めたような顔だった。
「やり過ぎるなよ」
「それは相手次第よ」
心配そうな顔をするディルを横目に、私はコロシアムの中心へと歩いていく。
私とソレイユは立会人を挟んで向かい合う。
「三戦目につき、ルールの確認は割愛させていただきます。両者ともよろしいですか?」
「ええ、私は構わないわ」
「……大丈夫です」
私とソレイユの同意を確認したところで、立会人は両者の顔を一度ずつ確認し、決闘開始の合図を口にする。
「それでは……始め!」
ついに始まった最終決戦。この戦いで私が勝てば、これまで通り当主としての地位は守られる。
ソレイユ陣営にとっては負けられない戦いだ。だけど……。
「こないの?」
「……」
開始の合図が聞こえてから、すでに十秒が経過していた。ソレイユは一歩も動かず、黙って私のことを見つめている。
私はあえて動かなかった。彼女に、ソレイユの出方を見たかったから。もちろん、それだけじゃなくて……確かめたかった。
「……はぁ、最後にもう一度だけ確認してあげるわ」
「……」
「ソレイユ、私と戦う気はあるの?」
「――!」
ソレイユはピクリと反応して見せた。
こうして向かい合って尚、未だに私への敵意は感じられない。戦う者が放つ覇気もなく、廊下で偶然すれ違った時のように、ただ私の前に立っている。
立ち姿も戦いの素人でしかなくて、正直……気が抜けてしまう。だから問いかける。彼女自身の意志がどこにあるのかを。
私の中でも、少なからず良心は残っているつもりだ。戦う意思すらない相手を、一方的になぶるつもりはない。
彼女が降伏するのであれば、私はそれを認めよう。
「……あります」
「――! ソレイユ……」
「私は戦います。お姉様と!」
「……そう」
どうやら、余計な気遣いをしてしまったようね。
彼女の瞳に、初めて戦う気力が宿ったように見える。覚悟を決めて、か弱い拳をぎゅっと握っている。
「なら、手加減はできないわよ」
私の前に敵として立ちはだかるのなら、相手がソレイユでも容赦はしない。
障害は排除する。全力で。






