63.憎しみの獣③
初戦で勝利を収めた私たちは有利な立場にいる。
続く中堅戦も勝利すれば、その時点で私たちの勝利は確定する。ただし、中堅戦の相手はゴルドフ、世界最強の男だ。
ハッキリ言って勝利は難しい。と、私とディルは考えている。
「次は俺の番だな! しっかり応援していてくれ!」
「ええ、頑張って」
「ああ、よく見ておくんだ! この俺が君に勝利を届けてあげよう!」
「……」
どうやらこの男だけは、本気で自分が勝つと思っているらしい。この自信は一体どこから湧いてくるのかしら?
「私に負けた癖に」
「おい、せっかくやる気なんだから余計なこと言うなよ」
ディルがこそっと私の耳元で囁く。
「優しいのね」
「お前よりはな」
一戦目でしっかり勝利したディルが私の隣で呆れている。
そう、彼は勝利した。私にとっては当たり前の結果だけど、彼女にとっては計算外だったはずだ。
私はそっと視線をシオリアに向ける。
「どうかしたか?」
「……落ち着いているわね」
「……そうだな」
アイルズがディルに敗北したのに、シオリアは一切動揺していない。まるでここまで計画通りだと思っていかのような落ち着き様が……不気味で、不可解だった。
「ゴルドフはともかく、ソレイユが勝つと思っているのか?」
「どうかしら。だとしたら……不快だわ」
私のことを完全に侮っているってことでしょ?
か弱い妹相手に本気で戦えないとでも思っているのかしら?
そう予想しているのなら、考えの甘さを嘆くといいわ。
「何を怖い顔をしているんだい? フィアンセ」
「……違うって言っているでしょ?」
「つれないな。だが、そう気負うことはない。君が戦うまでもなく、次の戦いで勝敗は決する」
「だといいわね」
そんな奇跡が起こったら、確かに少し……彼のことを見直すかもしれないわ。ただ、そんな奇跡は……。
「起こるとは思えないけどね」
アレクセイの強さは知っている。実際に戦い、口先だけの男ではないことも理解している。それでも尚、相手が悪すぎる。
「両者前へ!」
立会人の掛け声に合わせ、二人は向かい合う。
水の守護者アレクセイ・ワーテルと、大地の守護者ゴルドフ・ボーテン。この両者が対立し、戦うことになるなんて……一体誰に予想できただろうか。
「不服そうだね。ボーテン卿」
「そう見えるか? アレクセイ殿」
「ああ、貴殿の性格は知っているとも。上からの命令には逆らえない立場だということもね」
「……」
ゴルドフは口を紡ぐ。否定しないということは、アレクセイの発言を認めるとことに等しい。アレクセイは笑みを浮かべる。
「だが、手を抜く気はないのだろう?」
「当然だ。俺は俺の役目を全うする」
「そうでなくては困る! 手を抜かれて勝利しても何の意味もないからな!」
戦う前から火花を散らす両者に、立会人も怯えていた。彼は逃げる様に、戦闘開始の合図を言い放つ。
「は、始め!」
一戦目と同じように立会人は下がろうとした。が、それよりも早く――
「うわっ!」
水と大地の力が衝突し、衝撃波によって吹き飛ばされてしまう。
開始の合図とともに動いたゴルドフとアレクセイ。ゴルドフは重力操作の力で強化した剣を振るい、アレクセイは生成した水を刃のように変形させて操る。
二つの力が衝突し、激しい突風と水しぶきが舞う。
「やるじゃないか! 俺の初撃を簡単に受け止めるなんて!」
「それはこちらのセリフだ」
ゴルドフが剣に力を込め、アレクセイの水の刃を両断する。咄嗟に後退したアレクセイは、水を渦巻くように操り、ゴルドフの左右から攻撃する。
ゴルドフは地面を蹴り飛ばし、周囲の地形を変形させて地面の盾を作り出した。水の渦は盛り上がった地面に阻まれてしまう。
ゴルドフが持つ大地の異能。その力は大きく二つ。周囲の地形を操ることと、重力操作だ。
彼の一撃は岩をも砕くほど強烈で豪快だ。その秘密は、単純な腕力ではなく、重力を操ることで爆発的は破壊力を生み出している。
対する水の守護者アレクセイの異能はいたってシンプルなもの。水を生み出し自在に操ることができる。
能力は単純だけど、これが意外と厄介だった。私は実際に戦ったことがあるからわかる。
水というものは液体で、どんな形にも変化する柔軟性を持ち、高密度に圧縮することで岩をも砕く破壊力を生むことも、鋭く鋭利な刃に変わることもできる。
まさに変幻自在、十の予測に百の結果で応えることができる万能な力だ。
「水よ舞え! この空間を支配しろ!」
アレクセイは優雅なダンスを踊るように水を操り、周囲を水で満たしていく。彼は空気中に存在する水分すら操り、空間を自身に都合のいいフィールドへと変貌させる。
しかし当然、ゴルドフも見ているだけではない。
彼は大地の異能で重力を支配し、周囲を蠢く水を悉く大地へとしみこませる。
「無駄だ。俺を前に、その程度の軽い攻撃は届かない」
「そのようだね! だったらこういうのはどうかな?」
突如として地面から水しぶきが舞う。
アレクセイは地上だけではなく、目に見えない地下でも水を蓄えていたらしい。その水源の一気に解き放ち、瞬く間に空間は水で満たされる。
作り上げられたのは水の牢獄。
球体のように水が集まり、ゴルドフを包み込む。
「まだ終わらないよ!」
「――!」
さらにアレクセイは、球体となった水を圧縮させる。アレクセイの狙いは水中での窒息ではなく、水圧で押しつぶすこと。
いかにゴルドフとはいえ、その肉体は人間のものだ。四方八方、隙間なく押し寄せる水の圧力に耐え続けられない。
「さぁ、降参するなら――!?」
アレクセイは驚愕する。
高密度に圧縮され、普通なら圧力に負けて気絶する水圧の中で、ゴルドフは剣を上段に構えていた。彼はそのまま振り下ろす。
たった一撃で、水の牢獄は両断された。
「……まさか、これを破るとはね」
「……ふぅ」
全身ずぶぬれになりながら、ゴルドフは剣を大きく空振り、刃についた水滴を落とす。
負傷や疲労は一切見られない。
「今度はこちらの番だ」
ゴルドフが地面を蹴り、大きく前進する。
あまりの強さに地面がえぐれる。一瞬にしてゴルドフはアレクセイの眼前に迫り、横薙ぎの一撃を繰り出す。
間一髪、アレクセイはゴルドフと自らの間に水の膜を作り、光の屈折で距離を惑わせ回避した。
後退するアレクセイ。ゴルドフはそれを追撃する。
アレクセイは水を操り迎撃するが、ゴルドフはそれらを意にも返さず突進し、攻撃だけに集中していた。
先ほどまでとは打って変わり、ゴルドフ優勢の一方的な展開になる。
「はぁ……はぁ……」
攻撃を凌ぎ続けてきたアレクセイだが、先に体力の限界が訪れたようだ。肩を大きく上下させ、水ではなく汗が額から流れ落ちている。
誰の目線から見ても、アレクセイの敗色は濃厚だった。
「善戦したけどここまでね」
「ああ、これ以上はもう……」
「ええ。アレク――!」
もういいと、彼に声をかけようとした私は気づく。
誰もが彼の敗北を予感する中で、未だに瞳の熱意を絶やさない男がいることを。その男を前にして、一切の油断をしていない男がいることを。
私は直感した。
アレクセイはまだ諦めていない。勝つ気でいる。そして、そのことを悟ったゴルドフも、未だ緊張の糸を緩めていない。
二人は戦うつもりでいる。このまま、決着がつくまで。






