62.憎しみの獣②
指定された期間はあっという間に経過した。
そうそうに三人目の仲間を見つけた私たちも、焦ることなく準備に勤しみ、ついに決戦の日がやってくる。
場所は勝負を受けた私たち側に設定する権利があり、選んだのは王国が所有するコロシアムと呼ばれる闘技場だ。
天井は閉じられて日の光は入ってこない。
広さも十分で、壁や地面も強固に作られている。この中であれば、異能者が本気で戦っても周囲に迷惑は掛からない。
「悪くない場所ね」
「そう。気に入ってもらえてよかったわ」
コロシアムに到着した私は、シオリアと向かい合ってルールを改めて確認する。
「三対三の決闘。戦う順番に変わりはないわね?」
「ええ、もちろんよ」
「ならよかったわ。こっちも戦う順番を教えましょう。一人目は彼よ」
使用人の服に身を纏い、腰にサーベルを携えたディルが一歩前へと出る。彼は使用人らしく丁寧に、畏まる様にお辞儀をする。
「私の補佐役、ディルよ」
「セレネにとっての親衛隊みたいなものかしらね」
「そう思ってくれて構わないわ」
「ふふっ、悪くない相手ね」
シオリアは笑いながら、ディルの斜め後ろに立っている人物に注目する。
「驚いたわ。てっきり三人目は見つけられなくて、貴女が戦うことになると思っていたのに」
「予想通りにならなくて残念だったわね。戦うのは私じゃないわ」
「その通り! 次戦はこの俺、アレクセイ・ワーテルが請け負った!」
堂々と優雅に、ディルの横をするりと抜けてアレクセイが自分の存在をアピールする。ニヤリと浮かべた笑みで、シオリアと向かい合う。
「こうして直接話すのは初めてですね。シオリア・ヴィクセント」
「ええ、お会いできて光栄だわ。ワーテル卿」
「ああ、こちらも光栄だ。できれば、もう少し違う形でお会いしたかったがな」
「そうですわね。お互い、このような形でお会いするのは不本意だったでしょう」
「不本意……か」
アレクセイは不敵に笑う。
「とてもそう思っているようには見えないがな」
「あら、そうですか?」
「ああ……その瞳からは野心が感じ取れる。俺が誘いを断ったことを根に持っているのかな?」
「そんなことございませんわ。ただ……セレネの味方につくという選択は、間違いだったと後悔してしまわないか、心配なだけです」
「ははっ! それはありえない! 俺の選択は常に正しい! 未来のフィアンセに格好いいところを見せるチャンスだ! そういう意味では、貴女には感謝しているよ」
アレクセイとシオリアの、両者一歩も譲らない言葉での攻防が続く。この二人は性格的にも相性がよくない。
アレクセイが誘いを断ったのは、単に彼女のことが苦手だからじゃないだろうか。
まぁ、それは些細なことだ。
「期待しているわ」
ゴルドフの相手をしてくれることに。
「ああ、任せてくれ。華麗に勝利を収めてみせよう! なぁ、ボーテン卿」
「お手柔らかに頼もう。アレクセイ殿」
ゴルドフは変わらず毅然とした態度で振舞っている。ただ少しだけ、安心しているようにも見えたのは気のせいだろうか。
二人目までの顔合わせが終わり、シオリアが私に視線を戻す。
「そして最後は、貴女が戦うのね」
「ええ。そちらはソレイユでいいのね?」
「もちろんよ」
「……」
ソレイユがゆっくりと、シオリアの背後から顔を出す。相変わらず暗い表情で、どこか怯えているようにも見えた。
「ソレイユ、覚悟はできているのね?」
「……はい」
嘘ばっかりだわ。
本当は戦いたくない。争いたくないって顔に書いてあるみたいよ……。
私は心の中で溜息をこぼす。こちら側の人員が揃った時点で、この決闘はもはや茶番でしかない。
一戦目、ディルと親衛隊長途の勝敗がわかれば、シオリアも理解するかもしれないわね。この戦いに意味はないことを。
そうすれば……もしかすると、私たちが戦わずに済む未来があるかもしれない。なんて甘いことを考えて失笑する。
相手が誰であろうと容赦しない。そう口では言いながら、ソレイユのことを気にしている自分が、どうしようもなくおかしくて。
私は大きく長く深呼吸をして、シオリアに提案する。
「さぁ、そろそろ始めましょう」
「そうね。じゃあ……始めましょうか」
太陽の守護者と影の守護者。同じ家に生まれてしまった二つの異能。
こうして私たちは、当主の座をかけて戦うことになった。
「頼んだわよ、アイルズ」
「はい。お任せください。シオリア様、ソレイユ様」
初戦の相手は、お互いの懐刀と呼ぶべき存在。ソレイユ陣営の先鋒は、親衛隊の隊長を務めるアイルズ。
元王国騎士団の部隊長を務めた彼は、私の父で前当主だったラルドにその実力を買われ、親衛隊としてスカウトされた。
剣士としての実力は言わずもがな。親衛隊として二十年余り、ラルドの元で戦ってきた。戦闘経験はおそらく、私やディルを大きく上回っている。
守護者を除けば、彼と戦える人間なんて数えるほどしかいないでしょう。シオリアも、彼が負けるとは思っていない。
だけどそれは……。
「何度も言うけど、負けちゃダメよ?」
「ああ、任せてくれ」
彼が負けるはずないと、そう思っているのはこちらも同じだ。
正直、アイルズが気の毒にすら思える。並の騎士たちが相手なら、太陽の加護がなくても余裕で勝利を収められるでしょう。けれども今回は相手が悪い。
アイルズが相手にする彼は、世界最強すら突破した男なのだから。
「両者前へ!」
決闘のために用意した立会人が、二人の間に立つ。格好からして彼も騎士団の一員なのだろう。ボーテン卿が手配した人員なら多少信用はできる。
もっとも、立会人なんて形だけで、勝敗は誰かが決めることではなく、当事者たちの間で決まることだけど。
「制限時間は無制限! どちらかが降伏、もしくは戦闘不能になるまで続行する! 武器、能力の使用も自由である! 相違ないか?」
「ああ」
「構いません」
「――では、始め!」
合図と同時に、立会人は大きく下がる。二人の戦いに巻き込まれないように。
が、二人とも開始直後には動かなかった。互いの腰の剣に触れ、抜く直前で睨み合っている。
「――なぜ、抜かないのですか?」
「こっちのセリフだ」
「……どうやら、狙いは同じだった様子で」
「みたいだな」
ディルとアイルズは、相手が攻め込んで来たところをカウンターで仕留める算段だった。しかし狙いが同じだったため、どちらも動くことはなかった。
アイルズが先に剣を抜く。
「どうやら、相当な手練れなご様子」
遅れてディルが抜く。
「それなりに訓練はしてきたさ。騎士団の人間が相手でも、剣で遅れはとらないようにな」
「そうですか。ならば――」
アイルズの空気が変わる。
「遠慮は不要ですね」
「そうしてくれ」
アイルズが猛烈な速度で前進し、ディルに斬りかかる。ディルはそれを見切り、同じタイミングと力で受け止めた。
鍔迫り合いになり、お互いに押し合う。
「この力……もしや貴方もですか?」
「ああ、借りているよ。彼女の異能をな!」
鍔迫り合いから剣を弾き、お互いに距離を取る。今の一瞬の攻防で、彼らは理解した。ディルが、アイルズが、自らの力だけで戦っているわけではないことに。
アイルズはソレイユから太陽の加護を受けている。全身からあふれ出る熱気と淡い光こそ、太陽の加護を受けている証明。
対するディルの身体からは、漆黒のモヤが漂っている。それは影の異能の残滓、彼の身体は今、異能の力で覆われている。
「卑怯とは言わないでくれよ」
「もちろんです。私にそれを卑怯という資格はありません。むしろ、安心いたしました」
「安心?」
「はい。これならば……対等な条件での決闘が成り立つ」
アイルズは剣を構える。
それに合わせる様に、ディルも切っ先をアイルズに向けた。
「あんた、騎士なんだな」
「はい。今でもそのつもりです」
二人は激しく剣劇を交わす。
その様子を私の隣で見ていたアレクセイが、感心した表情で言う。
「彼、中々やるじゃないか。いい動きだ」
「そうね」
実際はもっと速くて強いのだけど、私の異能が追い付ける範囲で戦っているから、この程度しか力を発揮できないわね。
影の異能に、太陽のような加護を与える力なんてない。ディルには影を纏わせているだけで、強化なんてしていない。
ただ私の影が強化しているように見せて、ディルが力を制限して戦っているだけだ。ディル以上に私も集中しないといけないわね。
魔獣との戦いで起こったみたいに、ディルの速度に影が置いていかれたら大変だわ。
「あら、影の異能にもそんな使い方があったのね。知らなかったわ」
「不勉強だったわね」
「ええ、そうね」
シオリアは不敵な笑みを浮かべたまま、驚いてはいても動じていない。
影の異能の強化を知っても、アイルズが負けるとは考えていないのでしょう。その自信、すぐにでも砕いてあげる。
「見せてあげなさい。ディル」
貴方の実力を。
「……」
戦いの最中、ディルと視線を合わせる。
これ以上動いてもいいのかと、視線で訴えかけてくる彼に、私は纏わせた影を操って後押しをする。このくらいなら追いつける、とアピールするように。
すると彼は、小さく笑った。
「ありがたい」
「くっ……」
突如、斬撃の速度が増したディルにアイルズが押し飛ばされる。吹き飛んだ先で一回転し、華麗に着地したアイルズが敵を見据える。
「……ずるい人だ。手加減をされていたのですか?」
「そういうわけじゃない。ただの気づかいだよ。もちろん、あんたに対してじゃない」
「……左様ですか」
アイルズは真剣な表情で剣を構え、ディルのことをじっと見つめる。集中力の深さが見ている側まで伝わってくるようだ。
剣士としての技量、鍛錬の質、これまでの経験……おそらく、どれをとっても今のディルを上回っている。それをディルも感じている。
ただ一点、彼らには大きな違いがあった。
「行くぞ」
「はい。受けて立ちましょう」
次の一撃で勝敗が決まる。刹那の決着は、ただ一振りの斬撃。気づけば互いに、背を向けて立っている。
振り下ろされた剣の……刃がカランと音を立てて地面に突き刺さる。
「……」
「……お見事」
砕けたのは、アイルズの持っている剣だった。
アイルズは剣から手を離し、その場にバタンと倒れ込む。
「勝負あり! 先鋒戦、勝者はセレネ陣営、ディル!」
「勝ったな」
「ええ、当然よ」
ディルが負けることなんてありえない。
最初はわかっていた。
経験も技術もアイルズのほうが上だけど、彼らには大きな差がある。与えられた強大な力が、自分自身のものか、否か。
これは大きく明らかな差だ。
ディルは最初から、自分自身の力で戦っていた。他者の加護で守られているだけの人間など、本物の異能者に勝てるはずがない。
この勝利は必然で、勝って当たり前のこと。
それでも……。
「よくやったわね、ディル」
「ああ」
期待した通り、十分な活躍に私は歓喜する。






