59.太陽が昇る⑤
ソレイユたちが出て行き、執務室は静かになる。どうやら彼女たちは予想通り、シオリアが生活している別宅に戻ったらしい。
二人きりになり、カーテンを閉めてからディルが呟く。
「どうするんだ?」
「戦うに決まっているでしょ? 今さら何?」
「違う。そうじゃなくて人員だ。戦えるのは俺とお前の二人だけだぞ」
「そうね。どうしようかしら」
表情や態度には出さないようにしているけど、内心では少し焦っていた。
決闘のための三人目が用意できるかわからない、ことより問題なのは、中堅にゴルドフがどっしり構えられているということだ。
貴族間での決闘には、古くから不変のルールが存在する。人数を揃えた決闘の場合、もしも欠員や不足が出たら、前か後ろ、どちらかに詰める。
例えば今回の場合、私たちが二人しか揃えられなかったとしよう。
そうなったら先鋒と中堅のみ戦うか、先方を不戦敗として中堅と大将のみ戦うことになる。要するに、真ん中を空けることができない。
つまり、あえて中堅であるゴルドフを避けて戦うことができないわけだ。
「やっぱり俺がゴルドフと戦うしかないか」
「ダメよ。戦うなら私しかいないわ」
「お前じゃ勝てないぞ」
「ハッキリ言ってくれるわね」
「言うさ。俺は身をもって経験している。あいつの実力は間違いなく世界最強だ。同じ守護者でも、戦闘力という面では抜きんでている。お前を含めてもだ」
「……」
そんなこと、言われなくても理解している。
ゴルドフとディルの戦いは、私も間近で見ていたのだから。どちらも人間の領域を遥かに超えていた。あの時だって、ディルが全力で戦ってようやく倒せたんだ。
私がいくら本気を出しても、ゴルドフには勝てない。能力的な相性もけど、身体能力の差が開き過ぎている。
それでも……。
「貴方が戦うわけにはいかないでしょ?」
「それは……そうだが……」
ディルは不満げに俯く。
決闘には私たち以外の眼もある。ディルは決闘に参加しても全力を出すことはできない。ただ、人数不足だから参加はしてもらうことになる。
「貴方が戦うのは先鋒よ」
「親衛隊の隊長だったか。ま、異能者が相手じゃなければ問題ないか」
「そうでもないわよ。あっちにはソレイユが、太陽の守護者がいるもの」
太陽の守護者には、他者を自らの力で強化する力がある。太陽の加護と呼ばれるその力は、ただの人間の力を何十倍にも増幅させる。
「異能なしで魔獣を相手にするようなものよ」
「それは……きついな。というより不正じゃないのか?」
「特にダメとも言っていないし、不正とは呼べないわ。だから、こっちも同じことをするのよ」
「――ああ、そういうことか」
ディルも思い当たった様子だ。
まだ記憶に新しい。守護者たち総出で、巨大な魔獣と戦った時のことを。
あの戦いにはディルも参戦し、彼は力を隠して戦うために、私の影で身体を覆った。影の異能には他者を強化する力がある、という嘘を実現させるために。
実際はただ影を纏っているだけで、ディルは自らの力で戦っていただけ。もちろん、本来の力より大幅に抑えた戦い方をしていた。
「あの時と同じようにすればいいわ」
「了解した。それならまぁ、負けはしないだろう」
「そうあってくれないと困るわ」
「で、俺はそれでいいとして……問題はお前のほうだろう?」
「そうね」
ディルはいつになく心配そうな表情で私を見つめる。
「相手はゴルドフだ。何か作戦でも用意していないと勝てないぞ」
「わかっているわ」
正攻法で戦っても勝ち目はない。ハッキリ言って絶望的な状況だけど、全力が出せないディルに戦わせるよりは可能性がある。
とても小さくてか細い可能性だけど……。
「お前が戦うより、三人目を見つけるほうが確実なんじゃないのか?」
「それもそうね」
三人目さえ見つかれば、二戦目のゴルドフを捨てることだってできる。ディルが勝ち、最後に私がソレイユと戦えば……勝てる。
問題は誰が私たちの味方をしてくれるか。
相手は大地の守護者、世界最強のゴルドフだ。彼と戦いたいなんて物好きがいるとは思えない。
「ロレンスならどうだ? あいつなら事情もある程度は知ってるだろ」
「そうね。影は通じているし、捕まえて無理やり参加させるのもありだわ」
影の移動先は、一度でも使ったことのある影を記憶している。以前におロレンスの影を移動したから、彼がどこにいても私はすぐに見つけ出せる。
確実に嫌がるとは思うけど、力づくでも言うことを聞かせましょう。
相手だって守護者の一人を味方につけているのだし、こっちが他の守護者を味方にしても文句は言われないでしょ。
「さっそく捕まえて――」
トントントン――
タイミング悪く扉をノックする音が響く。出鼻をくじかれた気分になりつつ、扉の前の誰かに声をかける。
「何かしら?」
「失礼します、セレネ様。お客様がお見えになられておりまして」
「客人? そんな予定はなかったはずよ」
「そうなのですが、お客様というのはその……」
扉越しで歯切れの悪い返事をする使用人に、ちょっぴり苛立った私はきつめに問いかける。
「誰なの?」
「はい。お客様のお名前は――」
「いつまでやっている! いい加減待つのは飽きたぞ!」
「あ、お待ちください! ワーテル卿!」
強引に扉が開き、その男は優雅に舞うように姿を現した。
憎たらしい笑顔を見せ、気取った態度は相変わらずで、ハッキリ言ってあまり好きではない。
水の守護者、アレクセイ・ワーテル。以前私に、言い寄ってきた変わり者だ。
「久しぶりだね。俺のフィアンセ!」
「……いつから貴方の婚約者になったのかしら?」
「最初からさ! 俺はずっとそう思っているよ」
「ふっ、よく言えるわね。私に完敗したくせに」
「覚えているさ。だがこうも言ったはずだよ? 俺は一度くらいの敗北で君を諦めたりはしない。俺のフィアンセに、君ほど相応しい女性はいないんだ」
彼は芝居がかったセリフを堂々と口にして、私に向かってウィンクをする。一連のやり取りに苛立って、私は小さくため息をこぼす。
「一体何をしに来たのかしら? 私は忙しいのよ」
「知っているさ。今は特に……妹との決闘で頭がいっぱいなんだろう?」
「――!」
私は小さく驚き、訝しむような視線を彼に向ける。
「なぜ知っているのか、と言いたげな顔だね」
「……貴方は」
「その前に確認だ! 君のほうは人員を集められたのかな?」
「人数のことも知っているのね」
私はため息をこぼし、正直に教える。
「一人足りていないわ。その一人を今から探しに行くところなのよ。わかったら邪魔しないでもらえる?」
「――ふっ、その必要はない。なぜならすでに、揃っているのだからね!」
「何を言っているの?」
「いるじゃないか! 目の前に頼れる三人目が」
そう言いながら、彼は自分の胸に親指を突き立てる。
頼れる三人目、それは自分だとあからさまに宣言していた。
「……本気?」
「もちろん! そのためにここへ来たんだ」
私は驚き、理解が追い付いていなかった。
アレクセイが私たちに協力してくれる?
一体……。
「何のために?」
「決まってるさ。君のためだよ、セレネ・ヴィクセント」
「……意味がわからないわ」
彼が私たちの味方をする理由が説明されていない。私たちは仲のいい友人でも、協力関係にある相手でもない。
これはヴィクセント家の問題だ。部外者であるアレクセイが関わる理由が見当たらない。すると彼は説明を始める。
「実をいうと、勧誘があったんだよ」
「勧誘?」
「ああ! 君の母親、シオリア・ヴィクセントさ」
「――! そう、貴方にも直接声をかけたのね」
ゴルドフは大臣たちを味方につけ、国王の命令という形で動かした。それとは別に、アレクセイも自分たちの陣営に取り込もうとしていたわけね。
けど、アレクセイは決闘の人員には参加していなかった。
つまり……。
「断ったさ。君と敵対する気は更々ない! 何より、君から当主の座を奪うだって? そんなことに俺が協力するはずがないんだ」
「……そう、一応感謝しておくわ」
ゴルドフだけじゃなく、アレクセイまで敵になっていたら……間違いなく勝機はなかったわね。
「感謝するのは早い。言っただろう? 俺は君の味方をするために来たんだ」
「聞いたわ。けど、本気で言っているの? 私の味方をしたところで何の得もないわよ」
自分で言っていて空しさすら感じるが、事実だ。
私の味方をしたところで、アレクセイに得なんてない。少なくとも、私が思いつく限りでは。
「得ならあるさ。君の記憶に残るだろう? 窮地に駆け付けた男として!」
「……恩を売るつもり?」
「そんな男に見えるかい? 俺はただ、君と共に戦いたいだけだよ」
「……」
私は彼の瞳をじっと見つめる。その瞳から嘘は感じられない。味方をしたいというのも、おそらくは本心なのだろう。
私は視線を逸らし、ディルと目を合わせる。
彼は小さく頷いた。考えていることは同じだと確認してから、アレクセイと向き合う。
「いいのね? 貴方の相手は、ゴルドフになるわよ」
「望むところさ! 彼とは一度、本気で戦ってみたいと思っていたんだ。世界最強なんて呼ばれているんだろう? その称号、俺が貰ってやろう」
「そう、覚悟しているなら止めないわ」
元よりゴルドフ相手に勝利は期待していない。彼と自ら戦ってくれるのであれば、たとえ負けてしまっても問題ない。
「じゃあ、ゴルドフ・ボーテンの相手は貴方に任せるわ」
「任されたよ! 見事に称してみせようじゃないか!」
「ふっ、あまり期待せずに見ているわ。思い切り戦ってちょうだい。骨は拾ってあげる」
「縁起でもないな」
ぼそりと、斜め後ろに立つディルが呟いた。
これで勝機は見えてきた。先鋒のディルが勝利すれば、アレクセイが負けようとも、私がソレイユに勝てばいいだけだ。
ゴルドフを相手にするよりずっといい。
何より、他の誰かに……彼女の相手を任せるよりもずっとマシだ。






