58.太陽が昇る④
約束の日がやってくる。と言っても、いつもと変わらない朝だ。
目覚めた私は仕度を済ませ、いつものように執務室へと足を運ぶ。部屋にはすでにディルが待機していて、昨日と同じように業務を始める。
書類に目を通し、受理する物には印を押し、右から左へ移動させる。
そうしている間に正午になった。私は時計の針に視線を向けて、ディルに呟く。
「来ないわね」
「ああ、静かなもんだな」
私は記憶を思い返す。確かにシオリアは今日だと言っていたはずだ。まさか自分から指定しておいて、忘れているなんてことはないわよね?
もしくは事情が変わったのか。
正直、来てくれないと困る。この話に進展がなくて、私も次にどう動くべきか悩んでいるのだから。
「……とりあえず昼食にするか」
「そうね」
私が席を立とうとしたとき、扉の前に誰かが立つ気配を感じた。
トントントン――
ノックの音が響き、私とディルは視線を合わせ、再び椅子に座る。
「どうぞ」
私の許しを聞いて扉は開く。
案の定、扉を開けたのは彼女たちだった。
「こんにちは、セレネ」
「――遅かったわね。お義母様」
ニヤリと不気味な笑みを浮かべるシオリアと、その隣で縮こまっているソレイユが部屋の中に入ってくる。
忘れていたわけではなかったみたいで、私は心の中で安堵した。これで話を進められる。
「遅かった、なんて、私たちのことを待っていてくれたの? 嬉しいじゃない」
「勘違いしないで。忙しい時間に来られても迷惑だから、早く用事を済ませたかっただけよ」
「あら、そう? なら先に確認しちゃおうかしら」
こほんと、シオリアは勿体ぶる様に咳払いをする。
笑みを浮かべた表情で私のことを見つめ、数秒の間を空けてから口を開く。
「セレネ、ソレイユに当主の座を譲ってくれないかしら?」
「お断りよ」
考える暇も与えず、私は堂々と言い切った。
最初から何を言われようと、当主の座を譲る気なんてない。断る以外の選択肢なんて考えていなかった。
ただ、シオリアも動じてはいない。私がこう答えることは予想済みだったのでしょうね。
彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「そう、あくまで拒否するのね」
「当然でしょ? 言ったはずよ。どれだけ時間を空けても私の意向は変わらないわ」
「……そうみたいね。なら、仕方がないわ」
「……」
私はシオリアの次のセリフに注目する。彼女が何を言ってくるのか次第で、私たちは今後の対策を考えなければいけない。
一番いいのは、このまま決闘でもいいから力で解決できることだけど……。
「セレネ、あなたに決闘を申し込むわ」
「――!」
私は驚き両目をパチッと見開く。
まさか、シオリアのほうからその提案をしてくれるなんて。嬉しい誤算に自然と笑みがこぼれそうになる。
緩む口元をぐっと堪えて、私は毅然とした態度でシオリアに尋ねる。
「決闘ですって?」
「ええ。当主の座をかけて、貴女たちには戦ってもらうわ」
彼女の発言に、私は眉を顰める。どうしていきなり、しかも正面から決闘を挑んでくるのか。彼女のことを完全に理解しているわけじゃないけど、なんだか……らしくない気がした。
「ふざけているの? そんな要求を私が受け入れるわけがないじゃない」
「どうかしら?」
シオリアはニヤっと笑みを浮かべながら、徐に窓のほうへと歩き出す。私は席に座ったまま、視線だけを動かしシオリアを追う。
「気づいているのでしょう? 屋敷の人間が減っていることに」
「ええ、誰かさんの甘言にそそのかされたみたいね」
「ふふっ、ひどい言い方ね。そんな風だから見捨てられるのよ」
「よく言うわ。甘言に惑わされたのは半数だけでしょう?」
「ええ……けど、同じじゃないわ」
「どういう――」
私の言葉を遮るように、シオリアは勢いよく窓を開けた。
ディルのために閉じていたカーテンも退けて、窓の外から光と風が入り込んでくる。ディルは咄嗟に光が当たらない場所へと下がる。
「何のつもり?」
「驚かせてしまってごめんなさい。けど、見てもらったほうが早いでしょう?」
「何を?」
「あら、まだ気づかないんのかしら? もっと近くで、屋敷の周りを見てごらんなさい」
彼女は窓の近くへと私を誘う。
表情はニヤついているけど、何か悪だくみをしているわけじゃなさそうだった。私は警戒しつつ、ゆっくりと窓のほうへ近づく。
そして、窓の外を観察する。
よく晴れて温かい空気が流れ込む。いつもと何が違うのか。疑問を口に出そうとした瞬間に、私は違和感に気付かされた。
当たり前の景色の中に、いるはずの人たちがいない。屋敷の周囲と中を警護している親衛隊の姿がどこにもなかった。
シオリアのほうに視線を向けると、彼女はニヤっと笑う。
「気づいたみたいね」
「……」
「そうよ。親衛隊は今、私たちの指揮下にあるわ」
ヴィクセント家当主に仕える親衛隊は、お父様から私の元へと移った。異能を持つ当主に付き従い、ヴィクセント家を守護する者たち。
三百人余りの構成人数を誇り、守護者の家系の中でも最も強大な軍事力を誇る。
迂闊だった。
屋敷の中ばかりに気を取られて、外がどうなっているのか見ていなかった。カーテンを閉め切った部屋からは、屋敷の外の様子は見られない。
ディルは当然、日の光がある場所では活動できないから、確認することもなかった。
シオリアの元に寝返ったのは半数ではなく……。
「わかったでしょう? この提案は、貴女に対するせめてもの恩情よ」
私とソレイユの対立は、拮抗しているようで大きく傾いていた。太陽の異能があるならば、親衛隊の存在は脅威となり得る。
数の上での有利は完全になくなってしまったらしい。
「さぁ、提案を受けてくれるのかしら?」
「……ふっ、いいわよ。受けてあげるわ」
それでも私の有利に変わりはない。私とソレイユが決闘すれば、まず間違いなく私が勝つ。能力的な相性以前に、性格的な相性もある。
優しすぎるソレイユには、本気で私と戦うことなんて不可能だ。
この勝負は戦う前から決している。
「よかったわ。それじゃ、戦う人を先に紹介するわね」
「――? どういうこと? 戦うのはソレイユと私でしょう?」
「あら、言ってなかったかしら? 貴女たちだけじゃないわよ」
この時、先に気付いたのはおそらくディルだったと思う。私が気づいたときには、部屋の扉が少し開いた後だった。
扉の前に誰かが待機している。
「入っていいわよ」
部屋の主たる私の言葉ではなく、シオリアの指示で扉が開く。入室した人影は二つ、その人物を前に、私は驚きを隠せない。
「決闘をソレイユを含めた三人が相手よ」
驚きと同時に、どうしてという疑問が頭の中を駆け抜ける。これはヴィクセント家の問題だ。他の貴族が関わるべきではない。
特に、同じ役割を担った六家の人間こそ……。
「紹介するわ。と言っても、どちらも顔見知りよね?」
「……ゴルドフ・ボーテン」
大地の守護者にして、地上最強の男と呼ばれている人物が立っていた。もう一人の男は、親衛隊の隊長を務めている男だ。名前は確か……。
「アイルズね」
「セレネ様、このような形で相対することになってしまい、まことに申し訳ありません。ですが私ども親衛隊は、太陽の守護者たるソレイユ様にお仕えすることにいたしました」
「そう、別に責めるつもりはないわ。貴方たちは本来、太陽の下で戦うために組織された部隊ですもの」
「はい。ご理解いただけて恐縮にございます」
深々とアイルズは頭を下げる。彼らの裏切り関して思うところはある。だけど、それ以上の問題が隣に立っている。
「どういうつもりかしら? ボーテン卿……そちら側にいる理由を聞かせてもらえる?」
「すまないな、セレネ・ヴィクセント。俺がここにいるのは陛下のご意向だ」
ユークリスの名が出たことで、暗がりに隠れていたディルもわずかに反応したのがわかった。
彼がこの件に関わっている?
それは考えにくい。これまでならばともかく、今のユークリスは私たちの事情を理解している。
彼が私たちと敵対するような指示を出すだろうか?
とは言え、騎士団長であり大地の守護者である彼を動かせるのは国王のユークリス……いいや、そういうことね。
ユークリスはまだ幼く、王としての責務の一部は大臣や姉に任せていると聞く。ユークリスの意志という名目で、大臣たちが指示を出したのか。
「大臣に取り入ったのね」
「あら? なんのことかしら?」
しらばっくれるシオリアだけど、彼女ならそういう根回しもできるでしょう。
王国の大臣たちにとっても、ヴィクセント家の当主はソレイユのほうが都合もいい。影の守護者は世間的にも公表しづらく、不気味がられている。
これまで通り、太陽の守護者が当主として立ったほうが、彼らにとってもは好ましいはずだ。
そう考えると、ゴルドフが少し不憫に思える。立場上、王の命令と言われたら、彼に断る選択肢はないのだから。
視線が合い、わずかに申し訳なさそうな表情で目を瞑る。
彼を問い質すのはやめてあげましょう。
私は視線をシオリアに戻す。
「それで? この三人と私が戦えばいいのかしら?」
「まさか。そんな鬼畜なことはさせないわ」
そう言ってシオリアは笑う。
世界最強の男を手ごまに用意しておいて、鬼畜じゃないなんてよく言えたわね。
私は呆れてため息をこぼすと、その直後にシオリアが説明する。
「お互いに三人、一人ずつ戦って多く勝利したほうが当主になる。そういうルールよ」
「そう。戦う順番は?」
「当日までのお楽しみ、としたいけど、特別に私たちの順番を教えてあげるわ」
シオリアは語りながら、紹介するように手を向ける。
「先鋒は彼、親衛隊のアイルズよ」
「よろしくお願いいたします」
アイルズは深々と頭を下げる。続けて手を向けられたのは、その隣に立っているゴルドフだった。
「続いては彼よ」
ゴルドフは軽く目を瞑り、素っ気ない態度を取る。不本意ながらこの場にいると、私に告げているように。
そして最後は聞くまでもなく。
「最後はソレイユよ」
「……」
不安げな表情を見せるソレイユが、私と視線を合わせる。彼女こそ、ゴルドフよりも不本意なのかもしれない。
私と合わせた視線が、私に助けを求めているように見えたから。
「決闘の日は一週間後よ。それまでに、そっちも人数を揃えておいてね? せめて二人いないと、勝負をする前に決着がついてしまうわ。もしよかったら、親衛隊から一人貸してあげましょうか?」
「結構よ」
「そう。だったら期待しているわ。せめていい戦いをしましょうね。セレネ」
「ええ、お互いに」
私とシオリアは視線をぶつけ合う。私は睨み、シオリアは変わらず笑みを浮かべている。
かくして、当主の座をかけた決闘が受理された。
太陽と影、相反する二つの異能がぶつかり合うのか。それとも……。






