52.終わらない今②
「っ……」
「ユークリス!」
石板に触れて苦しそうな顔をしたユークリスを、ディルが慌てて引きはがす。触れたのはほんの一瞬だったけど、ユークリスの額からは汗が流れ落ちる。
おそらく石板に王の力の一部を吸収されたのでしょう。
「勝手に触っちゃダメだろ!」
「ごめんなさい、兄さん」
ユークリスの突然の行動に驚いたディルは、心配と焦りで表情に余裕がなくなる。どこまでも弟想いの兄だ。ユークリスは反省した顔を見せる。
「けど、見てください」
ディルに支えられながら、ユークリスは石板を指さす。
私とディルが石板に視線を向け、ほぼ同時に驚き目を大きく見開いた。
「これは……」
「石板の色が……」
変化している。初めて私とディルが触れた時と同じように、灰色だった石板が黒色に変色していた。変化したのは、中心に描かれていた人物だけだ。
おそらく予想通り、中心に描かれていたのは王の異能を持つ者だったのだろう。現国王であるユークリスが触れたことで、彼の中にある異能に反応し、石板の一部が変化した。
ユークリスはもう大丈夫だとディルに言い、石板のほうへ指をさしながら説明する。
「見ての通り、ボクが触れたことで石板は変化しました。けど、ループは起きていません。そうですよね?」
ユークリスは私に確認を求めてくる。
「ええ、何も起きていないわ」
「ありがとうございます。ボクが触れてもループしない。ちゃんと石板も変化している。けれど一度目は……失敗した。それってつまり、石板が完全に変化する条件は揃っていたからなんじゃないでしょうか」
ユークリスは真剣な表情でそう語る。
石板に全ての異能を吸収させることで、完全に変化した石板が生まれる。その解釈は正しく、残る五つの異能を吸収させれば条件は満たされる。
現に変化した色の位置からも、各守護者の異能だけが足りていないのは明白だ。ユークリスが触れて中心の人間が変化したことで、描かれた人物が王と守護者であることは確定した。
彼の言っていることは理解できる。
でも、ならばどうして……。
「ループしたのかしら? 条件が満たされているなら問題なかったはずよ」
「それについて仮説があります。聞いてもらえませんか?」
「お願いするわ」
「ありがとうございます」
ユークリスは嬉しそうに笑って感謝を口にした。そのまま一回咳払いをして、石板に視線を向けながら説明を始める。
「条件は満たされていた。けれど失敗した。それってつまり、不足があったということだと思うんです」
「不足? 条件は満たされたという仮定はどうしたの?」
「表面上は満たされていた……と、ボクは考えました」
ユークリスは続ける。
表面上……すなわち、条件が満たされているようで、実際は満たされていなかった。例えばそろえたものに偽物が紛れこんでいたとか。
あるいは量が少しだけ足りなくて、変化の途中で不具合が発生したとか。
私は自分の胸に手を添えて考える。
「偽物……は考えにくいわね。ここにある力は全て、現在の守護者たちから直接奪いとったものよ。偽物だとは思えないわ」
「そこは俺も同感だ。何人かは俺も直接見ているし、異能の力の偽物なんてそもそも存在しないと思っている」
「そうですね。だったら量はどうですか?」
「同じだけ吸い取っているわ。一人目のお父様と同じ……」
ふと、気づく。私は五人の守護者たちから異能の一部を吸収した。その始まりは、太陽の異能を宿していた前当主……お父様との戦いだった。
思い出してから改めて、石板に描かれているものを確認する。
変色が進んでいないのは大きく、守護者たちだと思われる人物の周りだった。
「六人……」
守護者の数は六人。星、大地、水、大気、森、そして……太陽。私が宿す影の異能は、太陽の異能と対になっている。
二重の勘違いをしていたのかもしれない。影と太陽は表裏一体で、どちらか片方を満たせばいいのだと思っていた。
私が触れた時、月と太陽が描かれていた部分も変色している。私の中にあったお父様の異能が、条件を満たしてくれたのだと。
もし、どちらも間違っていたとしたら?
「足りないのは……太陽の異能だというの?」
そういうことになる。だが、太陽と影の異能は同じヴィクセント家に生まれる異能で、どちらか片方が顕現すれば、もう片方は生まれないはずだ。
それに私は、異能が移行した後の残りとはいえ、同じ量だけお父様から太陽の異能を吸収し、石板に触れている。
悩む私に、ユークリスがぽつりとつぶやく。
「足りなかったのではなく、不完全な力だったのかもしれません」
「不完全?」
彼はこくりと頷く。
「前当主の異能はすでに弱っていたと聞きます。その力を吸収したのなら、量は同じでも、力の質は大きく劣っていたのではないかと」
「性質……力の濃さみたいなものかしら?」
「はい。あくまでも予想なのですが、この石板から考えられるのは、太陽の異能の不足です」
「確かに、変化していない部分に六人映ってるわけだしな。そう考えるのが妥当か」
ディルとユークリスも同じ考えにたどり着いたらしい。かくいう私も、二人の意見と同じことを考えていた。
ただし、その場合はこれ以上為すすべがない。
「どうしようもないわね。もう、この世に太陽の守護者はいないわ。私に影の異能が発現し、お父様から異能が消えた時点で……」
もう二度と手に入らない力だ。
たとえば、私が子供を産んで、その子供に太陽の力が宿り、その力を吸収してしまえば可能かもしれない……と、思いついた自分に失笑する。
自分の目的のために誰かと子を作り、その子供を利用する?
そんな行為が許されるはずがない。生きるためにはどんなことでもすると決めた私だけど、それだけは手を出すべきじゃない。
それをすれば、私はお父様を責められなくなるから……。
すると、ユークリスが私に言う。
「その件なのですが、本当にもう発現しないのでしょうか?」
「ん? どういう意味?」
「太陽の異能と影の異能、二人が同時に存在できない理由はなんなのでしょう?」
「理由は……わからないわね」
そういうものである。明確な理由を知っているわけではなく、そういうものだと教えられてきた。
いいや、ヴィクセント家に残っている書物に……書いてあった?
「王城には異能に関する書物が数多く残されています」
「知っているわ。前に忍び込んで調べたもの」
軽い犯罪行為をさらっと教えると、ユークリスは苦笑いしていた。王族しか入れない場所に無断で侵入していたのよ?
書庫に忍び込んだくらい今さらでしょう。
ユークリスは改めて続ける。
「書庫にある書物をボクも読んでいます。その情報によれば、影の守護者が確認されたのは過去に一度だけです。その時、太陽の守護者の名前は生まれなかった……なんて記載はないんです」
「――!」
そう言われてハッと気づく。私も王城の書庫にある書物や、ヴィクセント家に保管されている本は読み漁った。
影の異能は自分の力だから、どういうものかを知りたくて。結局、噂程度の情報しか残されていなかったから落胆したのだけど……。
影の守護者はヴィクセント家の人間として生まれた。それ故に、太陽と影の異能は表裏一体で、どちらかが生まれるものだと思われていた。
しかし、影の異能が発現した事例は、私を除けば一度しかない。たった一回の結果では、片方しか生まれないと断定できない。
何より、ユークリスが言った通りだ。
どの文献にも、太陽の守護者については明記されていないだけで、生まれなかったとは一言も記されていなかった。
「おそらく長い歴史の中で、どちらか片方しか生まれないと……そういう風な解釈が生まれて、現代に受け継がれてしまったのだと思います」
「……そう言われると納得できてしまいそうね」
だとしたら間抜けにも程があるわ。
私も、ヴィクセント家の人間も、その先祖たちも……。
勝手な思い込みを代々大事に受け継いで、盛大に勘違いをしていたかもしれないなんて。馬鹿らしくて笑ってしまう。






