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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第三章:彼女の真実に触れる十数日間
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違和感

 ──私の名前、忘れないでね。


 ──誰かが俺に、話しかけた気がした。


 内巻きの癖がある、ミディアムボブの頭髪。短いスカート。白磁のように色白で細い手足が見える。

 誰だろう、とだけ思った。顔も名前も分からないのに、「とても大切な人」なんだということは分かる。

 なぜだろう? と疑問が首をもたげる中、唐突に彼の視界は開けた。 


 * * *


 鳥の囀りで目を覚ました。柔らかい朝日が、窓から差し込んでいるのが見える。

 逢坂部は毛布にくるまったまま、ゆっくりと視線を巡らせていった。布団ははだけられ、シーツが乱れている。なんだこれは、と違和感を覚えて上半身を起こすと、下着を履いていない事に気が付いた。

 そんなに昨夜は、寝苦しかったのだろうか? 寝苦しいといえば――なにか夢を見ていたようだ。それなのに。大切な夢だった気がするのに、夢の中身はまったく思い出せない。思い出そうとすればするほど、頭の芯が痺れるように痛んだ。

 頭が重い。この感覚を上手く表現するのは難しいが、一番近いのは、二日酔いの朝の感じだろうか。

 とにかく気だるい……えもいわれぬ倦怠感が、全身を包みこんでいた。


 曖昧な意識を覚醒させるため頬を数回叩くと、大きく伸びをしてから起き上がる。

 時計に目を向けると、八時だった。


 和室特有の、い草の匂いを嗅ぎながら布団を丁寧に畳むと、紺色のティーシャツと黒のチノパンに着替える。そしてまた違和感を覚えた。あれ、こんな服……いつの間に買ったんだったかな?

 外出しようと思い立ち着替えたのだが、目的地がわからない。わからないというか、忘れてしまったとでもいうべきか。時間を浪費するのはもったいない、なんて、強迫観念に突き動かされたわけでもあるまいし。

 なにかあったはずなんだ。きっとなにか。

 どうにも今朝から、頭の回転が悪い気がする。今日は何か予定があったような気がさっきからしているのだが。得体の知れない違和感が、ずっと頭の中を支配していた。

 天井をじっと見つめ、考えこんでみる。


「そうだ。現像を頼んでいた写真を、受け取りに行くんだった」


 ようやく用事を思い出した逢坂部は、洗面所で簡単に身支度を済ませると、財布と携帯電話だけをバッグに詰めこんで部屋を出る。

 鍵を受付に預けたのち、民宿を後にした。ヘルメットを被り、スクーターバイクに跨ると、宮古の駅前を真っすぐ目指した。


 駅前のカメラ店で写真を受け取った彼が、帰路に着こうと再びバイクに跨った頃には、昼もとうに過ぎた時間帯だった。どうしようかと悩んだ挙句、昼はコンビニ弁当で済ませることにした。

 コンビニの入口脇に貼ってある販促ポスターで、今日がお盆であることを思い出した。明らかに季節物の商品も置かれていたよな、そう言えば……。

 実家の墓参りに行ってないな。思えば、去年も行かなかったような気がする。

 だが家族、特に母親の顔が脳裏に浮かぶと、途端にどうでも良くなった。まあ、八月十五日までには顔を出そうか。そう結論を与えると、バイクに跨り再び走り出した。


 本当は、民宿に帰ってからゆっくりと写真を見るつもりだった。

 だが、逸る気持ちを抑えられずに、商店街の一角にある、自動販売機の脇に置かれたベンチのところでバイクを停めた。

 まるで子供のようだな、と自分でも呆れてしまう。バッグの中から写真を取り出すと、一枚一枚、眺めていった。

 うん、俺にしては良く撮れている方だ。カメラの性能が良いだけといえなくもないが、美奈子ほどではないにしろ、写真の腕には多少自信がある。浄土ヶ浜の景観をよく捉えている、と自画自賛しておいた。


「あれ?」


 その時、明らかに異質な写真が紛れ込んでいるのに気が付き、捲る手が止まる。その一枚を摘まみだすと、しげしげと眺めてみた。

 それは、上半分に綺麗な青空。下半分に、展望台のものと思われる草地が写っている写真。空の色は確かに見事だが、構図は明白に素人レベル。

 確かに俺も、素人なんだけどな。

 苦笑いしながら、恐らく、間違えてシャッターを切ったんだろうと結論付けた。


 だが……「またか」


 次に出てきたのは、ほぼ海だけが写っている写真。

 水平線や波打ち際を撮ったのではなく、水面と空だけが中途半端に映り込んでいる。


「なんだ、これは?」


 どう考えても、誤ってシャッターを切った、という写真ではなさそう。だが、これが狙った構図であるとしたら、あまりにもお粗末だし意図がまったくみえない。

 同様の写真は、さらに一枚見つかる。合計で三枚。

 いくらなんでもこいつは不自然だ、と彼も思う。一枚だけならどうとでも説明が付くが、同じように不自然な写真が三枚だ。間違えてシャッターを切ったと納得させるには、些か作為的な枚数だ。


 ……本当に、間違えて撮ったものなのか?

 それとも自分が忘れているだけで、誰かにカメラを貸し出したのだろうか? そう勘ぐってしまうほど、それは違和感のある三枚だった。

 けれど、どんなに思考を巡らせても、答えにたどり着く気配はない。

 結局――何ひとつわからないまま写真をまたバッグに仕舞うと、釈然としない気持ちを抱えて再びバイクを走らせる。


 木洩れ日の中林を駆け抜け、潮騒の音に耳を傾けながら海沿いの道を走り、夕方近い時刻になってようやく、民宿の前に到着した。

 バイクをいつもの場所に停め、民宿の方に向かって歩いて行くと、玄関の前に白いワンピースを着た一人の女性が佇んでいた。

 若いな。女子大生といったところか。

 肩にかかるかどうかの長さの髪は、毛先に若干内巻きの癖がある。通った鼻筋と細い顎。二重瞼ではないが、強い意志を感じさせる瞳。見た目だけなら、そこそこ美少女と言って差し支えなさそう。

 完全に無視を決め込むのも忍びないと考え、軽めの会釈だけをして、彼女の横を通り過ぎようと逢坂部は思う。だが、今まさに彼女の脇を抜けようとした矢先のこと。突然女子大生の腕が伸びてくると、逢坂部は胸倉を掴まれた。

「おい……!」という抗議の声も虚しく、そのまま渾身の力で引き寄せられる。


「あんた……何でこんなところに居るの!?」


 聞き間違いかと最初は思った。だがその女子大生は、絶対零度もかくやという冷え切った声で確かにそう言った。

 

「ちょ――待てよ。とりあえず、この手を離してくれないか。このままじゃ話も出来ないだろう!?」


 前科持ちともなると、こんな変な女にまで絡まれる羽目に陥るのかと、内心で彼はうんざりしていた。早く解放してもらってこの場所から去りたいのが本音だ。


 すると彼女は、ようやく手を離してくれた。「まあ、話が出来ないのは確かだけどね。じゃあ、聞かせてもらおうじゃないの逢坂部賢梧。犯罪者であるあなたが、何故こんな場所をうろついているのか? その目的は何なのか?」


 逢坂部は喉元を押さえ、軽く咳き込みながら答えた。


「何故って言われてもな。目的なんてただの観光だよ。この場所を訪れたのも、単なる思いつきにすぎない」

「観光だって?」蔑んだ目で彼女が睨んでくる。「たいした身分だね? というかさ、ここが私の母方の実家だと知った上で訪れたんじゃないの!? 嫌がらせかなんかのつもりでさ?」

「どうして俺が、君に嫌がらせをする理由があるんだ……?。そもそもこの民宿だって、俺が選んだんじゃなくて……」


 話している途中で、彼は言葉に詰まってしまう。そうだよ、間違いなく誰かの紹介でこの民宿にやって来たように思えるんだが、いったい誰だったんだろう? いっさい思い出せない……。


「とにかくだ。俺がここを宿に選んだのに深い意図はないし、そもそも、君のことだって知らない。一体、誰なんだ君……」


 この先の言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。女子大生の眉が釣りあがって口元が歪むと、再び彼は胸倉を掴まれ、勢いもそのままに突き飛ばされた。「ふざけないで!」という怒声もセットで。


「よもや忘れたとは言わせませんよ逢坂部賢梧! あなたが起こしたバス事故で重傷を負い、入院中の大学生、白木沢帆夏のことを!」

 さらに彼女は、人差し指をピっと突きつけてくる。「私は、その白木沢帆夏の双子の妹、真冬(まふゆ)です。そもそもあなた、執行猶予中の身でしょう? 何をのうのうと遊び呆けているんですか。ここは私たち白木沢家の実家が営む民宿。こんな場所をうろつくなんて、私たちに対する当てつけじゃないんですか!?」

「白木沢帆夏……?」


 その名前を耳にした瞬間、彼の脳裏に様々な記憶がフラッシュバックのように蘇り、同時に耐え難い頭痛が襲ってきた。


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