表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
19/29

高崎美奈子

「何? もしかして知り合い?」


 旦那であろう男性の問いかけに、美奈子は笑って頷いた。「少しだけ時間良いかな?」と彼に承諾を取ると、娘と目線を合わせてから、こう伝える。「ママちょっとだけ用事ができたから、パパと一緒に、民宿のお部屋に行って待っててね」

 うん、と娘が肯いたのを確認した後に立ち上がると、彼女は、逢坂部の方に向き直った。


「久しぶりね、賢悟君。これから少しだけ話せるかしら?」

「ああ、別に構わないよ」


 彼はただそんな風に、殊勝に頷くことしか出来なかった。一方で帆夏は、張り詰めた緊張感でも感じ取ったのだろうか、「私、先に宿行ってるね」と告げると、擦れ違いざまに美奈子に会釈を送り、そのまま民宿の中に入って行った。


「レストハウスにでも行こうか?」逢坂部はバイクに視線を送りながら提案してみたが、「ううん、歩きながらで良いよ」と美奈子は遠慮がちに答えた。


 そうして二人、肩を並べるようにして海岸沿いの道を歩き始める。眼前には防波堤がそびえ立ち、壁一つ隔てた向こう側に広がっているのは、幾つもの漁船が停泊している港。海まで距離のないこの場所は、時折強い海風が吹きすさぶ。気まぐれに吹く風は二人の髪をかき乱し、同時に磯の香りを運んできた。


「どうして、あの後、手紙出してくれなかったの?」


 会話の口火を切ったのは美奈子だった。腹の探り合いなしのド真ん中直球に思わず苦い顔になる。だが元々は口下手な彼女の事、まあこんなものだろう、と彼も思い直した。


「返事を出さなかったこと、本当に申し訳ないと思っている。君から届いた最後の手紙も、しばらくの間怖くて開封出来なかったんだ。読んだのも、つい最近のことだ」


 数日前とは流石に言えず、最近などという、曖昧な表現に留めておいた。


「冗談でしょ?」と美奈子は目を見開いた。冗談だとしたら、どんなにいいことか。「残念ながら、本当のことだ」

「どうして……」と言った後で、彼女は自嘲気味に笑った。「ゴメンね。さっきからどうして、どうしてって、一方的に私が質問責めをしてるみたい。質問だけじゃアンフェアだから、私が抱えていた本音も、話しておくね」


 ああ、と緊張気味に彼は頷くと、美奈子の方に体を向け聞く体勢になった。


「最後の手紙にも書いた通り、私はどうしようもない人生を送っていたの。きっと文通を続けている間だけでも、自分の本当の姿を隠して、美しい思い出の女の子を演じたかったのかも。それでも結局自分の姿を曝け出したのは、やっぱり弱かったから。弱みを見せることで、賢悟君が救いの手を差し伸べてくれるかも、と甘えてたんでしょうね」

「俺も、君と似たようなものだった」

「え……?」

 振り向いた彼女の瞳が揺れる。

「君と同じさ。俺も手紙の中で、虚構の姿を作り上げていたんだ」

 美奈子がひとつ、息を呑んだ。

「本当の俺は、もう少しつまらなくて、もう少し暗くて、親友と呼べる存在が居ないような男だった。だが、そんな自分の姿を曝け出す勇気がなかった。真実の姿を知られてしまうのが恐ろしくなって、君に返事を出すことができなくなったんだ。辛いのはむしろ美奈子の方だったはずなのに。……本当に申し訳なく今は思うよ」


 謝罪の意を示すため、深く頭を下げる。すると彼女は「そうなんだ……」と呟きながら、一度立ち止まった。

 くるっと踵を回して海の方に身体を向けると、独白するように話し始めた。


「自分のせいで私が傷ついた……なんて、勘違いしないでよね?」

「美奈子……?」

「私は勝手にあなたに恋をして、勝手に告白し、勝手に失恋した気持ちになっていただけ。本当にあなたの心が欲しいと願うのならば、もっと早くから行動するべきだった。何時もそう。私は臆病だから、気が付くと売れ残ってて、何時の間にか孤立してる。高校時代の三年間は本当に悲惨だったけれど、運命に抗う勇気も無かったから、賢悟君の事を思い出して、縋りたくなったのかもね」


 ふう、とひとつ息を吐き、もう一度踵を回すと、今度は逢坂部と正面から向き合った。


「本当は、私のこと好きだった……?」


 彼女が向けてくる問質すような瞳に、その想いに、思わず俯いてしまう。自分に『好きだった』と告げる資格など、本当にあるんだろうか?

 だがここで、『嘘をつくべきでは無い』とも彼は同時に思った。もしかするとこれは、美奈子と交わす最後の会話になってしまうかもしれない。例えそれが俺達の思い出の中だけであろうとも、二人の恋愛は成就するべきだ。


「ああ、好きだった。今更どの面を下げてこんな事を言って良いのか分からないけれど、恐らくは中学一年の頃、写真部に入った当時から君に惹かれていたと思う」


 その言葉を受け取ると、美奈子は「やっぱりな」と呟いた。おもむろに手のひらを広げると、指折り数えながらこう言った。


「最後の手紙を出したあの日から、もう八年にもなるのか……」


 実に皮肉な結果だ、と逢坂部は思った。二人がこうして再び顔を合わせ、真実を伝え合い互いの気持ちを確かめ合うまで、八年も掛かってしまったのだ。本当にどうして、こうなってしまったのだろう。


「私、賢悟君の気持ちに、薄々と感づいてたのになあ……。あ~あ、なんだか拍子抜けしちゃった。『好きだった?』と問いかけて、直ぐに『そうだね』って返ってくるのか……。そんなに簡単な事だったなら、もっと早く告白すれば良かったな。ねえ、そう思わない?」

「そうだね、本当にそう思うよ。もしあの時、君の手紙に返事を出していれば。もっと早く、自分の気持ちと向き合っていれば。何度もそんな事を考えては、後悔を繰り返していた。結局は何事にもタイミングが重要、なのかもしれないね」


 ……タイミングか。自分で言いながら、心の中に重石が一つ増える感覚を彼は味わっていた。

 俺と帆夏の現状になぞらえるならば、今は最も悪いタイミングだ。彼女を好きだと想う気持ちだけで、今の関係を続けても良いのだろうか?


「どうして相思相愛だったのに、私たちって結ばれなかったのかな? なんだかオカしな話だね」


 美奈子は傷ついたような笑みを浮かべると、堪えきれずに零れ落ちた涙を指先でそっと拭った。

 本当に美奈子の言うとおりだ、と彼も思う。実際に俺達は、結ばれるべき運命の下に居たのかもしれない。そして美奈子は、そうなるべく最低限の努力をした。一方で俺は現実から目を背け、ただ逃げ回っていたが故に、最悪の結果を招いたのだろう。元凶はやはり、俺の弱い心なのだ。

 だが逆に、こうも考えられないだろうか?

 仮に俺達二人が結ばれていたとするならば、今現在、美奈子には多大な心配と気苦労を掛けていた事だろう。彼女の視点で見るならば、むしろ今の方が良いとすら言えた。自分は何もしていないのだから情けない話だが、怪我の功名だ。


「でも、美奈子が幸せな生活を手に入れていた事に、俺は安堵してもいるんだ。旦那も子供も、大切にしてやりな」

「うん、ありがとう。私ね、今、凄く幸せなんだ。賢悟君は……誰か恋人とか大切な人は居ないの?」


 彼女の問い掛けに逡巡した。

 居る……と宣言したいのだが、自身の後ろめたい境遇を考えると、帆夏の事を恋人だと胸を張って言えない自分がもどかしい。情けないものだと辟易し、頭の中で言葉を選び熟考した後に、ようやく口を開いた。


「一応……居る。俺なんかには勿体無いような素敵な女性だ。恋人と呼んで良いのか、居るなどと宣言しても良いのか、戸惑いを感じてるくらいだ……」


 美奈子は口元に薄く笑みを浮かべると、何処か呆れたような口調で言った。


「相変わらず、自分に自信を持っていないのね。彼女は賢悟君のこと、愛してると言ってくれるんでしょ?」

「それは……まあ、その通りだ」

「事故のこと、ニュースで見たよ。大変だったみたいね。でも、『頑張ってね』とは私の口からは言わない。頑張るのなんて当たり前の事だし、賢悟君の傍らにも居られない私が言っても、偽善者めいた台詞でしかないもの。でもね。その女性は賢悟君の側に居てくれるんでしょ? 賢悟君のことを受け入れて、好きだと囁いてくれるんでしょ? だったら、彼女の気持ちに応えてあげなくちゃ。私の時みたいに、”行動しないで”後悔しちゃダメだよ?」


 彼女はそこで、一度言葉を切った。「後悔するのは……私一人だけで十分だよ」


 美奈子の言葉に、胸が詰まる思いだった。彼はただ一言「ああ、君の言う通りだ」と強く肯くことしか出来なかった。

 あらためて彼は思う。白木沢帆夏を、愛してると。

 本当に、帆夏と出会えて良かった。

 本当に今日、美奈子とも出会えて良かった。


 それから二人は、十年間にお互いが感じていた孤独を訴えあった。こうして会ってみると、話したいことはお互いに尽きぬほどあった。楽しかったことも。悲しかったことも。辛かったことも。直接的な表現は避けながらも、お互いの不在がどれだけ辛かったか、今までどれほど逢いたいと願い続けていたのかを、言外に相手に伝え続けた。


 別れ際、逢坂部が美奈子に連絡先の交換を申し出ると、彼女も笑顔で応じた。

 この先美奈子と出会うことは無いだろうと思った先ほどの予測を、早速窓から放り捨てる。今後彼女とは良い友人になれそうだと、彼は予感した。


 そして、同時に気が付いた。

 俺は、帆夏のことを幸せにしてやりたい。そのために、一番最初に自分が何をするべきかを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] たった一言好きと言えたならば。 たった一言思いを告げたならば。 または、手紙を返せていたならば、高崎美奈子との関係は変わっていたのでしょうか。大人になって振り返れば、簡単に思えてしまうこと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ