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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
18/29

青の洞窟 ※R15

 その日の夜。逢坂部は民宿の部屋で、今日の出来事を日記にしたためていた。

 月の綺麗な夜だった。窓からは控えめに月明りが射し込み、外からはコオロギの鳴き声が聞こえていた。


 浜辺で帆夏と交わした初めてのキス。そのまま何度も唇を重ね、二人の気持ちは次第に昂ぶっていく。やがて人目のない岩陰に場所を変えると、二人だけの逢瀬を楽しんだ。


 お互いにしっかりと、強く、長く抱き合った。耳たぶを指で弄びながら唇を重ねると、僅かに開いた彼女の口元から、舌が差し出されてくる。二人の舌が絡み合うたびに響く、淫らな水音。

 鎖骨をなぞるようにキスを落とすと、帆夏はくすぐったさを堪えるように身を捩った。一旦、抱きしめている腕を解くと、水着の上からそっと胸の膨らみに触れてみる。

 しっかりと手のひらを押し戻してくる張りと弾力に、逢坂部の気持ちもどんどん高まる。肝心なところには触れず、焦らすように両の手のひらで軽く包み込んだ。すると帆夏は、恥ずかしくないから平気ですよ、と頬を染め耳元で囁くと、彼の一方の手を取りお腹の周辺まで(いざな)った。

 思いもよらぬ大胆な要求に彼は驚いたが、帆夏に導かれるまま指先を滑らせていく。彼女の表情と、声音の変化を確かめながら。

 次第に、帆夏の吐く息が、浅く短くなっていく。

 帆夏は頬から耳たぶまでを真っ赤に染め、声が漏れないよう左手で口元を覆い隠した。場所が人に見られるかもしれない野外であること。男に触れられた経験が浅いこと。この二点が、彼女を強く昂らせているのだろう。

 恐怖心を抱かせぬよう、触れるか、触れないかの優しいタッチで、指先を這わせた。

 二人はただゆっくりと、お互いの体温の中に落ちていった。お互いの欲望が、一定のリズムとなって各々の身体を包み込む。ずっと抑えてきた二人の想いが、今まさに開放され浸透していった。


 激しく彼を求め続ける帆夏の姿は、普段の清楚なイメージからは及びも付かない程で。実に情熱的であると同時に何処か捨て鉢でもあり、まるで、肉体関係を持つことに拘り、焦っているようにすら感じられた。

 何故だ? ──と彼は自問する。

 自問の答えは、わりと早くに見つかった。

 帆夏は理解しているんだ。自分たちが、まもなく会えなくなる可能性。それが決して可能性などではなく、近い将来現実になるであろうことを。そして俺が、執行猶予付きの人間であること。それに伴う未来への不安。障害の大きさ。互いに降りかかるであろう不利益。

 だからこそ彼女は、短い期間で関係を深めようと焦り、躍起になっているんだろう。そう、結論づけた。


『そして俺たちは、恋人同士になった』そう書かれていた日記の一文を消すと、『二人で愛を確かめ合った』こう、修正した。

 なんとなくだが、恋人という表現を使うことに躊躇いを感じていた。



 翌朝、逢坂部は鏡の前に立つと、寝癖のついた髪の毛を整え、白いロング丈のティーシャツと紺色のテーパードアンクルパンツに着替えた。思うとこれ以外に、まともな服を持って来ていないな、と内心自嘲しながら。

 階段を下りて民宿の玄関口に辿り着くと、既に帆夏は備え付けのソファに座り待っていた。


「おはようございます」


 いつもと同じ、何気ない挨拶。けれども彼女は、頬を桜色に染めて俯いた。

 昨日の大胆な行為を思い出して、羞恥しているのかもしれない。一晩経って冷静になると、自身の言動がとたんに恥ずかしくなるものだ。そう解釈した逢坂部は、努めて自然な挨拶を返すよう心掛けた。


「おはよう。じゃあ早速、出かけようか」


 二人は指を絡めて民宿を出ると、ヘルメットを被りスクーターバイクに跨った。今日の彼女の服装は、フリルのついたオレンジ色のブラウスに、黒のホットパンツ。バイクでの移動を考慮して、動きやすい服装を選んだのかもしれない。

「これは、デートのお誘いですよ」と前置きをした上で彼女が語った提案。『青の洞窟』を見に行こうと昨晩約束をしていたのだ。

 バイクを走らせると、背中から抱き着いている彼女の胸が背中に触れる。先日よりも躊躇いのなくなった身の寄せ方は、より強く胸の膨らみを感じさせた。


 時刻は八時。「早すぎるんじゃないのか?」と彼は不安を述べるが、「営業は八時半からなので、大丈夫ですよ。それと、朝の方が綺麗に見えるんです」と即座に返される。


 距離はさほど遠くなかった。たいして時間も掛からずに、マリンハウスに到着する。この場所で手続きをした上で、ざっぱ船に乗って海に出るのだ。

 ざっぱ船とは、漁師が磯場での漁に使う小型の船のこと。この船で、浄土ヶ浜周辺の絶景スポットと、「青の洞窟」として知られる八戸穴の内部を巡る約二十分の遊覧ツアーに参加するのだ。

 先客は二組のみ、待ち続けること四十~五十分程で、二人の順番が回ってくる。

 この日は快晴で風もなく、申し分ない条件。期待に胸を膨らませながら、準備を整えていく。ライフジャケットとヘルメットを装着して船に乗り込むと、いよいよ出発だ。


「洞窟に入るなら、できるだけ午前中の早い時間の方が、美しい色の景観が見られる可能性が高いんです」と船を操る男性が説明をしてくれる。


 季節や時間帯、水の透明度、光などさまざまな条件で水の色が変わるため、毎日違った表情を見られるのが『青の洞窟』の醍醐味なのだという。

 一方で帆夏は、「だから言ったでしょ?」と言わんばかりに胸を張ってみせる。そんな仕草が可愛くて、思わず笑みが零れた。

 青の洞窟に入る前に浄土ヶ浜周辺の名所をめぐる。桟橋から出航してすぐ見えてきたのは『日出島ひでじま』だ。観光用ポスターでしばしば使われる風景。そこから、左手にある浄土ヶ浜へと周っていく。


 続いて『賽の河原』が見えてくる。「白い浜を浄土に見立て、外海を地獄に見立てて名づけられたと言われてるんです」と帆夏が説明を加える。

「二日目にこの場所は見たよ。上にある子安地蔵と一緒に」と言うと、「何時の間に」と彼女は口を尖らせた。


 日射しを照り返して幻想的に輝く水面。海を渡る心地よい風に顔を向け、遠く聞こえるウミネコの鳴き声に、暫し耳を傾ける。

 浄土ヶ浜周辺を一巡りした後、ついに青の洞窟へと船は入っていった。


「別名『八戸穴』と呼ばれるこの洞窟は、昔、青森県の八戸まで続いている穴だと言われていたんですわ」


 船を操る男性の説明に「そうなの?」と逢坂部が首を傾げると、帆夏は口元を手で覆い、笑いながら言った。 


「そんな訳ないでしょ、あくまでも言い伝えですよ」


 白い岩肌に覆われた洞窟の中を暫く進んだ後、帆夏は振り返ると背後を指差した。

「見てください」

 釣られて振り返った逢坂部は、驚きで目を丸くした。


 ――視界の全てが、青い。


 朝凪の穏やかな水面は、洞窟の入り口から入り込んでくる日射しを反射して煌めき、透明度の高い水は光を海中にも反射させ、深い青色に染まっていた。なるほど、青の洞窟とはよく言ったものだ。思わず感嘆の声が漏れる。


「水の色は様々な自然条件によって変化するんです。冬場から春先の水温が低い時期は、プランクトンが少なくなって透明度が高くなるので、光を通しやすいことからマリンブルーに見えます。反面、水温が高くなってプランクトンが増殖すると、今度はエメラルドグリーンへとその表情を変えていくんですよ。来るたびに水の色が違うので、何度も来る価値があると思います」


 淡々と説明を加えた後、「まあ、私も今日が二度目ですけどね」と彼女は舌を出した。


「でも、今は夏だから水温も高いのに、どうしてこんなに青く見えるんだい?」

 すると彼女はふふんと鼻を鳴らす。「洞窟は東向きに開いているので、朝日が射し込むと、海の青さが上方の岩に反射するんですよ。ほら、見てください。洞窟全体が青く輝いているように見えるでしょう? だから早朝の方が良いんですよ」

「説明も実に分かり易い。君は、バスガイドにでもなれば良いんじゃないかな」


 逢坂部はそう言った。

 特に深い意味は無かった。浄土ヶ浜の情報に精通している彼女に感心し、単純に賛辞を述べたつもりだった。しかし彼女は、なんとも形容し難い複雑な表情を浮かべた。


「私は、よくわかりません。将来の夢とか今は無いんですよ」

「どうして――」と彼は訊ねる。端的に言って、彼女の表情が突然曇った理由が分からなかった。

「俺も二十五歳にして未来が無いとか言うのも(はばか)られるが、実際に、そう塞ぎこんでしまうだけの背景がある。だが君は違う。まだ十九歳だ。まだ大学生だ。ハッキリいって容姿も良いし、性格だって申し分ない。努力を惜しまなければ良い職に就けるだろうし、良い結婚相手だって見つかるだろう?」


 それが自分だ――とは言えない現状が、もの悲しくも思える。


「そうですね……そうだと良いですね。ねえ、逢坂部さん」

「なんだい――」

「私のこと、幸せにして下さいね。私の将来の夢って、お嫁さんになることなんです。なんだか小学生みたいで可笑しいでしょ? でも……こんな、ささやかな夢くらいだったら、きっと叶いますよね?」


 笑いながら告げた彼女の瞳は、だが、僅かに潤んでいるように見えた。儚げな表情に、ぐっと切ない気持ちがこみ上げる。そうさ、俺が彼女を幸せにしてやれば良いじゃないか。本当に出来るのか? 何年掛かるのか? もちろん不安はあるけれど、何時かそんな日も来るだろう。

 晴れることのない帆夏の顔を見ているのが辛くなると、反射的に彼女の頭を抱き寄せた。彼女は逢坂部の胸に顔を埋めるようにして、ただ静かに涙を流した。


 ざっぱ船が洞窟を出ると、帆夏は気を取り直したように大きな声を出した。


「ほら、ウミネコが寄ってきたよ。早く早く! 餌あげようよ!」


 船頭の男性から餌を受け取ると、えいっと言いながら彼女は海面に餌をばら撒く。ウミネコはそれを上手にキャッチしたり、落ちて水面を漂う餌を、啄んだりしていた。

 彼女は意識的に話題をすり替え、声のトーンをあげたように思えた。つまり、これ以上将来の話について語りたくない、と予防線を張っている。

 なぜだろう? と逢坂部は首を傾げた。

 だが結局答えは見つからないまま、彼は思考を打ち切った。今になって思うと、この時もう少し深く考えを巡らしていけば、帆夏が隠し続けていた真実に気付けたのかもしれない。もっとも気付いたところで、俺に何か出来たのかというと、なんとも微妙なところではあるが……。

 

 来た時のルートを逆に通って発着所に戻る。約二十分にわたるアクティビティは、こうして終了した。

 ざっぱ船を下りてライフジャケットを脱ぐ頃には、彼女の顔にもすっかり笑顔が戻っていた。次は何処に行きましょうか? と明るい声を出して、逢坂部の手をしっかり引いて歩き出す。だがそんな彼女の笑顔は、どこかぎこちなくも見える。憂いを湛えた瞳、無理に上げられた口角。


 実際、無理をしているんだろう、と逢坂部は思った。

 それでも、努めて明るい声を出し、天真爛漫に振る舞って見せるこの少女に、俺は何度救われてきたことか。旅の目的地として宮古市を選択したのは、今にしてみると本当に正解だったな、と彼は思う。

 当初、海が綺麗な場所ならどこでも構わない、なんて考えていたのがまるで嘘のよう。


 恋人繋ぎをして、二人並んで日射しの強い砂浜を歩いた。背中が汗ばんでいる事を指摘すると、帆夏が恥ずかしそうに笑う。岩場のある場所に差し掛かると、カニが岩陰に隠れるのが見えた。帆夏は近くに落ちていた木の枝を拾ってくると、岩の隙間をしきりに突いていたが、やがて諦めたのか木の枝を放り投げる。

 簡単には取れないよ、と逢坂部は笑った。


 賽の河原に一人で行った話を、以前彼女が不服そうに聞いていたので、今度は二人で向かってみる。手近な石を拾って、彼女に手を差し伸べ転ばないように、と注意を促しながら坂道を登っていく。やがて子安地蔵の前に辿り着くと、二人で手を合わせ祈りを捧げた。

 風がとても強くなっていた。彼女は髪の毛を片手で抑えると、少しだけ顔を背ける。

「何をお願いしたの?」と尋ねてみると、彼女は「自分の健康」と答えた。「随分また正直な願い事なんだな」と声を出して笑うと、帆夏は膨らませて拗ねていた。


 レストハウスで昼食を済ませてから、展望台に登ってみる。青の洞窟ではマリンブルーに染まっていた海だったが、高台から一望すると、今度は鮮やかなエメラルドグリーンに変化して見えた。

 逢坂部は今更のように、カメラを持ってくるのを忘れてたな、と後悔した。


 本当に楽しい一日だった。陽が傾いて水面が茜色に染まる頃合いに帰途に着く。帰りも再び、スクーターバイクの二人乗りで民宿を目指した。バイクに跨る二人の影が、砂利道の上に長く伸びていた。

 民宿の脇にある駐車場にバイクを停め、二人で民宿の入り口を目指し歩いて行くと、一組の家族連れの姿が目に留まった。

 どうやら、新たな宿泊客のようだ。

 三十代前半くらいの身なりの良い男性と、その手に引かれた三歳くらいの女の子。妻だと思われる女性は二十代半ば程だろうか。白いブラウスを着てロングスカートを履いている。艶のある長い髪が印象的だ。

 二人の足音に気が付いたのだろう、若い女性が振り向いた。それが、よく見知った顔であることに、逢坂部の顔が驚きの色に染まっていく。頭で考えるよりも先に、言葉が口をついて出た。


「……君は?」

「あれ?」


 女性の方も、驚いたように目を見開いた。一度空を見上げると、暫くの間記憶の糸を手繰るように沈黙してから、こう言った。


「もしかして……、賢悟君?」

「ああ。久しぶりだね、美奈子」


 それは、盛岡市で遭遇した時以来となる、高崎美奈子との再会だった。

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