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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
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告白

 レジャーシートを敷いてビーチパラソルを砂浜に突き刺すと、控えめながらも日陰が出来あがる。傘の下に逢坂部は仰向けになると、彼女の到着を待ち侘びていた。

 今日の天気も晴天なり。

 僅かに筋状の雲こそ出ているものの、真夏の太陽は十分過ぎる程のエネルギーを発散している。傘の外に一歩出ると、容赦なく降り注ぐ殺人光線に射貫かれそうなほどだ。

 やがて、レジャーシートの上に別の影が差し込んだのに気が付いて瞼を開けると、覗き込んでいる帆夏と目が合った。


「待たせちゃったかな?」

「いや、そんなことは無いよ」


 伏し目がちに、ちょっと照れたように告げた彼女の言葉を否定しながら身体を起こす。そして、初めて見る帆夏の水着姿に、ごくりと喉を鳴らした。

 トップスは、フリルがあしらわれた白色のブラ。露出控え目なデザインながら、それでもなお覗く胸の谷間は、十分過ぎる程の存在感を放っていた。C、もしくはDだろうかと、瞬時にそのサイズを推し量る。

 ボトムは青を基調とした花柄のショーツ。すらっと伸びた足は季節外れの雪を思わせるほどに白くて細いが、反面、女性らしい緩やかな曲線と質感を備えており実に艶めかしい。

 よっ……と声を落としながら帆夏はレジャーシートの上に座ると、そのまま俯せの体勢で寝転んだ。


「サンオイルを塗って欲しいの。どうせなら綺麗に焼きたいし」と言いながら、小ぶりな瓶を掲げてくる。

 即座に逢坂部の顔が強張ったのを見て取ると、すぐに発言をすり替えた。

「あ、不躾なお願いでしたね。恥ずかしい……でしょうか?」

「……そんなことはないさ」


 サンオイルの瓶を受け取りながら彼は思う。

 本音を言うと、彼とて僅かばかりの羞恥心を覚えていた。けれども、二十代も半ばの男が、未成年の女の子相手にドギマギするのもみっともないだろう。

 ここはひとつ、大人の余裕とやらを見せなければ。


 指先にオイルを数滴垂らすと、手のひら全体を滑らせるようにして塗り込んでいく。うなじから肩、背中から脇腹にかけて指を滑らせると、彼女はくすぐったそうに身を捩って吐息を漏らした。腰回りから太腿の裏側辺りに触れているうちに、彼も疚しい気持ちになってくる。

 きめ細かくて柔らかい肌だと思った。今までに触れたどの女性よりも艶やかで、弾力がある。


「こんな感じで良いかな?」


 彼がそう問いかけると、ありがとうと言って彼女は上半身を起こした。サンオイルの瓶を受け取ると、身体の前側は自分で塗り始める。ぽたぽたと手のひらにオイルを垂らし、彼女の指先が艶かしく踊った。

 豊満な胸の膨らみがたわむ。水着の脇と谷間から零れる乳房。おへその周辺から太ももの付け根、いわゆる鼠径部にかけて丹念に刷り込んでいく。

 恍惚とした表情を浮かべている彼女の仕草に、逢坂部も目のやり所に困って視線を逸らした。

 一通り塗り終わって瓶を片付けると、彼女は再び俯せの姿勢になって瞼を閉じる。


「……泳がないのか?」


 せっかく海に来たのにそれは妙だろう、と問いかけてみた。


「ああ、ごめんなさい。私、泳げないの」首だけを横に向けて、悪びれる様子もなく彼女は言う。


 予想外の告白に、思わす逢坂部は噴き出した。


「宮古に母親の実家がある子が自信たっぷりに海に誘って来るもんだから、どんなに泳ぎが得意なのかと思っていたよ。とんだ拍子抜けだ」


 むー……と帆夏が不満気に頬を膨らませる。


「それ友達にもよく言われるよ。いい歳して金槌はハズいって。あっ、一応私の名誉の為に言っておくけど、まったくの金槌じゃないからね! ちょっとだけ泳げます。ほんとにちょっとだけ……」と言いながら、次第に語尾を濁していく。「まあ、足の付かない海とか論外ですが」


 眩い日射しを手のひらで遮りながら、逢坂部も彼女の隣に仰向けで寝転んだ。


「じゃあ、お互いにゆっくり出来て良いじゃないか。実のところ俺も、君と同様、殆ど泳げない」


 気が合うじゃないか、と微笑みかけると、そうですね、と彼女も釣られるように笑った。


 午前中はそのまま、他愛もない雑談に興じながら、背中とお腹を交互に焼き続けた。太陽が完全に真上に差し掛かる頃にもなると、やはりお腹が空いてくる。

「昼食はどうしようか」と彼が不安そうに言うと、彼女は手荷物の中から、保冷バッグに包まれたバスケットを取り出した。「おにぎりしかありませんが……お嫌いでしょうか?」


「いや、むしろ好物だ」


 二人で並んで膝を折ると、彼女はバスケットを広げた。醤油の塗られた焼きおにぎりと、海苔を巻いた三角形のおにぎりが、其々三個入っていた。

 二つずつ食べても良いですよ、と帆夏は促したが、そんなに食べられないよと否定して、海苔を巻いたほうのおにぎりを一個摘まんで口に頬ばる。中身は鮭だった。塩味もちゃんと効いていて凄く美味しい。まだ若いのに感心だな、と彼は思う。


 正直に、「とても美味しい」と褒めてみると、彼女は分かり易く頬を染めて俯いた。


 昼食を終えて直ぐ、逢坂部は帆夏に写真を撮らせて欲しいと懇願してみた。水着のですか? と彼女は恥ずかしがったが、直ぐに思い直したように承諾してくれた。海をバックに撮影された一枚は、恐らく最高の写真になったはず、現像したら家宝にしようと彼は思う。その後は、恐る恐るといった体で海に入ってみた。


「水、しゃっけえな!」と叫んだ直後、帆夏は恥ずかしそうに口元に手を当てた。「冷たいって意味です。東北人が、一番隠せない方言なんですよ」

「埼玉でも”ひゃっこい”とか言う地域があるから、なんとなく分かるよ」と彼は笑った。


 二人とも水深のある場所には行けない。精々腰までしか水の来ない浅瀬に留まって遊んだ。手を引いたり引かれたり、互いを追いかけまわしたり。意味もなく水を掛け合ったりなど、それこそ童心に返ったような遊びに興じた。

 海なんて何度も来ているのに、わざわざ足を運んで楽しいものだろうか、などと考えていた自分が疎ましく思えるほど、逢坂部は無心で遊び惚けた。

 特に何かをしている訳でもないのに、とても心地よい空気を感じていた。

 本当に不思議な女の子だ、とあらためて彼は思った。


 そのうちに遊び疲れると、レジャーシートの上に並んで座り、日の光を反射して煌めく水面をただ見つめていた。

 磯の香りを乗せ沖から吹いてくる風は、暖かくて優しかった。

 会話はまったく無かった。

 耳に届くのは、寄せては返す波の音と、遠く聞こえるウミネコの鳴き声。

 それでも、息苦しさは一切感じなかった。

 この時間が、永遠に続けば良いのに、とすら彼は思う。


 やがて、瞼が重くなり始める。うたた寝の一歩手前で意識が彷徨っているとき、彼女の頭がこてんと肩に乗った。驚いて身を震わせると、囁くような声が聞こえてきた。


「逢坂部さん、好きです」


 それは余りにも唐突で、全く予測していなかった台詞のため、彼の反応は一瞬遅れる。一度完全に聞き流し、違和感を覚えて記憶の中に並んだ単語を再構築してから、ようやく驚いた。


「大好きです」今度は、より鮮明に聞こえた。


 いま、なんて言った!? 帆夏の顔色を窺おうとして彼は身を捩ったが、彼女の頭は相変わらず肩に載ったままであり、表情まではよく見えなかった。


「ちょっと恥ずかしいので、このままで聞いて下さい」と彼女は言った。「私は大学までの通学で利用している路線バスの中で、逢坂部さんを初めて見ました。これは先日言った通りです。それからの毎日は、あなたの顔を見るのだけが楽しみでした。バスに乗って、運転手さんの顔を確認して、『ああ、今日も逢坂部さんだ』と思った日は、一日中弾んだ気持ちで過ごせました。雨の日も、風の日も、街の景色が何時もと違って見えました。たぶんこれが、一目惚れって言うんだべか? だから浄土ヶ浜のバス停で眠ってる逢坂部さんを見つけた時、驚きのあまり心臓が止まりそうになったの。嬉しくなって、つい、隣に座ってしまったのさ」


 吐き出すようにそこまでを一息に告げ、帆夏がようやく顔を上げる。


「私、逢坂部さんのことが好き。もう、どうしようもないの」

 向けられている真摯な瞳。しかし彼は、逃れるように帆夏から視線を外した。

「自分が何を言っているか、わかっているのか? 前にも釘をさしておいただろう。俺は……犯罪者なんだよ。俺に関わっても碌な事など何ひとつない。ただ、辛い思いをするだけだ」

「そんなこと、分かってるよ。悪い目で見られることも、互いに辛い思いをすることも、全部、わかってるよ。でも、そんなの関係ないよ。だって……私はあなたの事が好きだっけもん。それの何がイケないの――? 私まだ子供だから、そんな難しいことわかんないよ」


 逢坂部は夢中で彼女の小さな頭を抱き寄せた。「君という子は……」


「ありがとう。本当のことを言うと、今、凄く困惑している。恥ずかしい話だが、俺は女の子から愚直に想いを告げられた経験に乏しい。だから真っ直ぐで眩しい君の想いを、どうやって受け止めたらいいのか見当がつかないんだ」


 ダメだ。やめろ、と頭の中で、否定の言葉を繰り返す。

 彼女の気持ちを突き放すための、口実を探し求めて手を伸ばした。だが彼の手のひらに納まる言葉は、全て、自身が忘れ掛けていた切ない気持ちや甘い感情で満たされていた。

 もうダメだ。……俺は、この気持ちを偽れそうにない。


 一度、抱いていた彼女の頭を解放した。「でも、これだけはハッキリと言える。俺も、帆夏ちゃんのことが好きだ」


 告げてしまった――。

 二人の視線が交錯する。帆夏の目尻から宝石のような涙が零れ出し、砂の上を濡らした。


「『私に、恋をしてはいけませんよ』と警告したじゃないですか……」

「それは、意地悪というものだ。君のような女の子に真っすぐ想いを告げられて、惚れない男がいるとしたら、そっちの方がむしろどうかしている。俺にも一応、普通の人間らしい感情があるってことだ」

「そうですね」と彼女は、涙に滲んだ声で言った。

「私の片想い、今、終わりました。本当は、深く踏み込んじゃいけないと思っていたのに……。もうすぐ私は盛岡の実家に戻ります。夏休みが終われば次は埼玉です。埼玉に戻ったところで、来年の二月には短大も卒業するので、直ぐにまた引越しです。またいずれ、逢えなくなってしまうのに……」


 帆夏は先ほどよりも強く泣いた。殆ど泣き笑いと言ってよい表情になった彼女を慈しむように、今度は正面からしっかりと抱きしめる。


「そうかもしれない。でも、距離なんて関係ない。また直ぐに会いに行くから。こんなしょうもない俺でも、待っていてくれるか?」


 言いながら逢坂部は、そんなに上手くは行かないだろうとも考えた。それでも今ばかりは、気休めの嘘をつくことを自分に許した。

 うん、と帆夏は頷くと、彼に全てを託すようにそっと瞼を閉じた。涙が一筋頬を伝い、長いまつ毛が静かに揺れた。

 間近で見る唇の赤さに、彼は思わず息を呑んだ。

 ゆっくりと顔を近づけて、帆夏の唇にそっとキスを落とした。

 しっとりとした、柔らかい感触だった。

 潮騒の音が、ウミネコの鳴き声が、この瞬間消え去った。まるで時が止まったようだ、と彼は思う。意想外に暴れ出した心臓の音だけが耳に響き、磯の香りと交じり合った香水の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 今日のキスはきっと特別なものになる、とそう思った。

挿絵(By みてみん)

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