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あの日見た空の色も青かった  作者: 木立 花音
第二章:彼女と別れるまでの十数日間
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ラブホテルの一夜①

 バケツに汲んであった水を捨てると、花火の残骸や、蝋燭など諸々発生したゴミを一纏めにして、レンタカーのトランクルームに積み込んだ。時刻を確認すると、既に二十時を回っていた。

 花火をした河原は、宮古の駅前まで三〇キロメートル以上離れた場所。どうやら、今日中にレンタカーを返却するのは無理そうだな、と逢坂部は判断する。

 重くなった瞼を擦りつつ、運転席に乗り込んだ。車を発進させた後も、堪えようとすればするほど、大きな欠伸が漏れてしまう。助手席に座っている帆夏も、大きく伸びをしてからシートを倒すと、微睡みを求めて顔を俯かせた。

 お気に入りの曲なのだろうか。帆夏の口ずさむ歌声が、車外から響いてくる風切り音に紛れて聞こえてくる。まるで、子守唄のようで心地いい。遮ってしまうのは勿体ないな、と気後れしながら、逢坂部は口を開いた。


「すまないね、こんな夜遅くまで付き合わせてしまって」

「いえ、構いませんよ」と彼女は歌を止めると、ひそめた声で言った。「先程も確認しましたが、レンタカーは明日中に返せば良いんですよね?」

「ああ、その通りだ」

「それでは……提案なんですけど、今日はこのまま何処かで、休んでいきませんか?」


 休んで行く? その言葉に彼は耳を疑った。こんな若い少女。それも出会ってまだ数日の娘から飛び出す発言とは、到底思えなかった。

 もしかするとそれは、考え過ぎなのかもしれない。それでも所謂(いわゆる)、『ちょっと眠くなっちゃった』あるいは、『まだ帰りたくないの』という、女性なりの誘い文句と同じような意味に聞こえていた。


「いや、流石にそれはマズいだろう。君はまだ未成年なのだし」


 頭の中に浮かんだ可能性を遠ざけるように、彼は言った。しかし帆夏は、特段否定するわけでもなく、そのまま沈黙してしまう。

 このタイミングで黙り込むのは、少々気まずくないか、と逢坂部が感じ始めたあたりで、帆夏は溜め息混じりに呟いた。


「考えすぎです――そういう意味ではありませんよ。だって逢坂部さんは疲労もピークで運転していてもフラついていますし、私も正直眠気が限界です。布団が恋しいです。だから文字通り、ホテルで宿泊して帰りましょう、という意味ですよ」


 深読みして勝手に動揺していた自分を恥じる。そうだよなあ、と思い直すと、彼も同意した。


「確かに……正直言って俺も限界だ。もしこれで事故なんて起こしたら、洒落にもならない」

「そうでしょう?」と彼女は肯いた。「場所は何処でも良いです。二人で泊まるならむしろ割安ですし、ラブホテルでも構いません。それこそ十九歳は結婚もできる年齢ですし、なんら、問題はありません」

「いや、問題は大有りだと思うが」


 いよいよ十九歳の女の子の口から出る台詞じゃないなと苦笑しながらも、彼はあたりを見渡して、ビジネスホテルを探し始める。だが、市街地を離れ郊外を走っている状況では、そんな気の利いた建物は見当たらない。

 結局――一軒のラブホテルの中に、二人を乗せたレンタカーは入っていった。


 車を空いているスペースに駐車し、運転席から降りながら彼は眉根を寄せる。「何をやっているんだろうな、俺は――」


 フロントでチェックインの手続きを済ませ、最もスタンダードな部屋を選んでキーを受け取ると、エレベーターに乗って上階を目指した。室内は、そこらにあるビジネスホテルとは比較にならないほど、豪華なものだった。

 ふかふかの絨毯に、大きなダブルベッド。高級そうなソファに、質感の良い丸テーブルが備えられている。宿泊をするだけと考えれば、十分過ぎる設備だった。

 ラブホテルに入るのは、やはり初めてなのだろうか。帆夏は瞳を輝かせながら部屋中を観察して回り、やがて大きなベッドの上に仰向けに倒れこんだ。


「ヤバ~い! ベッドがふかふか~! 布団も絨毯の色も真っ赤。照明は適度に暗くてエキゾチックだし……なんだかエッチな雰囲気だね」

「そりゃ、ラブホテルなんだからな。テンションが上がるのも結構なんだが、その……何だ……。万が一俺が、()()()でも起こしたらどうするつもりなんだ?」

「起こすの?」と彼女は真顔で訊いてくる。

「例えばの話だ」と逢坂部は憤慨したように襟足をかいた。

「その時は――」と彼女はベッドから上半身を起こすと、まんざらでもない表情でこう告げた。「かたちばかりの抵抗を試みます。そして、早々に諦めます」

「諦めるのが前提じゃ、意味が無いだろう……」


 ふう、と嘆息したのち、彼は椅子を引いて座ると、「先にシャワーを浴びてくるといい」と彼女に促した。帆夏は素直に応じると、備え付けのガウンと着替えを持って浴室に入っていく。

 脱衣室の扉が閉まる音が聞こえると、やがて壁を隔ててもハッキリと分かるほどに、水滴が床を叩く音が響いてきた。推定数メートル先の浴室で、彼女が全裸になっている姿を想像するだけでも、気持ちが昂ぶってくる。已む無く、滅多に吸わない煙草に火を点ける羽目に陥った。

 煙草を吸うようになったのは、前の彼女の影響だったな──と、埼玉の女に思いを馳せる。


 そして――

 本当に俺は何をしているんだろうと、自問自答を繰り返していた。もちろん女の子とラブホテルに入ったのは初めてではない。前の彼女とは、それこそ数え切れない程に肌を重ねた。

 だが、それとこれとは別問題だ。交際しているわけでもない十九歳の少女と密室に二人だけという現実に、今更のように激しく動揺していた。


「気持ちよかったー。もう、いいですよ」


 恍惚とした表情を浮かべて、帆夏が浴室から出てくる。ガウンの襟元から覗くうなじに貼り付く濡れたままの髪が、なんとも言えず艶かしい。なるべく視線を向けないよう気遣いながら、逢坂部も浴室に向かった。


 熱を帯びたままの顔に、微温湯(ぬるまゆ)を浴びせていく。目を閉じて瞼を揉む。こうしてシャワーを浴びていけば、昂ぶっている気持ちも多少は静まるものかと考えていたが、そんな気配は微塵もなかった。

 蛇口を閉じて、濡れた頭と体をバスタオルで拭き上げる。ガウンに着替えて浴室を出た後も、彼の頭の中は相変わらず霞でもかかったように、曖昧で、落ち着かない心地だった。

 その時彼女は、ベッドの上に座って、テレビを鑑賞しているところだった。

 逢坂部はベッドの上――ただし、彼女からはだいぶ距離を置いた端の方に、腰を落ち着かせる。

 テレビではサッカーの試合が中継されていた。一方のチームにファールがあったのだろう、フリーキックが蹴られるシーンだった。ボールはゴール前に並ぶ人壁の上をループして越えゴールの端に迫ったが、惜しくもキーパーのパンチングによって阻まれた。

 二人の間に会話はなく、室内に静寂が満ちていた。テレビから聞こえてくる実況の声だけが響く中、会話の口火を切ったのは帆夏だった。


「好きなチームがある人って、何をきっかけに、そのチームのファンになるのかな?」


 スポーツを観戦する趣味はないんだがな、と思いながら、逢坂部は答えた。


「それはまあ……色々あるんじゃないかな。本拠地が地元だとか、好きな選手が所属しているとか、ユニフォームの色が綺麗だからとか、テレビでよく見かけるから、なんとなく影響を受けてとか?」

「なるほどねぇ。ちょっとだけ、恋愛と似ているかもね」

 と彼女は、意味あり気に笑った。

「学校が同じだから。友達が好きな男の子だったから。人気のある男の子だったから。通学路で、よく見かける人だから――」


 うっとりとした口調で、けれど真剣な眼差しで指折り数えている帆夏を見ていると、忘れかけていた疑問が、彼の脳裏に浮かんでくる。


「そういえば帆夏ちゃんには、片想いの相手が居るんだったね。それはやはり……同じ大学の人なのかい?」


 彼女が『ホテルに行こう』と誘ってきた時点で、自惚れた感情を抱いてしまったことは事実だ。だが彼女は、確かにこう言ったんだ。「――好きな人が居るよ」と。

 その発言に、逢坂部は少なからず嫉妬の感情を抱いていた。だからこそ、なのかもしれない。本当は知りたくない、傷つきたくないと恐れながらも、彼女に訊ねてしまったのは。


「う~ん……知りたいですか? でもやっぱり、恥ずかしいので内緒です」


 しかし彼女は口元に指を当て微笑むと、曖昧な返答に留める。明白な答えが返ってこなかった事に安堵している自分に、逢坂部は自嘲した。


「私ね、さいたま市の短期大学に通っているんですよ」

「さいたま市……。そうだったのか。じゃあ、元々俺が住んでいた街じゃないか。もしかしたら、何処かで君とすれ違ったりとか、その程度の邂逅はあったかもしれないな」

「そうですね。会ってますよ」

「――え?」


 意外な答えが返ってきたことに、思わず間抜けな声が漏れる。


「それも、結構な頻度で会ってますよ。だから、私の顔を全然覚えてないみたいで、軽くショックを受けています」

「すまん、全然覚えていない。でも、それは本当の話なのかい?」

「はい、会ったのはバスの中でです。だって逢坂部さんは、バスの運転手だったでしょう?」

「知ってたのか!?」と彼は拳を握りしめた。「いやむしろ、知っている方が普通だろうな……。ならば俺が、重大なバス事故を起こし、連日連夜実名報道をされ、実刑判決を受けた犯罪者であることも、知っているんだろう?」


 捲し立てるような口調になってしまったなと、逢坂部は密かに後悔していた。

 すると帆夏は一度俯いてから、再び顔を上げた後に頷いた。その瞳は室内の照明を拾い上げたからなのか、僅かに潤んで見えた。


「もちろんです。知っていますよ」


 やはり、知ってたのか。次第に、心の奥底で澱み続ける負の感情がせりあがってくる。


「じゃあ、どうして?」


 逢坂部は頭の中では理解していた。これまで交流を重ねる中で、帆夏の人となりも感じ取っていた。彼女がずっと自分を支えてくれてた事も、其処に悪意や打算など、微塵も含まれていない事も。

 だが、知っていた事をおくびにも出さず素知らぬ顔をしていた彼女を意識すると、気持ちが昂ぶるのを抑えられなくなった。それは最早、悪事を咎められた子供のような感情の爆発だった。若しくは、逆切れのようなもの。


「全てを知っていて、それでも君は、俺に近づいたと言うのか!」


 次の瞬間逢坂部は、帆夏を突き飛ばしていた。たまらずベッドの上から転げ落ちた彼女は、床に打ち付けたお尻を擦りながら蹲ってしまう。


「帆夏ちゃん……」


 ──やってしまった。


 家族。親戚。面白おかしく騒ぎ立てるマスコミの報道。

 あらゆる方面から否定の言葉を投げかけられた記憶が、胸中で暗い影となって渦巻き、爆発する感情を自制できなくなっていた。

 一瞬だけ手を差し伸べかけた彼だったが、良心の呵責に苛まれると、唇を噛んで俯いた。


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