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維新の剣  作者: 才谷草太
騒乱
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慶応三年 十一月十五日

 慶応三年 十一月十五日。

 夕暮れになった京の町に、慌ただしく出入りが続く醤油屋があった。近江屋である。

 越前から戻った龍馬は、この近江屋を定宿としていた。土佐藩邸に入りたくない龍馬を、安全の為道向かいに藩邸があるこの店に部屋を準備させたのは、後藤象二郎だった。


 夕暮れの太陽も沈んだ頃、近江屋に中岡慎太郎が訪ねて来る。



 「龍馬、春嶽公はどうじゃったか? 上京の手筈は…?」

 「万端じゃ。十二月にも上京してくれるろう…。新政府の人選も、ほれ…この通りじゃ」

 龍馬は布団の様に分厚い衣を羽織っていた。モソモソと動く龍馬を、中岡は小動物の動きと重ね、笑っていた。

 「おまん、何ぜその格好…。動き辛いがやろ」

 「参ったちゃ…風邪をひいちょっての。もう随分良くはなったが、用心じゃ」

 「そうじゃろうな…。この先、江戸城の明け渡しもあるがじゃ…。ん…? 何ぜ、こん○○○自ら盟主となり…ち」

 「ああ、その男はまだ決めちょらん。この国の代表になる男は、ワシ一人じゃ決めれんき…。皆の入れ札で決めるがじゃ」


 そう言うと、暖を取る為に熱燗を啜る。


 「しっかし、今日は冷えるのぉ…」

 「そうじゃの。風邪ひきのおまんには、少々堪えるがやないがか? 鍋でも食うかえ?」

 「鍋っち言うたら軍鶏じゃ! 中岡も食って行くじゃろう?」


 龍馬は軍鶏鍋が好物だった。その言葉に、中岡もヤレヤレと笑いながら頷いた。


 「峰吉、峰吉はおるがか!?」

 龍馬は一階にいる『峰吉』という小兵を呼び付けた。

 「はい、おります。何でしょう?」

 峰吉は龍馬によく懐いており、護衛を務める元力士『籐吉』と、龍馬の身辺の世話を競っていた。

 この二人は仲が良く、特に籐吉が元力士と言う事もあり、峰吉はしきりに相撲を教わっていた。


 「峰吉、ちっくと軍鶏を買うて来てはくれんかえ? 今夜は軍鶏鍋にしたいがじゃ」

 「分かりました。すぐに」

 峰吉はニコッと笑うと金を受け取り、階下へ走り降りる。階段の下には籐吉が待っており、龍馬に用事を頼まれた事に軽く嫉妬をしていた。


 「峰吉、俺が買い出しに行こう」

 「いえ、これは私が頼まれましたので…」

 そんな言い合いの末、予想通り相撲を取り出した。

 バタバタと暴れる二人に、二階の中岡はその様子が手に取る様に分かり、苦笑いを浮かべながら叫ぶ。


 「二人とも、吠たえなや」

 は~いという声の後、峰吉は近江屋の玄関を出て行く…。




 一方、近江屋の外では、一人の男が槍を担いで睨んでいる。土方より極秘の警護を任された、新撰組の原田左之助である。


 背中に槍を背負い、腕を組んで鋭く近江屋を見張る原田に、背後から近付く人影。

 「原田組長…」

 ビクッと身構え振り返る原田。

 「何でぇ…岡田か。気配を消して近寄って来るんじゃねえよ…」

 以蔵は、この日が心配で仕方無かった。友が暗殺される日である。居ても立ってもいられず、とうとう近江屋に来てしまったのだ。


 「安心しろ、つい今しがた伏見奉行所の見廻組を追い返した所だ」

 「み…見廻組ですって??」

 「ああ、見るからに殺気立って近江屋を睨みつけてやがったからな」


 見廻組が…近江屋から離れる? 新撰組が龍馬を守る事で…?

 では、龍馬を斬るのは一体…


 「伊東の野郎が、坂本を斬るなら俺達新撰組は、坂本を守り抜いた後、奴を…」



 以蔵はその言葉に絶望を見た。

 伊東は龍馬を斬るつもりは無い。むしろ坂本を効率良く守り、軍隊を整えさせ、理想とする国家を築き上げようとしている…。

 仮に龍馬が斬られた場合、その後釜に成りやすい様に御陵衛士を組織し、帝に近付いた。そう考えれば、全てが納得できる。


 これが狙いか…。あの暗殺計画も、この日の為に作った実績。見事に以蔵は嵌められていた。


 このままでは、龍馬が…生き延びる。

 友が死ななくて済む。


 同時に歴史が、刻が歪んで行く。




 以蔵は悩み、暫く無言のまま近江屋を見つめる。



 どれ程時間が経っただろう。

 近江屋から子供が嬉しそうに飛び出し、ニコニコしながら歩いて行った。

 その間、以蔵の表情から次第に感情が消えて行った。



 「原田組長。私は近江屋に入り、坂本龍馬の傍に居ます…。護衛はもう結構ですよ」

 その言葉に、原田はホッとした表情で、近江屋を見たまま答える。

 「そうか…お前さんが動いてくれるなら安心だ。坂本もこれ以上無い護衛に喜ぶだろうぜ」

 そう言って振り返り、ギョッとする。


 そこに立つのは、全く感情を無くした表情の男だ。

 原田はそれ以上、声を掛ける事ができず、男が近江屋に入って行くのを見送るしか無かった。




 近江屋の近くに、「ええじゃないか」という囃子の声が近付いて来る。


 ゆっくりと夜が更けると共に、土佐藩邸もその騒乱に包まれだす。

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