容堂との面会
慶応三年七月三日。
後藤達土佐藩士は京を出立。土佐藩へと戻る。
龍馬の描いた「大政奉還論」「船中八策」を元に山内容堂公を説得し、建白書を手に入れ徳川慶喜に迫る為に。
だが、案の定後藤は苦戦していた。
「大殿…どうか、ご決断下さい!」
「後藤、おまんも分かっちょるがろぅ。ワシら土佐藩は徳川に切っ先を向ける事は無いき」
「しかしこのままでは、薩摩・長州が武力討幕へと進んで…」
「何の為に長崎に行ったがか? 薩摩・長州を抱え込み、大いなる一手をワシら土佐藩主導で繰り出し、戦を納める為じゃろぅ…。あの坂本とかいう男に、逆に丸め込まれてどうするがじゃ…」
容堂は呆れ顔で酒をクイっと煽り、後藤を見下ろした。後藤は汗を大量に流し、それでも頭を上げずに嘆願を繰り返す。
「今、薩長を抱え込んだち、戦は止まらんがです! 各藩で倒幕運動が熱を上げ、いずれ江戸は戦地へと変わり果て、徳川家は滅亡してしまうがです!」
「ほいじゃったら、薩長を抱えて徳川を守る手段を考えんかぇ!」
容堂は加減無く後藤の脇を蹴る。その一撃に、一瞬のよろめきを見せるが、後藤は踏ん張り更に頭を下げ、畳に額を押し付ける。
その後藤の様を見た容堂は、ゆっくりと座り後藤に語りかける。
「徳川家の滅亡を守る為、その大政奉還を上げた後…武家社会は崩壊するがぞ。大名も何も無い世になり、混乱を極め、土佐藩も滅亡するかも知れんがぞ」
日々、同じだった。問答を繰り返し、後藤は次第に焦り出す。しかし容堂はそんな後藤を遠ざけず、日々招き入れ同じように問答を繰り返しながら酒を呑んでいた。
そしてひと月が経った頃の土佐城天主。かつて無い大事変が起きていた。
「おまんが坂本かぇ…」
大殿・山内容堂公の前に平伏すのは、土佐藩郷士。上士から犬猫同然に扱われていた下級武士である男。しかも半年前まで脱藩浪士として罪人だった男…。そんな男を大殿の前に招き入れたのである。
「はっ」
龍馬が平伏したまま、腹から声を出す。
「大政奉還を言いだし、松平春嶽公を、勝麟太郎を、薩長を動かした男じゃの?」
「…いや、容堂公は勘違い為されておいでで御座います」
「何じゃと?」
「みな、それぞれが国の為を想い、自ら動きなされただけの事…。ワシはその助力をしたに過ぎませぬ故、買被りはお止め下され」
「ほぅ…。おまんの手柄じゃ無いちゅう事じゃな?」
「何を以っての手柄でしょう。まだ世は混乱を極め、一度刺激を与えれば大戦が始まりまする」
そこまで言うと、ゆっくりと頭を上げながら言葉を続けた。
「長州・薩摩を筆頭に、討幕思想の各藩が錦の御旗の元に集まり、江戸を攻め、徳川滅亡を合言葉に暴徒と化す。更に海から英吉利・仏蘭西・亜米利加が、国力が疲弊して行くのを指を咥えて見ちょる…徳川が滅び、帝の元に諸藩が集まった所で、政から離れて久しい帝が実権を握る事は無く、諸藩は我こそがと戦を繰り返し、清国に並び隷国と成って行く…」
一気に龍馬が語る。それを容堂はいつもと変わらず、杯を傾けながら聞いていた。
しばらくの沈黙の後、容堂は龍馬に質問をした。毎日と言って良い程後藤に投げかけていた質問である。
「徳川家の滅亡を守る為、その大政奉還を上げた後…武家社会は崩壊するがぞ。大名も何も無い世になり、混乱を極め、土佐藩も滅亡するかも知れんがぞ」
「土佐山内家は滅亡などしませんき。土佐を変わらず納める事ができるがです」
「ふん…どういて言い切れるがじゃ」
「ワシは郷士じゃき、城下でのんびりするがエエがじゃ…」
龍馬は気を抜いて気安く、緊張を全くせずに容堂を見る。
「郷士、上士も無ぅなるがじゃろ?」
その反応に、龍馬はニっと笑い、再び畳に両手を着いて答える。
「今、郷士のワシは大殿様に直にお会いし、お話を聞いて頂いちょります。ここにはかつての関係はありませぬ…。土佐藩士は、大殿の意思に従います。事実、後藤様はワシを同士じゃ言うてくれちょります。長崎海援隊・土佐商会もまた、郷士・上士関係無く、できる者が出来る仕事をしちょります!」
「じゃから、ワシが慶喜公に引導を渡せ、言うがか?」
容堂は龍馬をグッと睨みつけ、杯を置き立ち上がる。そして、その姿を見た後藤は龍馬の隣へと即座に動き、平伏す。
「大殿、ご英断下さいませ! この国を守れるがは山内容堂公を外し他にはございませぬ! どうか、どうか…!」
後藤は汗と共に涙を流しつつ、大声で嘆願した。
「ワシは坂本が大嫌いでした。伯父上の仇敵でもあるこの男を、どういても好きにはなれんかったがです。しっかし、坂本は本気で国を考えちょります! 脱藩した身でありながら、容堂公を立て、土佐藩を立てる事を考えちょりました…。ワシは、ちっぽけな男じゃと痛感したがです!」
「国…じゃと? 後藤、おんしの口から国っちぅ言葉を聞くとは思わなんだのぉ…」
容堂は立ち上がったまま、愉快そうに笑う。
「この男…坂本が、ワシの目を開いてくれたがです。長崎を元に世界を見、そして国を見る…。こん国はちっぽけな島国でございます。それが分裂などすれば、守るべき物を守れません。それを、こん男は知っちょるがです!」
「後藤…おまんはワシがちっぽけじゃ、言うがか…?」
後藤はしまった!と、体中が硬直する。が…その言葉を受け、龍馬が体を起して反論する。
「そうじゃ、容堂公はちっぽけな事で二の足を踏んじょる」
その言葉に後藤は焦った。必死で龍馬の袖を引き、平伏すように促す後藤は、既に大粒の涙を流していた。
「藩じゃ、徳川じゃ言うても、所詮はイチ大名じゃろぅ。征夷大将軍言うた所で、それがどういた?何より大事ながは、今、この国を守る事じゃ無いかぇの?」
飄々とした態度で容堂に向かう龍馬。そんな男にゆっくりと近付き胡坐をかいて座る。
「坂本…龍馬、面白い男ぜよ。おまんの野望を聞いておこうかの…。そこまでして、おまんは政の中心になるがか?」
「ちゃ・ちゃ…。ワシは役人なぞなりとうも無いがじゃ。海援隊の船を使い、世界に出るがじゃ」
「世界じゃと?」
「今のこの国じゃ、世界に出るにも苦労するがじゃ…。交易にも幕府の許可が必要、外国に行くには幕府の指示が無いと行けん。何も面白う無いがじゃ」
後藤とは違い、口元を緩めて容堂に夢を語る龍馬。
「おまん…まさか、その為に世の中をひっくり返すっちゅうがか!?」
「国を守るっちゅう気持はあるんじゃが…どういても海に出て行きたいがじゃ…」
龍馬は頭を掻きながら話す。そんな龍馬に向かい、容堂は両肩をポンと叩き、睨む。
「大政奉還…これが成れば、徳川は滅ばんっちゅう事は間違い無いじゃろうな…?」
その言葉に、龍馬は再度姿勢を正し平伏す
「薩長とも、納得の上での連盟でございます。この盟約が破られる時は、ワシは海援隊と陸援隊を使い、江戸を守って見せるがです」
「ワシの認める建白書にて、徳川の歴史を終わらせ、侍の時代の終焉、諸大名の地位を奪うがじゃ…。後藤、坂本、ちぃと時をくれんかぃの…」
山内容堂が、建白書と向き合う決意を固めた。しかし、この日はそれ以上に意味を持っていた。
大殿が、郷士と会い、話をし、意見を聞いた。
その事自体が大政奉還へと一気に加速する起爆剤となった。
『武市…おまんの遺志か? 遂に…世が回るがじゃ…』
廊下を進みながら、容堂は武市瑞山を思い浮かべていた。




