象二郎との面会②
土佐藩邸の玄関より、少し右に廊下を入った所にある和室に通された以蔵。
面と向かうのは後藤象二郎。伯父の敵でもある岡田以蔵を目の前に、血走る目を携えてはいるが、よく我慢している。
「ほいで、坂本に何用じゃ」
「やはり…龍馬さんはこちらで良いのですね?」
その言葉だけで、暫く無言が続くが、沈黙を打ち消したのは後藤だった。
「残念じゃが、ここには居らんが。脱藩罪を放免されたっちゅう事で、ホイホイと京の町を歩き回っちょる」
「…龍さんらしい…」
以蔵はつい笑顔を浮かべて答える。そして、その表情に後藤の警戒心も若干薄れる。
「ほいで、坂本に何の用ぜよ?」
「大政奉還論…。彼が唱えて回る政権返上の件で」
「何じゃと? おまん…岡田以蔵がその話を聞いて、どうするがじゃ」
「安心下さい、後藤殿。薩摩の遣いでこちらにお伺いしました」
薩摩の遣いで岡田以蔵が…? 後藤は話が理解できずに、困惑の表情を浮かべた。そしてその表情から汲み取った以蔵は、話を続けた。
「薩摩藩の西郷殿・小松殿が大政奉還に興味を抱いております。この機会に、土佐参政後藤殿との面会を行い、話しによってはご協力させて頂きたい…、と、申されております」
その言葉は後藤には有難かった。土佐藩山内容堂単独の力では、幕府・徳川を説得するには力が足りない。背後に薩摩程の力を抱え、逃げ道は無い事を誇示しなければ、この案の先は暗いと思っていたからだ。無論、龍馬も薩摩との同盟を考え、その筋道を日々考えていただけに、薩摩からの申し出は断る理由など無かった。
しかし、その話を持って来たのが岡田以蔵である以上、円滑に進む事ではなかった。
「何故、おまんが薩摩の使者をやっちゅう…。おまんは一体何者ぜよ」
押し殺した声は凄味を含み、眼光鋭く以蔵を射抜く。
「私は坂本龍馬共々、土佐藩士中岡慎太郎とも旧知です。今回は中岡殿の依頼もあり、土佐藩邸にお伺いいたしました」
「中岡…じゃと? そやつも確か土佐勤王党に…」
「ええ、坂本龍馬と同士です」
また、だ。かつての土佐勤王党の名が、またしても出て来る。龍馬の件で苦悩し、本人の思想に触れ常人離れした天賦の才を見抜いた事で、個人として認められるようになったが、土佐勤王党自体は否定している後藤。最早悪夢としか言えない居心地の悪さに身を支配されていた。
「彼は、長州高杉晋作殿の遺志を引き継ぎ、現在軍隊を作ろうと奔走しております」
「大政奉還論に興味があるがや無いのか? 何故、軍隊じゃ?」
後藤は頭を抱え込んで質問をする。
「大政奉還論が成った後、帝都をお守りする軍隊がどこにありましょう? 無論、現在は武力討幕にも繋がりうる力ではありますが、その力を背後に土佐藩が立つ…という事も考えられるのでは無いでしょうか?」
「…背後にじゃと?」
「海からは土佐藩亀山社中、陸からは長州の影が見え隠れする軍隊、そして背後には薩摩藩…」
そこまで言うと、後藤はバッと両腕を前に突き出した。
「もぅええ! もぅええちゃ!」
後藤は全てを理解した。土佐藩が山内容堂を立て大政奉還をし、そしてその背後には先の大戦にて幕軍を退けた長州、更には薩摩を背負う。断れば武力討幕という言葉が、聞かずとも理解できる布陣となるのだ。つまり、この案を徳川慶喜が受け入れない場合、徳川家は滅亡する事を意味している。
「最後の一手を…打てと言う事じゃろう…」
そこまで言うと、玄関から大声が聞こえる。
「どこぜ~! 以蔵殿、来ちょるがやろ~!」
京散歩から舞い戻った龍馬である。
「坂本、ここじゃ!」
後藤が呼ぶより先に、障子からヒョイと顔を出す龍馬。
「ヲテントサマ丸以来じゃの」
ニカっと笑い、胡坐で座る。そして、事の経緯を後藤が説明し、以蔵はただそれを聞いていた。
龍馬の顔は次第に興奮を帯び、ほうほうと目を輝かせて聞いている。
「げに、まっこと驚いたぜよ、おまんはワシの頭の中を覗けるがか!?」
龍馬はひどく興奮をし、以蔵の両肩を掴んで揺さぶり始めた。
「薩摩はどうにかなるじゃろうと思うちょったが、まさかそげな形で長州を表に立たせるなんち、ワシには想像できんかったがじゃ!」
史実、この時に話が出たのは薩土盟約のみであり、長州は蚊帳の外に居た。しかし以蔵は既に薩長土を結び付ける案を打ち出してしまっていたのだ。歴史が変わってしまった。が、以蔵に『目眩』は起こらない…。これが、歴史を変えている事に気付かない最大の要因となっていた。
「そうかぇ、そうかぇ…。薩長共に力を合わせ、倒幕に参加できるっちゅう事は、各藩の面目も立つっちゅう事じゃの…」
「しかし坂本、武力討幕は…」
「分かっちゅう、後藤さん。ワシはの、何段階かに分ける方法を取るがじゃ」
「分ける…? 討幕をかぇ?」
龍馬はコクっと頷き、答える。
「第一は、大政奉還じゃ。政権を返上奉る。第二は先の船で書いた八策、第三は江戸城を帝に明け渡すがじゃ」
その言葉には後藤も更に驚きが溢れる。江戸城を明け渡すという事は、新政府に藩としても降参するという事。
「そげな事、出来るがか!?」
「ワシは今、新政府閣僚の草案を考えちょる最中じゃ。その交渉をできる程の男も、盛り込むきに心配いらんがじゃ」
どこまでも先を進む龍馬の発想に、後藤はもはや感心するしかない。
「ほいで、いつ西郷殿に会えるがじゃ?」
龍馬は参政を差し置いて会話を以蔵に振った。
「後藤殿のご都合に合わせます」
以蔵はそう良い、深く頭を下げた。
「ちゃ・ちゃ…いかんいかん、ワシは浪士の癖が抜けちょらんの…」
龍馬は頭を掻きながら笑った。
刻の歪は徐々に広がる。その代償は歪の幅と比例して広がるという事に、以蔵は気付いていないままに。




