決意

　龍馬が大政奉還論を唱えている事は、長州を通じて薩摩にも伝わっていた。

　これには西郷・大久保も戸惑いを感じていた。

　幕府の長州征伐戦に対抗する為の一大勢力を築き上げた龍馬が、今度は一転徳川を守ろうとも取れる不戦活動に打って出たのだ。

　このままでは何の為の薩長同盟か分からない。いや、自ら作ったとも言える同盟を、崩そうと言うのだから、この同盟すら自らの策略の一部であると捉える事も可能だ。

　その不信感が西郷を煽り、大久保も同調していた。

　更に薩摩を戦へと向かわす藩論として纏まりつつあった。

　無論、その情報を薩摩に送った長州とて戦へ向かっての準備を始めていた。あるいは高杉の命が永らえていれば、この悲しい判断には至らなかったのかも知れない。

　長州・薩摩を敵に回し、土佐の龍馬達は一気に加速して行く。その勢いは山内容堂すら巻き込む。

　しかしそれには薩摩藩の協力が必要だった。龍馬の策として、先の戦で表向きは中立を守った薩摩を幕府側に「敵対の意思は無い」という表明を含め、更には土佐藩が薩摩藩を抑え込んだとも表明する事。それにより、土佐藩の背後に薩摩藩が要る事をチラつかせ、大政奉還への圧力と考えていた。

　無論、断れば武力討幕も辞さないという決意の表れでもあるのだが、土佐藩、そして龍馬とて武力討幕を望んではいない。この薩土盟約を締結した上では、失敗は戦へと直結する事になる。

　後藤は頭が良い。その危機は語らずとも見える。

　「坂本、それはいかんがぞ」

　「後藤さん…決意は揺らぐか？　今成さんと戦になるは避けられんちや」

　「しっかし、薩摩は初めから戦をする気で同盟を結んで来るがぞ。おまけに…薩長はおまんが結び付けた武力同盟じゃろ。武力とは切って離せんき」

　「そうじゃ。裏には武力があるっち思わせるがじゃ。徳川は大政奉還するしか無いがぜよ」

　武力をチラつかせ、政治的圧力にせよ、と言うのが龍馬の考え。

　一方の後藤は、例え圧力であっても薩摩の武力を背後に、交渉を迫るのは危険と反対。

　このような会話をしている場所は、長崎にある龍馬行きつけの写真屋である。後藤は生まれて初めての写真に臨んでいる。

　会話の中で、表情をグッと崩しそうになる度に店の主人に注意され、慌ててポーズを決める後藤。清風亭での会談の後、龍馬に長崎を案内させている途中であった。

　「坂本…まだふぉとぐらふぃーは終わらんがか…」

　恰好を付けて立っているポーズに疲れたと見え、文句を言いだす後藤に対し、龍馬はブーツの片足を脱いで言う。

　「あぁ、もう終わっちょるようじゃ」

　「何じゃと？　ほいたらさっさと教えんか！」

　後藤は白粉を塗った顔を真っ赤に染めて龍馬に怒りを向けるが、龍馬はガハハと大声で笑い飛ばしている。

　「ほいで坂本…。おまんが薩摩と結ぶっち言う以上、勝算はあるがじゃろうな？」

　顔に塗った撮影用の白粉を拭いながら、不機嫌そうに問いかける。

　「後藤さん、勝算などありゃせん」

　あっさりと答える。

　「何じゃと？　おまん、戦になったら戦をせい、そう容堂公に進言するがか！」

　「そうじゃ」

　完全に後藤をおちょくっている様に、龍馬はニっと笑う。

　「おまん、勝算の無い策略で薩摩と組むより、他の餌で薩摩を釣れんがか…？」

　「ほいたら、容堂公に土佐藩単独で進言して頂けるよう、後藤さんが説き伏せりゃ済むがじゃ」

　「と…土佐単独か…」

　「後ろ盾のない土佐藩が、単独での建白書を認め、徳川慶喜に…」

　流石に、容堂一人を説得する程の力すら無い事は、後藤にもすんなりと理解できる。かと言って、薩摩を盾に容堂を説得してみても、武力での交渉を良しとする人では無い事も理解できる。

　「戦となれば、幕府と滅ぶ…か」

　後藤は会談で発した龍馬の言葉を繰り返す。

　龍馬は眉間に力を入れ、言葉を選びながら話し出す。

　「戦となれば、我等海援隊は独立軍隊として、江戸に攻撃を仕掛け、慶喜公を斬るがじゃ」

　写真屋の主人は龍馬の事を良く知っている。まるで聞いて居ないように平静を保ち、無論公言はしない。しかし後藤は動揺を隠せない。

　「ワシ等海援隊を、土佐藩から切り離してもエイがぞ」

　龍馬は涼しげに後藤に言い放った。

　後藤は汗を滴らしている。１月だというのに、大量の汗を体中に感じる後藤に対し、龍馬は終始涼しげな表情のまま語る。

　「薩摩との会談を整えろ」

　後藤は覚悟を決めた。一世一代の大勝負に出る覚悟を。