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維新の剣  作者: 才谷草太
帰郷
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清風亭会談① ~龍の腹~

 刻は慶応三年一月十八日、場所は長崎の清風亭。ここでこの日、日本を揺るがす第一歩が始まる。

 無論、全ては極秘裏に進められ、その内容は全く知られる事は無かった。しかし、その後の土佐藩の成長は著しく、そこに龍馬の影があった事は確かである。


 そう、その日は後藤象二郎という男が、怪物に化けた日となる。



 当日の後藤は、是が非でも自らが主役となり、全てを操作するつもりでいた。そのまず第一手として、脱藩浪人坂本龍馬を会談場所で待たせる事から始まった。


 「岩崎、そう急ぐな。坂本を少しでも待たせるがじゃ」

 「しっかし後藤様…あまり時を空けると、奴に考える時間ばぁ与えてしまいます」

 岩崎は焦っていた。昨年、社中で見せた人心操作の天賦の才に畏れを覚えていた。

 「奴がワシの知恵を上回るち言うがか?」

 いかにも悪役っぽく口元を緩めるが、岩崎にはそれすら上回る龍馬の存在感を忘れる事ができずにいたのだ。


 長い廊下を歩き、最も深い場所にある和室に行き着いた。そこからは良く手入れされた庭が見える。


 すぅっと深呼吸した岩崎は、障子を空ける。


 「お、いや遅かったじゃないかぇ」

 明らかに緊張を微塵ともしない声で出迎える。龍馬の袴は折目が消えかけ、紋付も汚れている。そればかりか既に足を崩して酒を呑んでいる。

 「坂本、何ぜその態度は…」

 岩崎は慌てて龍馬を嗜めようとするが、それ以前に後藤は全く気に喰わなかった。そして、岩崎の言葉が終わらぬうちに大声を上げた。

 「きさん、下座に移れ! ワシは土佐参政じゃぞ!」

 その怒号に驚いたのは岩崎。確かに龍馬は上座に鎮座し、恐れも無く無礼講を演じている。が…そんな後藤の言葉に、龍馬は口を開く。

 「すまんの、後藤さん。ワシは脱藩浪士じゃき、参政様じゃろうが関係無いがよ。今日は土佐藩がワシを招いたっちゅう事は、ワシは客人。上座に座るがは当然じゃろ」

 「招いたのは土佐藩では無い! こん岩崎じゃ!」

 「ほいたら遅れて来た後藤さんが下座に座るべきじゃのぉ。ワシに話しがあるがは後藤さんじゃろ?」

 岩崎は言葉が出なかった。参政と言えば郷士から見れば神に近い存在。それを明らかに手玉に取っている。後藤の第一手が脆くも崩れ、あっさりと主導権を握られてしまった。


 後藤は龍馬の言葉を聞き、身体が震えている。岩崎はこの場で龍馬を斬り、自らも切腹しなければならない…どう乗り切るか必死に模索しながら、後藤の震えを見ていた。


 次の瞬間、清風亭に響いたのは、後藤の笑い声だった。



 「坂本…おまん、気に入ったぜよ」

 後藤はそう言い放ち、下座に腰を下ろした。岩崎は、もう既に何が起きているか理解できなかった。

 龍馬は後藤が下座に座ったのを確認した後、正座をし直し頭を下げた。

 「ふん、ワシが遅れて来るっち分かっとったがか」

 龍馬はすぅっと頭を上げ、背筋を伸ばして答えた。

 「失礼ながら、ワシ等亀山社中が従う程の器の方かを試す為ですき」

 「礼儀は弁えちょるっちゅう所を見せるのも、おんしの策かえ」

 後藤はニヤッと笑った。


 「おまんの望みは何じゃ。言うてみぃ」

 「はっ。まずは我々脱藩の者の免罪…」

 龍馬は軽く頭を下げて発する。

 「まず、の望みで早速免罪かぇ、愉快な男じゃの…。おい岩崎、酒を注がんか」

 後藤はすっと盃を岩崎に向け命令する。それに反応し、即座に酌をする岩崎…。屈辱だった。ずっと後藤に従っていた自分が酌をし、脱藩浪士でありながら郷士である龍馬が、ほぼ対等な扱いで面会している現実。


 「ほいで、他には」


 後藤は酒を啜りながら龍馬に問いかける。


 「亀山社中を…土佐藩お抱えにして頂きたく」

 「ほう、土佐藩の支配下に入るっちゅう事か?」

 「いえ、我々は土佐藩と対等の商いを行いたく存じます」

 「脱藩を免罪した所で、おんしらぁは郷士じゃ。そう易々とできるもんじゃ無いっちゅう事は、誰よりも分かっちょるじゃろ」

 言葉では否定しつつ、後藤は次の龍馬の言葉に大きな期待をしている。この男、常識では計り知れない頭脳を持っている事は、既に分かっていた。

 「失礼ながら、今、後藤様はその郷士を上座に、御自ら下座へと着いております。今こそ上士・郷士という身分を打ち払い、才のある者を担ぎ挙げ、クニの為に立つ事こそ、土佐藩が飛躍する事に繋がるとは思いませぬか?」

 「クニの為じゃと? おまんが言うクニっち、何ぜ」

 「無論、日本国に御座います。この状況下、各藩は自らの事ばかりを考え、我先にと軍備を整えちょります。しかし土佐藩はあくまで日本の為という大義を持ち、天下に打って出るがです」

 「天下にじゃと? 勘違いするな、坂本。土佐藩は大恩ある徳川に反旗は翻さん」

 「そうじゃ、そうでなきゃ困るがじゃ!」

 龍馬は腹にグッと力を入れる。


 「徳川を打ち滅ぼした後、帝が政を行うがは至極困難。幕府が崩れた時、諸藩は次の将軍になろうと争いを起こすじゃろう。今、正に江戸へと進軍を企てる藩も機会を伺っちょる有り様じゃ」

 「それば止める策があるがか? 我等土佐藩に!?」

 「いや、土佐だけじゃ無理じゃ…。薩摩と手を組むがじゃ」

 龍馬の言葉に後藤の杯を持つ手が止まる。


 「薩摩じゃと?」

 「お察しの通り、薩摩は長州と並び倒幕派の先鋒じゃ。しっかしこの薩摩を抱き抱え、薩土盟約を結ぶ事ができた時…天下はどう動くかの」

 「我らが倒幕派とならん保証はあるがか? 我らが徳川に矛先を向ける事態を避ける策はあるがじゃろうな」

 「勿論じゃ。土佐藩は決して徳川に戦は仕掛けん。その上で徳川も、ほいで日本も守るがじゃ」

 「郷士と手を結べば、それができる言うがか?」

 「関ヶ原以降、徳川に着き従った上士、敗戦の長宗我部に着き従った郷士。いずれも元は同じ日本人じゃ。志を共にする者達が手を組んだ時、あの長州奇兵隊と同じく力を発揮するがじゃ」

 「高杉かえ…先の戦で名を上げた軍隊か」

 後藤は忘れかけた杯を傾け、グイッと飲み干し、岩崎に突き出す。慌てて酌をする岩崎も、龍馬の話しに呑み込まれていた。

 「坂本…おまんは商いをするっち言うた割に、政を操る事を考えちょる。どっちが目的じゃ」

 後藤は冷静に龍馬を分析している。話しに呑まれていない証拠だと言わんばかりに。


 「ちゃちゃ…いかんの、つい熱くなってしもうた」

 龍馬はボリボリと頭を掻き、

 「政を操るがは後藤さんの仕事ぜよ。ワシ等の出る幕では無いき。ワシ等は商売を通じ、人と人を繋げ、情報を集め、それを後藤さんに伝える。そん対価をワシ等にくれればエぃがじゃ」

 「策は考え、動くがはワシ…っちゅう事じゃの?」

 「動くがは土佐藩じゃ。そうで無ければ江戸は…徳川は守れんきの」


 龍馬の、二人にとっては余りにスケールの大きな話しに、暫く沈黙した。


 「岩崎、坂本に酒を注いでやれ」


 またも岩崎屈辱…。全く、災難である。


 「坂本、おまんはワシを利用する気じゃな?」

 愉快気に後藤は酒を呑む。

 「利害一致。互いに利用し合う事こそ盟友じゃ」

 何食わぬ顔で同等の立場を作り上げた龍馬も酒を呑む。



 一人蚊帳の外の岩崎。その表情は見ずとも分かる程落ち込んでいた。

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