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維新の剣  作者: 才谷草太
帰郷
81/140

長崎の岩崎

 「みな、元気じゃったか」

 古い小屋に十数人が集まっており、入り口から大声で声をかける。

 「龍馬、随分長い旅だったじゃないか」

 「陽之助、おまん相変わらず白袴が似合わんのぉ…」

 「五月蝿いわい、で…どうだった?」


 亀山社中の隊士が集まる中、取り分け大声な男の名は陸奥陽之助。社中の中核を担っている男であり、後の天才的外務大臣となる男である。


 「難しぃのぉ…。このままでは、戦が江戸に広がってしまうがじゃ。まぁ、ワシの考えに敵が多いっちゅう事も分かっちょるし…お龍は長州の三吉に預けて来たがじゃ」

 「そうか…。そう言えばここ最近、龍馬を訪ねて土佐の男が来てたぞ?」

 「土佐の? ワシがここに居る事を知っちょる男か…誰じゃろう?」

 「確か溝渕ナントカ…」

 その名前に、龍馬の表情がパッと明るくなった。

 「溝渕さんかぇ! 長崎で砲術を学んじょるとは聞いた事があったが、訪ねてくれちょったとは…」

 懐かしい人との面会ができるかも知れないという期待感で、旅の疲れも薄らぐ。

 「しかし、もう一人土佐の男が居たぞ。名前は岩崎と言ってたか…」

 「岩崎…? 聞いた事あるような無いような…?」

 「無愛想な男だった。土佐の役人じゃないか?」

 「ワシぁ脱藩浪士じゃからのぉ…。捕まえに来たがかの」

 龍馬はふふんっと笑った。すると、龍馬の背後から男が駆け寄り声を掛ける。

 「龍馬ぁ! やっと会えたがじゃ!!」

 男は大袈裟に背中から跳び付き、抱き締める。

 「何じゃ、何じゃ?? おんし…溝渕さんかぇ!」

 これまでに無いタイミングでの登場に、龍馬は驚きを隠せない。

 「丁度おんしの話しをしちょったがじゃ! ワシを捕まえに来たがか?」

 「馬鹿な事を言うなち。おまん、後藤様が探しておられるぞ!」

 「後藤様?? 土佐の参政殿が何故ワシを探すがじゃ? 脱藩浪士を捕まえるにしては大袈裟じゃのぉ…」

 「そうじゃろ、イチ脱藩浪士の捕縛で、わざわざ参政が長崎に来る筈が無いがじゃ」

 「長崎に来ちょるがか…まっこと、大事じゃのぉ…」


 「おんしが坂本かぇ」


 溝渕の背後から、低い声が聞こえる。


 「ん…おんしゃあ誰ぜよ」

 「ワシは岩崎弥太郎じゃ。おまんら土佐勤王党の監視をしちょったがじゃ」

 「勤王党じゃと…? ほいたら武市さんを知っちょるがか!?」

 敵対視して来ると踏んでいた岩崎は、その時の龍馬の表情を見て驚き、コクっと頷いた。

 龍馬にはまるで敵対心が無く、旧友に出会ったかのような表情を岩崎に向け、抱き付いた。

 「いやぁ…そうかいそうかい、よう来てくれたのぉ。じゃが、ワシはもう土佐勤王党では無いがじゃ。無駄足にしてしもうたかのぉ」


 一方的に話し続ける龍馬に、溝渕と岩崎は戸惑いつつも話しを切り出した。


 「いや、龍馬…落ち着け。後藤様がおまんに会いたいち言われちょるがは、勤王党の事じゃ無か」

 「ほいたら…脱藩でも無かち言うたら、何ぜよ」

 「分からんわぃ…何故後藤様がおまんみたいなゴロツキに会いたいち言うがか…こっちが聞きたいわ」

 「何じゃ、ゴロツキとは…」

 「脱藩した思うたら、勝海舟の元に入り、そこが無くなったら薩摩・長州…気が付いたら薩長を結ぶ様な博打を打つ。思うがままに生きちょるだけで、その場その場を切り抜けちょる結果が良かっただけで、何の計画性もありゃぁせん!」

 「計画無しに薩長を結べると思うちょるがか?」

 「社中として船は沈没、次に手に入れた船は使用権を剥奪、これが計画的に動く者の経営かや」

 「ほぅ…経営を口にするがか、岩崎殿は…」

 龍馬は興味で瞳が輝き、岩崎をぐっと見つめる。


 「しっかし、ワシは脱藩者じゃ。後藤様と会う訳にはいかんぜよ」


 「何じゃ、土佐藩参政直々にお会いして頂けるっちゅうのに、おまんは拒否するがか!」

 岩崎は怒鳴った。どうやらこの男、龍馬に嫉妬をしているらしい。

 「ワシは苦労して苦労して、ようやく後藤様の直下で働ける身分になったがやのに、おまんは脱藩して自由気ままに生き、後藤様から会いたいち口に出される…ワシは口惜しぃがじゃ」

 意味も分からず泣き顔を見せられた龍馬と溝渕。始末に悪い男だ。


 「何じゃ岩崎…おまん泣き虫じゃのぉ。自らの生き方に後悔しちょるがか?」

 「後悔なんぞしちょらん! ワシはワシの思うがままに生きて来たがじゃ!」

 「ほいたら泣く必要なぞ無いがやろ? …分かったちゃ。後藤様に伝えておぅせ… 場所と日時を決めたら、そこに向かうち」


 岩崎は呆れた。この男、土佐藩参政に対して同等の場を設けろ、そう言っているのだ。


 しかし、この後にこの岩崎弥太郎の運命も巻き込む一大事業が立ち上がるとは、誰も想像はしていなかった。

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