下関の高杉
長崎で龍馬捜索が行われている頃、当の本人は下関に居た。
訪ねていたのは高杉晋作。妻であるお龍を連れての訪問だった。戦が段落したとはいえ、未だに幕長戦争を引きずり闘っている場所もある危険な状態で、妻を連れての訪問には理由があった。
「高杉さん、元気かぇ?」
間の抜けた声で晋作の元を訪ねる龍馬だが、そこに居たのは着流しを着た青白い顔をした晋作だった。
「この姿を見て君は元気かと聞くのか?」
三味線を静かに膝に乗せ、夏の終わりの風を味わう様に吸い込む晋作が聞く。
「ちゃちゃちゃ…何じゃ高杉さん。まだまだ死んじょらん様じゃの。元気そうで安心したがじゃ」
ニッと口元を緩め、懐かしそうに目を閉じる晋作。
「どうやら僕は永くは無いようだ。命を天に返す準備を始めたらしい」
「そうかぇ…。いや、面白かったのぉ」
龍馬は細い目を更に細めて、天を仰ぐ。お龍はその場から姿を消し、晋作の妻『まさ』と共に夕餉の支度をしていた。
「坂本、薩摩と長州を結び、幕府と戦をして勝った。この次はどうするつもりだ?」
「そうじゃの…。今、幕府は力を失っちょる。倒幕を試みるには持って来いっちゅう好機じゃ」
高杉は切れ長の目を天に向け、ゆっくりと口にする。
「本意では無いんだろう?」
「そうじゃ。高杉さんと同じでの…」
「何を考えてるか、教えてはくれないか?」
全てを見通した目付きで龍馬を見る晋作。そして、それを見ずに龍馬は答える。
「大政奉還じゃ…。政権を朝廷に返上してしまえば、諸藩も幕府なんぞ相手にする意味が無くなるじゃろ」
「やっぱりそうか。君ならその策を取ると思った…。だが坂本…今までその大政奉還論を唱え、失敗した先人達は何で躓いたか知っているか?」
「そこじゃ…。問題はそこなんじゃ。今まで政から離れちょった帝が、ある日突然権力を手中に収めたち、立ち回れんがじゃ…」
「それを知って尚且つ『大政奉還論』を説くには、相応の準備があるんだろうな」
晋作は三味線を鳴らした。そして、それ以上お互いに会話はしなかった。
縁側から、歌が聞こえる。
~三千世界の鴉を殺し、主と添寝がしてみたい~
「高杉さん、おんしゃぁ戦を望んではおらん。ワシは、そんな国を望んじょる」
別れ際、龍馬が晋作に投げかけた言葉に、晋作はニッと口を緩めるだけだった。
わずか数時間。龍馬は晋作の身体を案じて早々に出立を決めており、晋作は龍馬に肺結核を移すまいと早めに帰すつもりだった。
龍馬が去った後、高杉はポツリと口にする。
「坂本…。僕の出番はここまでだ。後の事は…この国の後の事は任せた」
龍馬との面会中、晋作は咳一つしなかったが、この時、口から血を流し堪えていた。
この時代、龍馬と真に同じ理想を持った男は、雷電の如き人生を全うし、この後、再び会う事無くその人生を終える事となる。
二人の英傑の最後の面会は、僅か数時間。
この数時間に魂は結ばれ、受け継がれていた。
後の歴史を知る物が言う。
「坂本・高杉は日本史上最大の英雄である。早世故に高杉は龍馬に及ばないが、この両名無くして日本は無し」




