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維新の剣  作者: 才谷草太
帰郷
78/140

長崎の後藤

 九月初旬の長崎。

 商人が集まり、交易で財を成した豪商と西洋の文化が入り混ざった場所。


 土佐藩政を取り仕切る男、後藤象二郎はこの地に来ていた。山内容堂より坂本龍馬に会い、土佐藩の力を打ち立てる切っ掛けとする為に。

 しかし龍馬は脱藩の身であり、そう容易く土佐藩参政に見つかる訳は無い。


 後藤は焦っていた。


 「岩崎…おまん、長崎に来てどれくらいになる」

 「半月となります」

 「ワシが聞いちょるのは、その半月で何を聞き、何を見たがっちゅう事じゃ」

 後藤が長崎に来る事より先んじて、岩崎弥太郎は長崎に入っていた。


 「しっかし後藤様、ワシも坂本っちゅう男の顔は知らんがじゃ…」

 半泣き、と言うよりも既に泣いている男は、後の三菱財閥創始者となる岩崎弥太郎である。


 後藤は平伏して泣く弥太郎に歩み寄り、襟を摘まみ上げて諭すように声を掛ける。

 「おんしゃあ…べこんかぁ(馬鹿)じゃの…。顔も知らん男を、半月かけて探し回っちょるのか」

 声量こそ大人しいが、その表情は怒り狂う獅子の如くシワが刻まれていた。

 「何故このワシが、脱藩した郷士一人の為に長崎まで来たがじゃ?」

 最早八つ当たりである。弥太郎も溜まった物では無い。しかし参政に刃向かう程の郷士は、この時点で居る筈も無く、もはや天の声とも思われる後藤に圧され、弥太郎は縮みあがるしか無かった。


 「岩崎、何か手は無いのか?」

 弥太郎を放り投げて背を向けながら言い放つ。

 「はっ…。かつて坂本と江戸桶町、千葉道場で同門であった溝渕広之丞が、現在長崎に滞在中っちゅう事は掴んじょります」

 「何じゃと!? ほいたらその溝渕を先に見付けんかぃ!」

 後藤は腹から大声を出し、弥太郎を蹴り飛ばす。至極当然の事だが、弥太郎がその情報を掴んだのはほんの数日前。しかもどこに居るかはまだ明確にはなっておらず、砲術を学ぶ為に土佐者が来ている、という情報だけであった。それが溝渕である事は、風貌の情報から間違いは無いだろうと確信はしていたが、砲術を学べる場所を探している間に後藤が長崎に来たのだ。


 「岩崎、おまんはどう思うがじゃ」

 「…どう、と申されますと?」

 「鈍い奴じゃ。坂本を土佐藩に引き入れる事じゃ。恩を着せ、手足の様に遣う術はあると思うがか?」

 弥太郎は、やっと口元を緩めた。

 「はっ。ご安心下され後藤様。坂本の代表を務めちゅう『亀山社中』は、手に入れる船をその傍から失っちょります。遭難・転覆、更に契約した時の甘さで、使用の権利を取り上げられるっちゅう失態まで起きちょります。奴は商人としての才能は無いがじゃ」

 「商人として『だけ』なら才能はおまんが上じゃっちゅう事を言いたいがか?」

 後藤はキッと睨みつける。

 「違いますき…聞いてつかぁさい」

 弥太郎はうろたえつつ話しを続ける。どうもこの男は口が達つようだが、空気が読めない所がある。

 「亀山社中っちゅう結社はかつて、神戸海軍操練所を端に発しております。その腕は一流じゃが、浪士結社だけあって船を用立てるっちゅう事に苦労しちょります」


 「…ほいたら逆に聞くが、岩崎よ、おまんが脱藩し、後ろ盾の無い状態で何艘もの船を贖い、薩長を利用し、商いをする事が出来るっちゅうがか?」


 後藤は龍馬を評価していた。しかし、だからこそ土佐藩を奴に利用されるのではなく、利用する側に回らねばならぬと感じていた。


 「我が土佐藩は、船はあれど水夫が不足しちゅう…ちゅう事じゃな?」

 「はっ…。亀山社中を土佐藩に組み込み、外郭団体としての立場を用立てて欲しいがじゃ。奴等に船を用立て、この長崎の商人に顔が利く坂本を利用し、武器弾薬を買い集め、今後の動きは土佐藩が後ろ盾になるっちゅう事を諸藩に知らせれば、これから奴がどう動こうがそれは容堂公の意思っちゅう事になるがじゃ…」

 「奴がその武器弾薬で徳川に戦を求めても、容堂公の御意志っちゅう事か?」

 「あ…」

 「べこんかぁがああ!!」


 再び後藤に蹴飛ばされる弥太郎。悲運である。


 「まぁええ。その案を元に、奴の腹を探っちゃるき」

 後藤は顎を擦りながら不敵に笑った。

 それを見た弥太郎は小声で嘆く。

 「ワシの案を採択するなら、蹴らずとも良かろうち…」

 …最もである。


 この後ひと月、弥太郎は溝渕を探しまわり、十月に入り溝渕と面会。龍馬の脱藩罪を放免するという条件で捜索を依頼するが、龍馬はこの時、長崎には居なかった。

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