高杉晋作、暗殺実行
周防大島奪還成功を果たした長州軍は、陸・海軍をその場に留め、小倉攻略への作戦を練っていた。
孤島である為、陸地からの襲撃は無い。『奇兵隊』『報国隊』は海岸線を中心に守りを固め、高杉を中心とした参謀は、旗艦『ヲテントサマ丸』に乗船して策を練っていた。
丁度その頃、『亀山社中』を引き連れた龍馬が到着。今後加わる算段になっている小倉攻めの作戦会議に途中参加をした。
「参ったぜよ、まさかこげな短期間で拠点一か所を制圧してしまうとは」
龍馬は船長室に入るなり、大声で笑いながら言い放った。
「坂本、お前来るのが少しばかり遅かったな。圧倒的制圧戦を見せてやりたかったぜ」
相変わらずの着流し姿で、酒を呑みながら作戦会議に出ている高杉は、不敵な笑みを浮かべた。
「だが次はこう簡単には行きそうにない。何せ孤島とは訳が違うからな…」
そう言いながら小倉の地図を木の棒で指す。そこには墨で丸が付けられている。
「中岡が探り当てた武器庫の位置だ、密偵としちゃ天下一品だな。沿岸部から城下まで、隈なく調べ上げてやがる」
「ほほぉ…やっぱりワシより軍才があったか」
「できれば中岡に奇兵隊一個を率いて貰いたいが、何やら西郷殿の安芸藩説得の傍ら、同盟を結ぶと躍起になっていてな…」
「長州のお隣じゃからの…先鋒を拒否しただけでも十分じゃのに、今度は同盟か」
「そんな事より坂本、亀山社中ってのは使えるのか?」
「甘く見て貰っちゃ困るぜよ。ワシ等ぁは今回の作戦で神戸海軍操練所出身者を見繕って来たがぞ」
「そいつは良い。幕府に金を出させて学んだ技術で、幕府と戦うか」
無論、龍馬はそれを望んだ訳では無い。戦わない為に試行錯誤をした結果、これしか方法が無かったのだ。苦笑いで言葉を発しない龍馬を、高杉は敢えて無視して話しを続けた。
「長州海軍と連携を取り、小倉沿岸部にある門司・田ノ浦を砲撃して貰いたい。兵糧庫が集中している個所を重点的にな…。地上部隊は兵糧庫を奇襲した後、二手に分けて一方を岩国藩との戦闘に向かわせる。更に大村(益次郎)が中立の津和野藩を通過し、浜田に侵攻する」
「海上からの砲撃の後、兵を運搬すればエエがか?」
「流石、分かってるじゃねえか。小倉の奇襲は兵糧庫のみ、その後は持久戦だ…そこに兵力を一点集中させて、その後は各藩との戦闘に分断させる。疾風迅雷…軍艦を上手く使わないと、この戦に勝ちはねえ」
高杉は長州と亀山社中の船を全て動員し、機動力と火力を最大限に引き出す作戦を練っていた。作戦を聞いていた参謀達は、全員その作戦に意気を高くしたまま、船長室から出て行った。
船底にある小部屋を船長室とした高杉。一人静かに三味線を弾くつもりの部屋だった。甲板や他の船室とは遠く離れた部屋に残った高杉と龍馬は、しばらく沈黙を貫いて酒を呑んだ。しかし、その沈黙に浸る時間に二人は違和感を感じていた。
「高杉さん…静か過ぎんか?」
「普段、作戦中は皆静かに過ごすが…この静けさは不気味だな」
何かしらの闇を感じた二人は、ゆっくりと部屋の入口に視線を向ける。と…扉がゆっくりと開き、外から声がする。
「酒の御代りは如何ですか?」
「頼んでないが…? 誰だ?」
高杉が不審な気配を察し、鯉口を切って答えると、扉が一気に開き、弾かれた様に一人の男が中に掛け込む。そして男は高杉の前まで瞬時に飛び掛かると、首を目掛けて刀を抜き付ける。
『抜刀術か!』
高杉は自らの刀を引き抜き、襲いかかる刃を止める。
襲いかかった男はそのまま後ろに下がり、再び納刀する。
「おまん…以蔵!」
龍馬はその懐かしい顔を見て、驚愕した。薫と名を奪い合った闇の以蔵がそこに居た。
「以蔵…伝説の『岡田以蔵』か! いつから佐幕派になった!」
「ワシは倒幕でも佐幕でも無い。人を斬るしかできん男じゃ…。ワシから名を奪った奴に勝つ為なら、例え誰だろうが仲間になる」
「名を…? 岡田以蔵では無いのか」
「高杉さん、こいつは伝説の以蔵では無いき。事情は後で説明する」
龍馬の言葉に闇の以蔵は怪しく微笑み、再び鯉口を切る。机を挟み、高杉と離れていた龍馬はそこに上がろうと手を掛けたが、完治していない手はまだ自由が利かず、激痛が走る。その一瞬を突いて闇以蔵は脇差を投げ、龍馬の左手と机を縫い付けた。
「坂本、おまんはそこで待っちょれ。後で斬っちゃるきに…それにワシは『宜振』に名を変えちょる」
まだ完治していない手の傷に、更なる刺し傷が加わり激痛に襲われる龍馬。身体に電撃が流れるように自由が利かない。
「ワシは何人もの要人を斬って来たがよ。岡田以蔵に勝つ為に剣術も磨いた。坂本が居ったのは予想外じゃが、共にここで死ぬがエエ」
そう言うと、今度は抜刀と同時に逆袈裟に斬り上げ、防ぐ暇の無い高杉の着流しと腹の皮を斬る。
「身軽じゃの…高杉。酔っちょるとは思えんぞ」
そうニヤ付いた闇の以蔵は、抜刀状態から下段に構えて間合いを取り始める。
慌てた龍馬は手に刺さる脇差を抜き闇以蔵に投げ付けるが、激痛に耐える手元が定まらず、鼻先を掠めただけで終わった。もう刀を抜く程の自由も利かない。
「時間は掛けられん、すぐに終わらせちゃるき」
龍馬の反撃もここまでと悟った宜振は、腰をぐっと落として下段のまま突きを放った。その突きを高杉は何とか払い、壁を背にする。
「参った…船底に作ったお陰で、俺の声も上に届かない…。すまんな、坂本」
覚悟を決めたように見せた高杉は、刀を捨て龍馬の前の机に視線を移した。龍馬はその視線の意味を悟り、激痛が走る腕で力一杯以蔵に向かって動かした。床に固定したいた金具が弾け飛び、宜振に向かって走る。高杉は机の上に飛び乗り龍馬の方へと逃げるが、突きの体勢に入っていた宜振は意表を突かれて、壁と机に挟まれた。
龍馬は左腕を抑えてその場に蹲る。高杉は机を足で抑えたまま、引出しから銃を取り出す。
「誰に頼まれた? 幕府の人間か?」
銃口を向けた高杉は、宜振に向かって聞く。机の衝撃で刀を落とした宜振はまだ怪しく笑う。
「船の机は、もっとしっかり止めるがや無いがか?」
「話すつもりが無いなら、ここで死んで貰うぞ? 坂本…大丈夫か? 動けるか?」
「右の手だけなら…何とかなるちゃ…」
「ならこの銃を持っててくれ」
その言葉に、激痛を抑えながら立ち上がり銃を受け取る龍馬。左手の刺し傷は幸運にも筋や血管を避けていた。
「小部屋に便宜上俺が取り付けた、手抜きの添え付け机が役に立ったな…」
高杉は呟きながら宜振の口と両手を縛り、甲板へと連れ出した。
「高杉殿…龍さん!?」
その姿に声を出したのは以蔵だった。ようやく江戸より到着した直後、既に二人は暗殺犯を捕まえていた。水夫達もその状況を見て、即座に理解し宜振の身柄を引き受けた。
「龍さん…その手…」
宜振の存在に気が付いていても無視している以蔵に、龍馬は裏があると直感した。
「ああ、また傷が出来てしもうたがよ…。もう刀は握れんじゃろうな」
「坂本、オレが渡した銃はどうした?」
「寺田屋で襲われた時、捨てて来てしもうたがよ」
「高価な物なんだぞ…。仕方無い、それを使いな」
「御二人とも、よく御無事でした」
以蔵が二人に声を掛ける。
「どうにもアイツは口上が多い。暗殺に来た癖に、ペラペラと喋りやがる。まぁ、そこに助けられたがな。それより坂本。詳しく教えてくれないか?」
苦痛に耐えながらも笑顔を作り、
「そこの御方こそ、伝説の『岡田以蔵』じゃ。高杉さん達には言うて無かったの…」
龍馬はそこで初めて、『以蔵』について話した。が…正体を隠す必要があったのは、ただの脱藩者であった為と偽った。
「成る程ね…。アイツが色々と喋りたくなる訳だ。恨みが半端じゃ無いだろうからね。だが、それも終わりだ。奴は長州藩で捕縛し、斬首にしてやる。で、岡田は何故この船に来たんだ?」
「…他言無用、として頂きたいのですが、恐らくこの先に桂さんと西郷殿の命が狙われます」
「おいおい…そんな重大な事、何故他言無用にするんだ!」
「暗躍している男を…追い込む為です。暗殺阻止には私と数人の男が動いています」
「何が阻止だ! 間に合って無かったじゃないか! 俺の手抜きが無けりゃ、二人とも死んでたぞ」
高杉の言葉に反論できない以蔵は、言葉に詰まる。刻の旅人の事を話さなくてはいけないのか…そもそも、高杉に説明をして理解ができるのか。
「一刻を争う事なら、ワシの船を使えばエエ。帆船よりも速度は早いき。最低限の水夫は残して、戦闘要員は置いて行って貰えればエエちゃ」
「坂本…この戦に軍艦は必須だぞ!?」
龍馬は高杉の言葉を無視して、更に以蔵に聞く。
「そいで、阻止に走っちょる数人の男っち、誰ぞね?」
「私と…沖田総司、原田左之助、勝海舟…恐らく土方歳三も加わります」
「幕臣じゃないか! 何故、俺達倒幕派の暗殺阻止を!?」
「事はそれ程重要であり、かつて無い野望があるからこそです。…まぁ、鬼小町も居ますが…」
その言葉に、龍馬は痛みを忘れて大笑いをした。
「佐那殿まで参られたがか、これは一大事じゃ」
「誰だ、その佐那殿とは…?」
「下の小舟で待機させております。軍艦に女子は相応しくありませんので…」
その言葉に龍馬と高杉は海を見下ろした。確かに小舟に一人、侍が乗っているように見える。
「佐那殿、お着物より御似合いじゃ。久しぶりじゃのお!」
龍馬はそう笑いながら右手を振った。小舟の佐那は龍馬を見上げ、
「御二方とも御無事で何よりです。龍さん…一言余計ですよ」
松明で顔を照らす佐那を見た高杉は、
「器量の良い娘じゃないか。岡田の知人か?」
「女房です。江戸の千葉道場の娘で…」
「伝説の修羅の女房は、鬼って訳かい。で、事情は良く分からないが、お前達はこれから暗殺阻止に向かうのか? 坂本は事情を理解している様だが、後で説明してくれるんだろうな?」
「戦が終われば、説明するき…。今は以蔵殿に協力して貰えんがやろうか?」
「どうにも選択の余地は無さそうだな、岡田の同志を聞くと…」
「ほいたら、以蔵殿、あそこの船を使えばエエ。ワシも一緒に行って事情を話すき…」
龍馬はそう言いながら、左手を庇いつつ船を降りた。
残った以蔵は、高杉に警告をした。
「高杉殿。貴方はこの先も死んではいけません。刺客が来るかも知れないので、必ず御一人にはならないように…」
「ああ、分かった分かった。ほら、事は急ぐんだろう?」
そう言いながら以蔵の背中を押し、下船を促した。そして、以蔵達を見送った高杉は、呟く様に言った。
「何だか面白くなって来てるじゃないか…。幕府と長州が戦う中で、互いを助け合うなんてな」
一方、先に小舟に乗せられた宜振は、警護の二人を隠し持った短刀で斬り殺し、縄を解いて逃亡をしていた。しかし、戦乱の中でその事が高杉達の耳に入るのは、しばらく経ってからだった…。




