三条制札事件(1) ~歪み~
慶応二年三月。『岡田以蔵』が目覚めたという噂が、倒幕派の中で広く語られ始めた。そして、それを皮切りに長州討伐に参加する藩が、次々に幕府から離れて行った。
先に出兵拒否の意向を示していた薩摩に続き、宇和島藩・芸州藩・佐賀藩と出兵を拒否、更に津和野藩が中立を表明。長州を包囲する各藩が崩れ始め、同時に包囲網が穴だらけと成り始める。
八月十八日の政変で公武合体派が勢いを出し、煮え湯を飲まされていた倒幕派は、これを機に一斉に行動に出ようとしていた。無論、ここ京でも例外ではない。近隣諸藩で身を隠していた土佐藩・長州藩の浪士を筆頭に京に集まっていた。
「全く、時勢はすっかり倒幕派に傾きやがったか」
そう溢すのは、槍を担いだ原田左之助だった。そして彼の傍には十番隊士が数人。中には浅野薫の姿もあった。
「岡田以蔵ってぇ名前だけで、すっかり勢いが逆転しちまってるじゃねぇか。凄ぇ奴だな、岡田って奴は」
左之助は薫を笑顔で見ながら言った。
「只の男ですよ。周りが騒いで価値を上げているに過ぎません」
「言うじゃねぇか、浅野。ならお前さんなら、あの岡田を斬れるってのか?」
「さぁ。出来るなら斬る事無く世を渡って行きたい物ですが…」
二人にしか理解できぬ会話も、周りから聞くと『岡田以蔵』と斬り合う事を拒んでいるとしか思えない発言である。
「ま、どうでも良いさ。今はこの制札を守るのがオレ達の役割って訳だ」
彼等は三条大橋に立てられている高札を眺めながら、警護の役割を確認していた。
『岡田以蔵』の名の元、倒幕派の勢いが増して来ていた3月。京の町中に立てられている【長州を朝敵とする】趣旨の高札を、何者かが引き抜くという事件が多発していた。後に言われる三条制札事件の事であるが、歴史は歪みを生みだし、刻を早めていた。それは全て、正史であれば既に死罪となっている筈の『岡田以蔵』が生きており、倒幕派の旗頭として祀り上げられてしまった事での歪み。これまで殆ど歪みが出ず、修復されていたかに見えたこの歪みも、先の寺田屋での一件で現れていた。
だが、当の薫本人はその時間的食い違いに気が付いておらず、歪が生じている事を知らないでいた。
「……とまぁ、そういう訳だ。浅野は斥候としてこの橋で待機。事が起これば監察役の大石(鍬次郎)に伝えに行ってくれ。お前さんの後釜に座って間もなくの大役だが、ここで失態を犯す訳にゃいかないから妙に張り切ってやがったぜ」
「伊東参謀と同じ時期に入隊された方でしたよね…随分と黒い噂が付いてますが」
「人斬り鍬次郎か? ここ数年でそこまで言われる程に斬りまくるとはな…。総司と肩を並べる程の剣客だが、岡田とはどっちが強ぇかな?」
左之助は顎を撫でながら薫を煽るが、一切無視して橋に目を移す。
「とにかく我々がここに居ると、下手人達も現れません。一旦散り散りになって、持ち場に就きましょう」
薫はそう言って路地へと姿を消した。それに続き、数人が方々へと姿を消し、左之助は橋を渡って行った。そして、夕暮れまで時は流れ、夕日が沈む頃に動きが現れた。
制札の前に立つ男が8人。暫く制札を見ていた。
その様子を掴んだ左之助は現場に急行すると、正に制札に手を掛け、引き抜く直前だった。
その様子を確認した薫も左之助に合流。逃げる態勢となった男8人の背後には新井忠雄が遅れて駆け付け、包囲網は徐々に完成しつつあった…が、大石に通達に向かう筈の薫が、まだ三条大橋に居た。
各部隊がそれぞれの態勢で彼等を追い詰める中、包囲網最後の一手である大石の隊が間に合っていない。慌てた左之助は部下に大石を呼んで来るようにと命令をする。
取り残された三条大橋の薫は、逃げ散った浪士達とは別に、隠れてやり過ごそうとしている男を見付け、唖然としていた。そこに居たのは、もう一人の刻の旅人でもある、高松新之助だった。
「以蔵か…まだ新撰組に居たのか…。迷惑をかけたな」
「新之助さん、何故こんな所に…」
「寺田屋は元々薩摩贔屓の場所。拙者はその流れから、土佐藩士として暫くここに留まる事になってしまったが、どういう訳か時勢が急速に変わり出して、聞くと以蔵の名が久々に出て来てる。だから流れに乗れば以蔵に会えると思ってな…」
「今は話している時間がありません、取り敢えず、寺田屋で姿を上手く隠していて下さい」
そう言い残し、薫は左之助達を追いかけた。
「今、寺田屋なぞに居たら…すぐに斬り殺されるぞ」
新之助はボソッと口にして、姿を消した。




