方袖の誇り
西郷との会談を終えた翌日、龍馬は薫を探して京の町を歩いていた。いつもなら屯所に出向き、無理矢理引っ張り出すのだが、この日は事情が違っていた。
西本願寺周辺では無く、薩摩藩邸を中心に歩き回り、ある茶店でようやく薫を捕まえる事に成功。
「こんな所に居ったがか…随分と探してしもうたぜよ」
そう言いながら、龍馬は薫の隣に腰を下ろす。
「龍さん…どうしたんです? いつもなら屯所でひと騒ぎ起こして、そこで待ってる様な物なのに」
「なんち、ちっくと事情が違うきのぉ」
「昨日の話しですか?」
昨日とは、薩長の連盟の事である。そんな話しであればとても屯所ではできないのだが、
「いや…土佐藩内での事じゃ」
そう言う龍馬の顔は、いつもよりも影がある様に見えた。
「分かりました。少し歩きましょうか」
薫は団子代を置き、ゆっくりと歩き出した。その足は鴨川に向いていた。距離はあるが、広い鴨川の土手で橋桁の下であれば、人目には付かないと判断した。龍馬もまた、少し距離を取り薫に付いて行く。
「武市半平太、切腹の件ですね」
橋の下に着いた薫は、龍馬に背を向けたまま聞いた。
「新撰組にも伝わっちょるがか…薫殿、武市さんの死についてどう思うちょるがか?」
「それは、私の知る歴史について…ですか? それとも個人的な見解ですか?」
「まずは個人的見解っちゅうがを聞こうかの」
薫は少し間を置き、背後の龍馬に答え出した。
「この京で起きた八月十八日の政変以降、尊王攘夷派の動きが急激に衰退し、変わりに公武合体派が勢いを増しています。土佐藩山内容堂公は公武合体派と聞いていますから、これを機に土佐勤王党を解体しようと考えるのが普通…。更に土佐藩士による挙兵すらも、武市さんを追い込むには名目上この上ないことだったでしょう」
「そんな事を聞いちょらん。時勢の傾きなど、ワシにも分かるぜよ。聞きたいがは、薫殿が…剣さんがどう感じちょるか、っちゅう事ぜよ」
一向に振り向かない薫に、龍馬は冷静に腕を組んで問う。
「武市さんの取った行動は、人斬りを含めて納得いかん所もあったが、ワシの友達ぜよ。その友が、次々に死んで行きよる。この流れを止める事は出来んがやろか?」
「龍さん…。歴史を知り、そしてそれを変える事を許されない私の気持ちを考えた事がありますか? 今日出会い、人として好きになった男が、次の日に死ぬ。それを知って止められない気持ちが分かりますか?」
薫は感情を押し殺し、冷静を装っているが、その脳裏には山南敬助の姿が浮かぶ。感情が止められない…。
涙を浮かべ振り向き、更に口を開く。
「死ぬべき人を助けても歴史は変わらず、しかし生きて貰いたいと願う人は助けられず、それを強引に助けると歴史が変わってしまう。自分の意志の外に行動が存在し、自らの行動すら制約されている男の気持ちが分かりますか?」
そんな薫を見た龍馬は、流石に動揺を隠せなかった。
「剣さん…おまんは、この先の何かを知っちゅうがか…。もし、薩長の盟約が一年早ければ、同志達は救えたがやろか…?」
「無理です。時間は流れる物じゃ無い…積み重なっているのです。過去の事柄が、全て積み重なって今があるのです。それら無くして、今はありません。龍さん、貴方のせいで武市さんが死んだ訳ではありません」
薫の言葉で、龍馬の目から涙が溢れた。
「ワシは…ワシは誰ひとり救えなんだ。武市さんも、松陰先生も、佐久間先生も…大勢の友の命もじゃ…。戦に反発し、喧嘩する事無く国を一つにするつもりが、今は戦の手伝いまでしちょる。挙句に武市さんまで死に、この先も大勢死んでしまう…。ワシは、ワシは何をしたいがじゃろ」
龍馬は自分を責めていた。戦に反発し、土佐勤王党を脱退。その後、諸藩を転々としながら国を平和に纏める方法を模索しながらも、今は幕長戦争の手助けをしている自分。そして、その影ではかつての同志が死に行き、彼らを救う為に奔走していた自分が、今度は自ら戦を起こそうとしている。
「ワシが間違っちょったがやろか? 武市さんの元で、土佐勤王党が暴走するがを止めるべきじゃったやろうか?」
涙を止める事無く薫に詰め寄る龍馬。そんな龍馬に、薫は言葉をかける。
「龍さん、思い上がってはいけませんよ。一人で何ができるんです? 貴方一人の力で全てを救う?そんな事ができると思っているんですか? 貴方は、今まで一人で何かを成したと思ってます? 勝先生や桂さん、高杉さん、西郷殿、中岡殿…。大勢の人に囲まれて生きてるんですよ? それぞれの人が力を合わせ、協力し合って国を創る事。それが貴方の理想ではなかったのですか?」
龍馬は言葉を失う。
「志半ばにして命を落とす者、志の為に命を投げ出す者。彼等は、後の男達にその将来を賭けて果てるんです。貴方には、やり抜く使命があるんです。それを投げ出し、戦が嫌いだから逃げだすのですか? そんな男の為に、大勢の志士達は命を賭けたのか!? 今まだ生き抜いている、生きようとしている男達に、龍さんは背を向けるのですか!」
その言葉は、薫自身にも痛く響いた。龍馬を鼓舞する言葉が、いつしか自分の立場を思い直させる言葉へと変わっていた。
「龍さん、貴方の友、剣一はいつでもここに居ます。私が必要になればいつでも声を掛けて下さい。新撰組と切り結んでも、貴方の所に駆け付けます」
走り続け、孤独と戦い続けた英雄は、どこかでこの言葉を待っていたのかも知れない。この先が知りたい訳では無い。道を見失った訳でもない。やるべき事は分かっている。が、多くの友を失って来た、ただの男としての龍馬は、心を許せる友を欲していたのかも知れない。
剣一としての言葉に、龍馬の心は晴れた。
龍馬は自らの右袖を千切り、薫に差し出した。
「剣さん、ワシの右腕を預けるき。生来の友として、おんしに会えた事を誇りに思うぜよ」
照れ臭い言葉を素直に吐かれ、昔の剣一の表情に戻る薫。
袖を受け取った薫は、龍馬に言葉を掛ける事無く微笑み、歩き去った。




