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維新の剣  作者: 才谷草太
旅立ち
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全ての始まり

 安政五年、九月。小千葉道場に一人の男が走り込んで来た。

 「以蔵殿…いや、剣一殿は居られるか!」

 「あ、貴方は…少々お待ち下さい」

 慌てた様子の男を見て、奥の部屋に剣一を呼びに行く佐那。

 「剣一殿。武市様がいらっしゃいました」

 「武市さんが?」

 「何やら酷く慌てていらっしゃいましたが…」

 「…分かりました、すぐに参ります」

 そう答えると障子を開け、玄関へと走った。

 「何があったんです、武市さん!」

 「投獄・斬首・切腹…酷い有様になっちゅうがぜよ!」

 「日米和親条約に反発した者への…?」

 「そうじゃ、流石に耳が早いのぉ」

 武市は息を切らしながら話している。

 この所、道場でもこの話題は持ち切りだ。

 「これからまだまだ増えるぜよ、幕府は力で反発を抑えるつもりじゃ」

 その二人のやりとりを聞き、道場から重太郎が飛んで来た。

 「剣さん、玄関でそんな話し、しないでくれ!」

 「あ…申し訳ありません。さ、武市さん、奥の方に」

 重太郎に一礼をして、剣一と武市は奥に入って行く。そして、何故かその後に続く重太郎。

 「重太郎さん…何故着いて来られる?」

 「今、この国の一大事。侍として如何に動くか…それを思案するのでしょう?士学館でのお噂は聞こえておりますよ、武市先生」

 龍馬同様、剣術修行として江戸に出向いている武市は、文武共に優れており、江戸でも評判となっている。

 「私とて侍。武市先生や剣さんのように、この国の先を案じております」

 「分かり申した。では、三人で…龍馬は?」

 「龍さんなら先日、土佐に帰りましたよ」

 「ええい、落ち着きの無い奴」

 そう言い放ち、武市は畳に座った。

 正面に剣一、その隣に重太郎。

 「世は大きく動いている。大老伊井直弼が勅許(朝廷の許可)無く亜米利加との調停を進めた事で、幕府内で反発が上がった。それを力で抑えつけた」

 武市は、冷静で居るように努めている。しかし、肩はグっと上がり、拳は震えている。

 「先にも言った通り、投獄、斬罪は更に増える…あの吉田松陰先生も、その中に入っちょるようじゃ」

 遂に土佐訛まで出て来た。余程興奮していると見える。

 「そうなると、松下村塾の門下達も、黙っちゃいないでしょうね…」

 「門下達…誰か知り合いが?」

 「いえ、名前を知っているだけです。久坂玄端、高杉晋作、桂小五郎…」

 「閉じ籠ってばかりで、良く知ってるね。時々不思議に思うよ、剣さんが」

 「私も色々情報は集めてますよ」

 「確か、福井藩主の松平春嶽様も隠居に追い遣られたと…」

 負けじと重太郎も口を挟む。

 「そうじゃ、それもこれも、大老伊井直弼の独裁じゃ。ワシも一旦土佐に戻り、機会を窺がう事にする」

 「武市さん、早まらないように。事を急げば、我が身を滅ぼします」

 「分かっちゅう。ワシも名目上、剣術修行で江戸に来ちゅう。機を見て、幕府の様子を窺ってやるわ。ワシは一旦土佐に戻るがな」

 「剣さん、私たちも腕を磨きましょう」

 「いずれ武士の力が必要になるきの」

 「まだ動きませんよ。年が明け、そこから静かに動き出す」

 「予言か?」

 武市が笑う。

 「年内は、この混乱で終わるでしょう。そして年が明け、混乱も収拾が着くはずです。そうすれば、各藩も少なからず動きやすくなり、そこから出て来る英傑達の時代です」

 「全ては年が明けて…からじゃの」

 「鬼が笑いますね」

 「何、鬼が笑うても、時は笑わん」

 そう、時は笑わない。ただ現実として流れて行く。非情に、冷徹に流れて行く。


 場所は移り、この年の暮も近付く頃の土佐にある、一軒の廃屋。江戸より戻った武市を筆頭に、数人の郷士が膝を突き合わせている。

 剣一達との話し合いを行った翌月、武市は土佐に帰郷していた。そして、同士を募りいずれ訪れる混乱期への準備へと急いでいた。

 「豊信(後の容堂)の隠居に関し、弟の豊範に藩政を受け渡すという動きがあるそうじゃ」

 「大老の決定に憤慨しておったからの」

 「幕府に失望しての隠居願いじゃろう」

 「今じゃ吉田東洋の思うままになっちゅうがよ」

 「この土佐藩で反幕府組織を打ち立てるなら、東洋が邪魔になるっちゅう訳か…」

 「斬るがか?」

 ひそひそと暗殺への道を模索している連中の中から、緊張感の無い声が響く。

 「おんしら、言うちょる事が陰険ぜよ」

 胡座に方膝を立て、刀に掛けた両腕に顎を乗せている男、龍馬である。

 「人を斬る事ばっかり考えちゅうが、斬らずに解決する道っちゅうのを考えたりはせんがか?」

 「何を言うが、おまんも藩主の、上士の理不尽を嫌っちゅう程味わっちゅうがやろ」

 「武市さんは、暗殺集団を作り上げるがか」

 「違う。腐りきった藩政を正す事が目的じゃ。その為に必要なら、暗殺も止む無し、と考えちゅうがぜよ」

 「ほいたら、何故最終手段を真っ先に講じるがよ」

 「今、土佐藩は他の藩に比べ、上士・郷士の身分差が激しすぎるちゃ。ワシら郷士は、関ヶ原西軍の長曾我部一派、上士らは合戦で東軍の徳川派じゃった。その立場が二百年もの間、ずうっと続いちょる、いや、落差は拡大しちゅうがぜよ。話し合いの場すら、身分の違いで設けて貰う交渉すらできん。龍馬、おんしも良う知っちゅうがやろ」

 力を込め、しかし静かに抗弁する武市の言葉には、説得力とカリスマ性があった。事実、ここにいる龍馬と、他1名以外の郷士は皆、武市に心酔していた。

 「確かにそうじゃが…」

 龍馬も言葉を失い、頭の中で整理を始める。

 「江戸の動きと、連携を取ってみんか」

 「江戸じゃと?」

 「そうじゃ、江戸の…岡田殿じゃ」

 「奴一人で、一体何が出来る言うが」

 「岡田殿の情報網を甘く見たらいかんぜよ。先を見る目も確かじゃき。そん事は、武市さんも知っちゅうがやろ?」

 心酔しきっていない郷士の一人、中岡慎太郎の眉がピクリと動く。

 「ん…うむ…しかし、奴が年が明ければ何かが起こるっちゅうたがぞ。ほいたら、その時期に土佐で行動を起こす事が有利に動くと思わんがか?」

 「確かにそうじゃが、江戸の動きに先んじて動いてしもうたら、こちらの分が悪い状況にならんがか?」

 「江戸の動きっちゅうが、江戸で、いつ、何が起きるかは奴も知らんじゃろが」

 「…どうやろなぁ…」

 龍馬はニヤリと笑って、立ち上がった。

 「岡田殿は、必ず何かを知っちゅう。しかし、その事を知っておっても、何が起きるかを口にせん、っちゅう事は、それを口にする事ができんがよ。武市さんなら、その言葉の意味が分かるがやろ?」

 「まさか…江戸でも!」

 武市の口元が緩む。他言できぬ謀略…今、ここで話し合っている内容と同じ計略が、江戸でも進行している事を指した。と、武市は勘付いた。もちろん、龍馬もそう勘付かせる為の言葉ではあるが、暗殺が行われるかどうかは、彼にも分かっていない。

 「恐らく、江戸でも同じ動きがあるがやろうな。しかも、土佐と江戸では、その謀略の規模は桁が違うじゃろ。何せ、政の中心じゃき…。正に、天下がひっくり返る大事になるがやろな」

 龍馬が、廃屋に集まった郷士連中をぐるりと眺めながら、不敵に笑いながら説くと、今度は武市が立ち上がり、

 「江戸での計略が成功した暁には、我らと同じ志を持った各藩の同士達が、一斉に立ち上がる…っちゅう訳か!」

 「この国始まって以来の、一大革命になるかも知れんがよ」

 革命、という龍馬の言葉に、この場に居た全ての郷士たちの血が沸き上がった。

 「龍馬、岡田殿に書簡を!江戸の動きを逐一報告する様に頼んでくれ!」

 「分かっちゅう。江戸の動きが分からん内は、こちらも動かん方が得策じゃきのう」

 龍馬は、ひとまず血気盛んな郷士達の暴走を納める事に成功したが、やがて訪れる血生臭い日々を想像するに困難な話では無かった事に、改めて他の道への標を模索しようと決意した。


 翌年一月。

 剣一の元に、龍馬からの書簡が届く。

 「剣さん、どうだい? 武市さんや龍さんの動きは。この際、もう秘密にするのは止めて貰えないか?」

 剣一は、少しの間沈黙していたが、書簡を持って来た重太郎に、内容の一部を話し始めた。

 「土佐では、志を共にした者達が集まり、組織めいた活動を開始する寸前だと…。江戸の動きに合わせ、あちらも何かしら不穏な動きが出て来そうな感じですね」

 「遂に動き出しますか…」

 重太郎は、何かと話を聞きたがるが、信念には強さを感じない。この時代の武士達は、平和と言う物に溺れ、噂話には滅法弱い。それでも時代の流れに付いて行こうと、必死にもがいているのだ。

 「まずいですね…まだ動きには早すぎる」

 剣一はそう言うと、初めて龍馬に書簡を送る準備を始めた。

 「剣さんが書簡を送るとは珍しい。こりゃあ雪が降るね、大雪だ」

 時代が大きく動き出す、という予感もあり、ワクワクしているのが手に取る様に分かる姿を残し、重太郎は剣一の前から去って行った。

 『今年に動きがある、その事は嘘ではないが、恐らく武市さん達は吉田東洋暗殺を謀略しての情報収集でしょう。しかし、私の言った本当の意味は、今年、土佐から動きがあります。いずれ訪れる混

乱が、土佐藩から生まれる。その混乱無くして未来はありません。

江戸で事件が起きるまでは、決して表に出ないように』

 当時の手紙、という書式は、当然剣一には書けない。何とも常識外れの内容だが、相手が龍馬なら大丈夫だろう…そう感じながらも、何枚も書き直した。

 

 この年の二月、武市が掴んだ噂通り、山内豊信は幕府の政治に反発を示し隠居、藩政を弟に譲り渡した。これを機に豊信は「容堂」と名乗った。表向きは佐幕であるが、しかしその実は『公武合体派』の思想であり、朝廷・幕府共に盛り立てる一方で、勤皇の志士を弾圧していく、という政治を執り、幕末の政治に混乱を与えて行く切掛けを作って行く人物となる。


 同年十月。土佐藩の転機が近付く。幕府より山内容堂への謹慎命令が下った。安政五年より続く、『安政の大獄』での処分だった。


 「年が明け、豊信改め容堂の隠居、そしてこの謹慎の命…。これが岡田殿が言っちょった事か」

 土佐にある商人の豪邸に、武市は居た。才谷屋という、高知城下でも有数の商家である。

 「あの時、東洋を斬っちょったら、天はどう動いちょったじゃろうの」

 その商家の二男として生まれた龍馬は、静かに武市に言い放った。

 「いや、危うい決断をする所じゃった。龍馬は砲術も身に付け、いよいよ準備万端か」

 「ワシは血の革命の為に砲術を習った訳じゃないき」

 「まだそげな甘い事を言っちょるがか。機は熟したじゃろ、岡田殿の言う、好機が来たがぜよ」

 「今年一杯、表に出るな。年明けて春…好機は訪れる。らしいぜよ?」

 「何?書簡が届いておるがか!」

 「ああ、既に灰にしちょるが、春に江戸で大事件が起きるっち書いちょったが」

 「まだ待たせるがか!岡田殿は一体何を考えちゅうがか!」

 「先走って東洋を斬るがか? 幕府の力は衰えたと言えど、今事を起こすと一介の暗殺事件に成り下がってしまうと思わんか?」

 「おんし、まっこと岡田殿はそのように申しておったがか? 既に炭にしちょる以上、そげな話に真実はあるがか?」

 武市は、時勢を知る岡田以蔵ではなく、龍馬に操られているのではないか、と、疑念を持った。

 「ほいたら好きにすりゃエエ。ワシも江戸の情報は欲しいが、武市さんがしたい様にするなら、ワシはワシだけの情報を岡田殿に貰うがよ」

 「おまん…!」

 武市は憤りを感じながらも、龍馬に問いただす。

 「岡田殿は、一体何者ぞ」

 「岡田以蔵という別名を持つ、土佐居合の使い手。時勢を読む事に長け、土佐脱藩の浪人。そして…ワシの親友じゃ」

 「別名が気に入らぬ! 何故名を偽るがか!」

 「岡田以蔵…武市さんも知っちゅうがやろ、阿呆の岡田じゃ」

 「岡田…あの阿呆か! あの阿呆に時勢を見る目なんぞ、ある訳が無いじゃろ!」

 本物の岡田以蔵を知り、そして思い出した武市は、今まで騙されたと思い、憤慨した。

 「あの阿呆は幼少の頃、確かに同じ道場に居ったが、阿呆過ぎる! 記憶にも薄いわ!」

 「落ち付くがよ、別人じゃ。本名は剣一ぜよ」

 「何?」

 「土佐居合は藩外不出。それを世に広める為、脱藩してまで江戸で剣術を磨いちゅうがぜよ。いずれ来る混乱期を、土佐居合の侍が活躍すれば、土佐は一躍英雄の志士で固まるがやろ?」

 「ほいたら偽名を使う必要なぞ無い!」

 「分からんかの…藩外不出の剣術を、脱藩して広めちゅうがやぞ。本名で暴れちょったら、素性を隠せずに御用になるがやろ」

 「…岡田殿も機を窺っている…ちゅうがか」

 「ああ、そうじゃ」

 武市の暴走を食い止める為とはいえ、よくもここまで出任せが言える物だと、自分で感心した。

 「春に…岡田殿の、土佐の名が響き渡るっちゅうがか」

 「直接出るかどうかは分からんが、間違いのう岡田殿が動くはずじゃ。しかし、先の大獄と呼ばれる事変で、既に時代は動き出しちゅう事も、事実じゃ。これから先、周りをよう見て動かんと危ないちゃ…」

 「時代…か。しかし、剣一と名乗る侍は知らんちゃ…」

 「名前が知れた侍なぞ、そうは居らん」

 龍馬は武市から視線を逸らし、意味深い言葉と思わせつつ、誤魔化した。

 土佐の年は暮れかかり、冬空も近くなっていた。

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