回天を前に(2)
元治二年3月上旬に、新撰組は屯所を西本願寺へと移転させていた。
3月下旬ともなると、移転もほぼ完了し、雑用等も落ち着きを取り戻していた。
その中で薫は、日々京の見廻りを行い、尊王攘夷派の監察を業務として行っており、山南敬助の切腹後、沖田との仲も少し距離を置く様になっていた。
そんな中、西本願寺を訪れたクシャクシャ髪で、ヨレヨレの袴を纏った浪人が訪ねて来た。無論、龍馬である。境内に居たのは沖田を筆頭に一番隊であり、真っ先にその変わった風貌の大男に沖田が気付いた。
「坂本殿! お久しぶりです!」
「おぉ、沖田殿じゃないかぇ。元気そうで何よりじゃのぉ…。こんな所に屯所を構えた割に、平和そうで何よりじゃ」
「えぇ…サンナン総長の、命の奔走で京の町は守られましたから…」
久しい友との再開も束の間、山南の事を思い出し、表情が曇る。が、龍馬は我関せず、という態度で、早々に言葉を切った。
「まぁええ。薫殿は居るかいの」
「浅野さんなら、今原田組長と裏で何やらやっていますが…」
「原田? 腹に一文字の傷がある男じゃったかの…。ほいたら裏に行ってみるき、邪魔したの」
龍馬は沖田に一切の興味を示さず、さっさと境内を抜けて裏へと向かった。
取り残された沖田は、懐かしいあの頃に山南を思い出し、暫く龍馬の背中を見送った。
「何でぇ! 抜刀術ってぇのはそんなインチキな剣術なのかぃ!」
龍馬が歩く先から、やたらと大声が聞こえて来る。
「槍を相手にしても、後の先なんて卑怯な事ばっかり考えやがって!」
「左之助さん、無茶言わないで下さいよ。抜刀術は本来そう言う物ですよ。初めてでも無いでしょ」
「うるせぇ! 槍対刀ってのは、間合いが全てなんだよ! 刀身を隠したままで、どうやって槍が戦えば良いか分からねぇじゃねえか!」
理不尽な言い合いの元、原田左之助と薫は剣劇の稽古をしていた。これは新屯所の名物にもなっており、毎日同じようなやり取りをしながら稽古をしていた。
「ちゃちゃちゃ…、いかんぜよ、槍っちゅうもんは刀を抜かせる前に突くに限るぜよ」
「馬鹿言うんじゃねえよ! そう簡単に突きが出せるなら、とっくに倒してらぁ! こいつは総司の三段突きを交わすような男だぜ? バカ正直に突いても…お前ぇ、誰だ?」
突然現れた龍馬に、左之助は頓狂な声を上げた。
「失敬、ワシは薩摩藩邸に世話になっちゅう坂本龍馬っちゅう者じゃ」
「龍さん… お久しぶりですね。どうしたんですか? 薩摩藩に居るとばかり…」
「いやの、ちぃっくと京に用が出来て、今はこっちに居るがじゃ」
「おいおい、ちょっと待てよ浅野。俺に紹介してくれねぇのか?」
龍馬と薫の会話に、左之助が割って入る。
「あ、そうでしたね…。こちら坂本龍馬殿です。元海軍操練所塾頭で、勝海舟殿のお弟子でもあります」
「勝? 操練所?? キナ臭い男じゃないのか?」
「そんな訳無いでしょ…。わざわざ単身で新撰組屯所に来る男ですよ? お尋ね者がそんな真似できますか?」
『やってるから驚きなんだが…』と、薫は思いながらも、平静を装って左之助に話す。
「まぁ…そうだろうが…。おい、坂本とか言う奴。浅野と旧知なのか?」
「ワシが江戸の小千葉道場で修業しちょった時の友じゃ」
「小千葉か…と、いう事は、お前も中々の手錬と見るが」
「ワシはいかん。人を斬るのが苦手じゃき、めっきり剣術修行はしちょらんわ」
龍馬は大声で笑った。
「人を斬るのが怖いか! そいつは良い! どうやらお前さんは悪人じゃねぇな!」
「人を斬るのが悪人なら、ここは悪人の巣窟じゃな。今まで何人斬ったがか? 不逞浪士よりも隊士同士の粛清の方が多いっちゅう噂じゃがのぉ」
龍馬の笑えない冗談が始まった。当然、この言葉に左之助の眉がピクっと反応する。
「いやいや、平和を守るっちゅうがは大変じゃの。隊士の素行にも厳しくせにゃいかんがじゃきの。例え仲間であっても、容赦なく切り捨てる…。そこまでされたら、京の町に巣食う不逞浪士は、怖ぁて何もできんがぜよ」
「土佐弁を使い、薩摩藩に匿われてる浪士…お前も相当な男なんだろうな」
今度は左之助も返す。その手に持った槍を静かに握り直しながら…。
「やめちょった方がエエ。ワシの武器は槍より間合いが広いぜよ」
龍馬はそう言いながら、懐から銃を覗かせる。
「京は安全になったとは言え、何が起こるか分からんきのぉ…護身用で持ち歩いちょる」
龍馬に撃つ気は無くとも、左之助にとっては十分な威嚇となった。
その空気を打ち破る声を、薫は発する必要が出て来た。
「龍さん、鉄砲なんか携えて、ここで一戦始めるつもりですか?」
その声は笑い声と共に発せられ、二人の緊張感をほぐした。
「馬鹿な馬鹿な。こんな玩具で攻め入る短絡家では無いき。それに新撰組に攻め入る必用は無いがよ。ワシは友に会いに来ただけじゃ」
龍馬も大声で笑い、無造作に左之助に近寄り肩を組む。
「いや、こりゃ不躾な真似をしてしもうたが。許してつかぁさい」
余りに無警戒な龍馬の行動と、その無邪気な笑顔に、左之助も警戒を解いた。
「坂本とやら、浅野に用があるのか? 俺は席を外すから昔話にでも花を咲かせてくれ」
「ああ、それには及ばんちゃ。ちっくと薫殿と酒でも呑み交わそうと思うての。借りて行くき」
龍馬はそう言うと左之助の肩を離し、薫の袖を掴んでさっさと歩いて行った。残された左之助は、春の嵐にも似た男を、ただ茫然と見送っていた。
西本願寺の門を潜る二人の姿を目にした沖田。
勿論、沖田は龍馬を知っており、薫と屯所を出る事を怪しく思う気持ちを抱いた。が…二人を追いかける気持ちは出て来なかった。恐らく、追い掛ければまた新たな時代のうねりが見える事になるであろうが、これ以上悲しみを深める結果を招きたくも無かった。
沖田は複雑で、やり切れない気持ちと、自由奔放に動く龍馬と薫に、少しばかりの嫉妬を抱いていた。




