回天を前に(1)
元治二年3月下旬の京都。薩摩藩と所縁のある酢屋には、龍馬と中岡が居た。
それぞれが長州と薩摩の説得に成功した事の確認と、今後の展開の為に会っているのだ。無論、この酢屋は薩摩と深い繋がりがあり、後の海援隊(亀山社中)の京での拠点となる場所である。
「いよいよ薩長盟約も見えて来ましたね。武器の算段は立ちましたか?」
「ああ、先に中岡が薩摩を説得してくれちょったお陰で、長州の返事の後にすぐ長崎に向かう事ができたぜよ。小松殿の仲介もあって、グラバーとの商談もうまくまとまったき…まぁ、グラバー側は初めは旧式を売ろうとしちょったがの」
「旧式じゃと? 話しが違うじゃないか…」
「まっこと、強かぜよ。南北の戦争で余っちゅう旧式を売り付け、処分しちゃろうっちゅう事じゃろうが…何とか新式銃を4千挺、手配できたがじゃ」
「4千か…薩摩も豪気じゃの、それだけ米に困っちゅう事かのぉ」
感嘆した中岡は、薩摩訛りを溜息と共に溢しながら、何度か頷いた。
そんな報告をし合っている時に、一人の恰幅の良い男が部屋を訪れて来た。
「幕府もてそか事(大変な事)をしてくうっちゅう…」
「西郷殿、お帰りなさい。武力での勅命要求の方はどうなりましたか?」
中岡はその男に向かって質問をする。そう、その男は西郷隆盛であり、幕府側が朝廷に武力で要求した五卿差し止めと、長州の参勤交代復活、長州藩父子の身柄の差し出しを拒否するよう、朝廷に働きかけている所だった。
「幕府の面目を保とうとしじぁ。薩摩だけに任せておけんと言う事…。朝廷に武力行使とは、暴挙でごわす」
「そんで、朝廷は拒否したがか?」
「問題ありもはん。大久保さぁの協力もあって、拒否する事に成功したでごわす」
「朝廷っちゅうがは、薩摩の言い成りになるがか」
龍馬は冗談っぽく笑ったが、無論西郷には笑える話では無い。
「坂本さぁ、笑い事ではありもはん。薩摩はこの国の為に奔走している訳で…」
「あぁ、気にしちゃいかん。ただの冗談じゃきに。しっかし…そうなると長州征伐も近々行われるっちゅう流れになりそうじゃのぉ」
「武器の交渉は上手く行ったとの報告は受けており申すが…いけんもしたか?」
「新式銃4千挺、小松殿の協力で購入できたがじゃ。来月下旬には戦艦とひっくるめて長崎に届くぜよ。そうなったら…いよいよ動き出すがじゃ」
「坂本が前々から言っていた新組織…か?」
中岡が龍馬を見ながら、ニヤリと笑う。
「そうじゃ、浪士結社…本拠を長崎の亀山に置くち、『亀山社中』っちゅう名にしようかと思うちょる。薩摩名義の結社じゃが、その実は交易を通じて倒幕の手助けを海からする秘密結社じゃ」
龍馬は大きく笑いながら膝を二度三度と叩く。
「坂本さぁは、志士というより商人でごわすな。こん様な方法で時勢を動かすとは、どの藩の志士も思い付きもはん」
「そうかのぉ…ワシはもっと恐ろしい発想をする男を知っちゅうが…。そうじゃ、京に居る間に西郷さんも会ぅてみるがか?」
「坂本さっぁが怖いと言う程の男は、興味が有り申すな…どこの御仁でごわすか?」
「新撰組で…確か監査役をしちゅう浅野薫っちゅう男ぜよ」
「新撰組は…政敵でごわす。坂本さぁはそんな男と接しておられるでごわすか」
「今は訳あって新撰組じゃが、元はワシと同じ神戸海軍操練所の一員で、勝先生の護衛をしちょった男じゃ。ワシも久々に会ぅてみとうなって来たが…どうじゃ、中岡?」
龍馬は中岡の顔を見るが、中岡には誰の事だか分からない様子。当然と言えば当然だが、中岡は『薫』となった『岡田以蔵』は知らない。
「元、剣一殿…岡田以蔵殿じゃ。中岡も知っちゅうがやろ」
「あの以蔵殿か! 今新撰組におるがかぁ!」
以蔵の名を聞き、中岡の顔は明るく晴れた。
「会ってみたいがよ、新撰組となると、ここに呼んで来ん事には会えんがぞ」
「ワシが行って連れて来るがよ」
そんな二人の会話の横で、西郷は顔に驚きを隠せずに茫然としていた。
「あの…伝説の男が、京に…?新撰組に? 坂本さぁは、一体どんな男と繋がってるか分かりもはんな…。恐ろしき男たい…」
「出会いは偶然ちゃ。江戸の小千葉道場で知り合ぅて、ちょくちょく遊んだ仲ぜよ。ほいたら、ちっくと新撰組まで行って来るきに」
龍馬はそう言うと、さっさと酢屋を飛びだして行った。
「坂本さぁの恐ろしき所は、その人脈と行動力でごわすな…」
西郷は今更ながら、龍馬の発想の豊かさを裏付ける人脈と行動力に感心していた。




