長州説得
時は少し遡り、元治二年2月初旬。薫達と但馬で会った桂・高杉は長州に戻っていた。
二人は来るべき対幕府戦の準備を推し進める為に、準備を開始していた。だが、幕府はこの時に先手を打っており、長州と他藩を引き離しに掛かっていた。武器などの交易を禁止していたのである。
無論、そうなっては近代的な武装はできず、既に銃器中心となっている戦闘の中で弓矢・刀中心となる原始的とも言える戦法を余儀なくされ、長期戦にはまず持ち込めない状況へと追いやられていた。
「この状況で、薩摩からの尽力など当てにならんな。交易など不可能だ…」
「全くだ。僕等の策も遂に尽きた。玉砕覚悟で臨むしかないだろう」
「奇兵隊も銃器が無くちゃね。弾を撃ち尽くしたら、その場で腹を切るしか無いよ」
「坂本、何か面白い話しは無いのか?」
「面白いかどうかは知らんが、交易は不可能な話しじゃ無いがよ」
立派な屋敷では、高杉・桂・龍馬を筆頭に、数人の男が酒を呑みながら語り合っている。とても密会している様には見えないが、当時の常識を逸脱したこの男達には当然の光景である。
「その策と言う物を聞かせてくれるのか?」
高杉は三味線を鳴らしながら龍馬に尋ねる。
「今、薩摩藩出資で浪士結社を作る算段が整いつつあるがよ。そこではの、交易で出た利益を皆平等に分配するがじゃ。もちろん、出資した薩摩藩にもじゃ」
「結社というからには、隊長も居るんだろ?」
「一応、ワシがそうなる算段じゃが…まぁ、肩書きなんちどうでもエエがよ」
「坂本君も取り分は他の隊士と同じなのか?」
「勿論じゃ。亜米利加のカンパニー言うがは、そんな組織らしいがよ」
桂と龍馬は、浪士結社の内部を熱く論議していた。
「なるほど…みな同じ給金だと不平も出にくいだろうが…」
「あぁ、けんど特別に働いた者には、報奨金も出すがよ」
この浪士結社は、後に亀山社中と呼ばれ、海援隊の前進となる組織で、日本初の株式会社とも呼ばれる。
「浪士結社は、薩摩藩の出資で成り立つが、どの藩にも属す事無く交易を広げるつもりじゃ。そもそも、その隊長であるワシが脱藩浪士じゃからのぉ」
龍馬は笑いながら酒を呑む。そして、その姿を見た高杉も豪快に笑いながら三味線を弾き鳴らし、
「薩摩から武器を買うと言うが、そうなったら坂本の身が危ないとは思わないのか。不可能、不可能。結果、薩摩から武器を買う事に変わりない。そうなれば薩摩も幕府に目を付けられるぞ。交易は、相手が誰かと言う事が大事だからな。坂本、読みが浅すぎるわ」
そう。浪士結社が間に入ろうが、その先に薩摩が居てはどうにもならない、と言うのだ。
しかし、龍馬はそんな高杉に向かって御猪口を差し出して、クルっとひっくり返して言う。
「高杉さんは思慮が浅いのぉ。誰が薩摩から買うっちゅうたが?」
その言葉には、高杉は元より桂も驚いた。
「坂本君、大坂に向かう時に言ってたじゃないか」
「ありゃ? ワシは『薩摩名義で』っちゅうたがよ? 薩摩から武器を買うてしもうたら、面白う無いがよ。長崎での、トーマス・グラバーっちゅう男に会ぅたがよ。そん男はグラバー商会っちゅう組織の代表じゃ。そこから薩摩名義で武器を買うっちゅう手筈は整っちゅう。その武器を、そっくりそのまま長州に持ってくるっちゅう算段じゃ」
「な、何だと!?」
「浪士結社名義で買うてもエエが、その武器を長州に売るっちゅうがは長州に不利になるきの。で、薩摩への見返りは長州の豊富で美味い米っちゅう訳じゃ」
「しかし、武器が手に入った所で、幕府の命令で薩摩も長州征伐に来る事には変わり無いんだろう?」
桂が龍馬に問う。すると、今度は裏返した御猪口を桂に向け、
「西郷さんは、今頃諸藩を練り歩き、対長州への出兵拒否を説いちょる所じゃ」
「あの西郷が? 嘘だ。信じられん」
高杉が龍馬の言葉を否定する。
「お二人は、この御猪口の意味が分からんがか?」
龍馬は御猪口を裏返したまま畳に置く。
「中身は空じゃ。ひっくり返した所で酒は出て来んがよ。じゃが、もう酒は注げん…。今の幕府はこの御猪口と同じじゃ。中身はもう無い。ここで敵対する諸藩が連盟を組む事で、情勢はひっくり返る。そうなった所でぶちまける中身など無いちゃ。争う事無く、和平が成るぜよ。西郷さんは、その事を知っちゅうがやき、長州への出兵を取り止めるよう遊説して回っちゅうがよ」
「西郷の言葉に、諸藩が賛同しない時はどうするんだ?」
桂はその御猪口を取り、持ち上げながら問いかける。
「ワシがグラバーから買う銃は、まだ日本に入ってない新型じゃ。聞く所によると、旧式のゲベール銃とはまるで違う銃器らしいぞ。何じゃったかの…『らいふりんぐ』とか言う溝の効果で、射程距離と命中度が格段に上がっちゅうらしい。三倍とか言うちょったが…実物を見るまでは、何とも言えん。けんど、射程が伸びるっちゅう事は、相手が近付く前に何発も撃てるっちゅう事じゃ。更に、長州は軍艦も持っちょるじゃろ。幕府は未だに陸戦が中心じゃき、その軍艦で海から攻撃するがじゃ。陸と海で、圧倒的な火力を見せつけちゃったら、諸藩は撤退して行くがよ」
そう言う龍馬に対し、今度は高杉が三味線を置き問う。
「攘夷と叫ぶ裏で、諸外国の武器を使うつもりか?」
「その答えは、高杉さんも分かっちょるじゃろ。諸外国の技術を利用し、更に発展して行く必要性があるっちゅう事を。それが分かっちょらん幕府に認めさせ、政を改めさせるがじゃ。諸藩がバラバラな現状で、諸外国と戦ったち、負け戦になるがは見えちゅう」
「幕府をひっくり返す、と言うんだね。坂本君は」
しばらくの無言を掻き消したのは、桂の言葉だった。
「今、西郷さんにワシの友人の中岡慎太郎が付き、盟約の説得をしちゅう。両藩が上手くまとまれば、この国を動かす切っ掛けになるがよ。お二人は、その鍵を握っちゅう御方じゃ」
龍馬のその言葉を聞いた高杉は、立ち上がって龍馬と桂に声を掛ける。
「晋作、薩長盟約の件は二人に任せる。何としてでも成してくれ。坂本、その新型の銃をできるだけ早急に、少数でも流してくれ。奇兵隊で慣らせておきたい。この件の勝者が、後の国造りの主導を取る事になるだろう。面白くなって来た」
そう言い残し、高杉は密会の部屋を後にした。
「おもしろき 事も無き世を おもしろく」
「桂さん、何じゃその詩は?」
「晋作が良く詠む詩だよ。面白いと思ったら、行動せずに居られない人だからね、晋作は。僕とは正反対だよ」
「思慮深い桂さんと、行動派の高杉さんか。良い二人じゃ」
龍馬は笑いながら桂の膝を叩いた。そんな龍馬の背中を叩き、桂が言う。
「君は思慮深く、そして行動派じゃないか。脱藩浪士がそこまで動きまわるなんてね」
「脱藩浪士が薩摩・長州の中枢を担う御方に謁見しちょるのも、可笑しな事ぜよ」
「君はこの状況を謁見と言うか。全く不思議な男だよ」
同時期、西郷隆盛には中岡慎太郎が付き従い、九州諸藩遊説を行っていた。
雌雄を決するその日は、刻々と迫っている。




