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維新の剣  作者: 才谷草太
同盟への歩み
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山南敬助という兄の死

 元治二年2月20日、京にある新撰組屯所。当然、屯所はまだ移っておらず、前川邸にあり、ここに沖田総司・浅野薫が山南敬助を捕縛し、戻って来た。

 もちろん、捕縛などという事は行われておらず、無言でふくれる沖田を尻目に、草津の湯を満喫していたのだが…。


 「沖田総司、浅野薫、並びに山南敬助戻りました」

 正面の門から薫は叫び、堂々と潜りぬける。

 山南は『脱走者』とされているが、その歩く様は堂々としており、隊士全員が見惚れる程の様だった。

 その最後尾から、得心のいかぬ沖田が脹れっ面のまま着いて来る。


 すぐに近藤・土方が出迎え、三人の前に立つ。

 「遅くなりましたが只今戻りました。無事、山南総長をお守りし、事は済みました」

 「…そうか、よくやってくれた」

 土方は戸惑いながら薫に労いの言葉をかけた。近藤はその背後で平静を装ってはいるが、視線は定まっていない。

 「とにかく、奥へ」

 そう三人を誘ったのは近藤だった。隊士の前では話せない事も多い。事が逃走という事だけに、局中法度に従うと切腹になるからだ。

 五人は長い縁側と廊下を歩き、奥にある局長室(八畳ほどの畳敷き)に入れられた。

 「山南総長、何故の逃走だったのか説明をして貰おうか」

 座るなりに近藤は声を掛けた。

 「局長も意地が悪い。散々口論をしたではありませんか」

 「お前ほどの男が、移転問題だけで脱走を試みる筈が無い事は、私も土方も分かっておるわ」

 静かな部屋で、低く迫力のある声が空気を震わせる。薫も沖田も、部屋に入った直後の障子の前で座り、様子を伺っている。

 「西本願寺に屯所を移し、勤王党を刺激すれば…長州毛利が動く事をご存知ですよね?」

 「ああ。今、長州藩は弱っている。ここで西本願寺に移せば、京に居る勤王党残党の一掃と、屯所の拡張問題が解決するのだ。山南、大局を見てくれ…京の治安維持には、これが最適な案なのだ」

 土方、近藤の二人は、長州征伐や変革続きで藩政が疲弊していると判断していたのだ。その時期に京から勤王党の残党を一掃すれば、京の治安は守られる。そう考えていた。無論、この情報は伊東甲子太郎が近藤に吹きこんだ情報だ。

 「局長、長州藩の力がいまだ衰えず…いや、以前にも増していたならば如何いたしますか?」

 「何? どういう事だ?」

 「長州藩の保守派が、昨年暮れに倒れ、倒幕派主権の藩政へと変わっています。その事で長州藩内は勢いを増し、尊王攘夷を高らかに叫ぶ者も増え、近隣諸藩を呑み込もうとしています」

 「総長、どこでそのような情報を…」

 土方が腰を上げ、山南に問いかける。その表情は焦りが見えている。

 「私が、ただの移転問題だけで脱走などという騒ぎを起こすとでも思っていたのですか? 軽く見ないで頂きたい。現在、新撰組隊士内にも尊王攘夷派が居ます。そんな彼等に勘付かれては、長州の動きなど探れる訳はありません。正確な情報を仕入れなければ、無駄な血を流しかねない」

 今度は落ち着いた声で、しかし変わらず低い声で山南に問う。

 「その為、脱走を装い沖田と浅野をおびき寄せた…のか?」

 「まぁそれもありますが、尊王派に下手に動かれては困りますからね」

 明らかに伊東を指しての言葉だった。

 「つまり、移転をすると、長州藩全体が攻め込む、というのか?」

 「いえいえ、それじゃ只の情報収集に行ったのと変わりません。私が脱走する必要は無いでしょう」

 山南は笑いながら話しを続ける。

 「屯所移転に関し、長州藩自体は手出ししない、という盟約を交わして参りました。無論、他藩の尊王派は面白くないでしょうが、それ自体は今までと変わりません」

 「尊王派一掃の目論み、お主も知っておろう。その芽を摘んだのだぞ」

 土方は拳を握り声を絞り出すが、山南は笑顔を消さない。

 「尊王派どころか、長州藩との戦になる所だったのです」

 「ならば会津藩も黙っておけん。長州と会津の戦で、長州を打てば良いのだ!」

 「尊王攘夷で倒幕派が政権を握った長州に、一体どれほどの味方が付くとお思いか? 返せば会津にどれ程の勢力があると?」

 「幕府の勢力がある!」

 土方と山南の口論が続く中、薫が口を挟む。

 「長州は幕府との一戦を考えているのですよ? 恐らく移転での戦になると、先に準備を整えるのは長州。更に京の町に彼らが雪崩れ込み、地獄と変わり果てます。まさに新撰組は京の町に火種を落とした、となりますね…」

 その言葉には、流石に土方・近藤・沖田までもが背中に冷たい物を感じた。そして、その言葉に山南が続く。

 「そうなると新撰組は四面楚歌。更に土佐・薩摩藩などの尊王攘夷派も京に流れ込み、新撰組を抱える会津藩も無事では済みませんね。小さな野望が、国全てを包み込む合戦へと向かいます。戦国乱世へと逆戻り…で、隙を突かれて清国の様に、果ては列強諸国に隷属される顛末」


 時が止まり、土方・近藤・沖田は息を呑み込む。

 「もちろん、長州との盟約により、戦はおきません。しかし…」

 山南は薫の顔を見て、目を伏せた。後は任せた…そう言っているのだった。もちろん薫はその意思を汲み取り、静かに口を開いた。

 「本来、討つべき敵と通じ、脱走と言う形で密会していた山南敬助を捕縛。一番隊組長沖田総司、監査役浅野薫両名が、新撰組にと護送して参りました」

 薫は深く頭を下げた。死罪は免れないだろう…恐らく切腹。これで良いのだ。歴史が望むのなら、これしか仕方がないのだ…。そう自分に言い聞かせながら、頭を下げていた。が…薫は言葉を続けてしまっていた。

 「が、しかし…山南敬助の尽力により、京の町、民、この新撰組、そして会津藩は元より、日本という国が守られたと言う事を御理解下さい! 脱走という形を取りながらも、新撰組を案じ、国を案じた男を御理解下さい!」

 言葉を発しながら、薫は涙を流していた。その様を見ていた沖田は、一切言葉を発していない。怒りと悲しみで声を出せないでいた。ただ、涙を流して堪える事しかできなかった。


 近藤と土方は、必死に涙を堪えながら、沈黙が続いていた…。



 暫くの沈黙の後、障子がゆっくりと開き、一人の男が立っていた。

 「長州は会津藩の敵ではありませんか…。敵と通じている、という事は間者である可能性もありますが…そこはどう説明するのです?」

 薫は表情を怒りに変え、ゆっくりとその男の方に顔を向け、体を起こす。

 「怖い顔をなさる…浅野殿も、まさか間者であると?」

 その言葉に反応したのは、薫でも山南でも無く、沖田だった。弾ける様に立ち上がり、伊東の襟を掴み叫ぶ。

 「貴様! 我が兄と、我が友を愚弄するか! 御二方がどのような思いで屯所に戻られたか、考えた事があるか! 策略ばかりを練り、保身と欲望ばかりを身に纏い、我が出世のみを考える俗物めがぁ」

 沖田は伊東を殴り付け、伊東は廊下に倒れ込む。そして沖田は刀を取り抜刀する。

 「私の闘争を許さず…。沖田組長も山南総長も法度に反しましたね」

 伊東が怪しく口を歪めて笑う。薫も我慢できず、刀に手を置くが、それら一連の行動を山南が大声で制する。


 「やめんか!総司! 私の代理での闘争は止めろ!」


 つまり…私の闘争をも、山南が犯した、という事にするつもりだった。


 「もう良い…山南総長、沙汰があるまで自室にて謹慎を命ずる」

 近藤は深く目を閉じ、俯いたまま山南に諭した。そして、右手を振りながら

 「お前達、全員部屋から出ろ。明朝まで立ち入る事を禁ずる…」

 そう命じた。


 その後、近藤一人の部屋は、朝まで苦しそうに声を殺して泣く姿があった。




 俗に言われる『局中法度』に従い、近藤が下した結論は切腹。介錯は薫が執り行われる手筈となった。

 場所は山南敬助が過ごした部屋。昨夜、山南と恋仲であろう女性を薫は見ていた。本来であれば謹慎の身である状態での密会は許されない…が、薫に咎める気は無かった。その時薫の隣で、その様子を見ていた筈の土方すらも、涙を浮かべてその姿を見過ごしていた。


 全てが歴史の通りに進んで行く。

 山南は晴れやかな顔をしており、それを見守る組長連中を含める首脳は、鎮痛なる表情で見守る。

 白装束で身を包んだ山南は、力を入れて胸元を広げ、腹を出す。

 薫は無表情で刀を右肩に背負い、その時を待つ…。


 「薫さん、近藤さん…お願いがあります」

 「どうした…できる物は何でも望み通りにさせて貰う」

 近藤は表情を崩さずに応える。充血した眼からは、もう既に枯れ果てたのか涙は出ていない。

 「解釈は…弟に」

 優しく笑いながら、横で見守る沖田を見つめる。その言葉を聞き、薫はゆっくりと納刀し、沖田の元へと向かう。

 「沖田さん…。兄の最後、貴方が立ちあうべきです」

 沖田はその言葉で、堰を切った様に泣きだした。もう声にはならない鳴き声を上げ、それに釣られて組長達も俯き泣いている。

 「総司! 兄の介錯をしろ!」

 そう叫んだのは土方だった。涙を見せず、膝を掴んで堪えている。

 沖田はゆっくりと立ち上がった。薫は刀を沖田に渡し、その場に変わって座る。


 「サンナンさん、あの日の言葉…私は、貴方の魂を背負い生きて行きます」

 沖田は刀を抜きながら、山南に言う。山南は無言で微笑み、腹に刀を当てる。

 「この国を頼むぞ、新撰組!」

 そう叫んだのが、山南の最後の言葉だった。右脇腹から深くえぐり、ゆっくりと左に刃先を動かすが、声を一切上げず、静寂に包まれる。

 ゆっくりと、左脇腹に向かい斬り続ける。そして、ゆっくりと薫を見て微笑み、更に土方、近藤と視線を動かす。

 刃が左脇腹を斬り抜いた瞬間、沖田は右肩に担ぐように上げていた刀を振り下ろした。


 沖田の目には、鮮血に染まった涙が流れていた。



 山南敬助、享年三十三歳…。

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