明日の為の命
元治二年2月。この頃になると長州と薩摩・京での活動が活発になって来る。
長州藩は桂小五郎、薩摩藩は西郷隆盛。この二人を結ぶ為、坂本龍馬と中岡慎太郎は暗躍し、幕府勢力の衰退を企て、それに伴う様に各諸藩も慌ただしくなって来る。
この頃の日本国内は、綿・茶を始めとする農作物の価格が高騰していた。その要因となるのは、開国に伴い諸外国に輸出していた事が上げられるが、幕末になると密輸出も盛んに行われていた。その中には薩摩藩の名前も上がる。更に攘夷を掲げる者達にとって、異国と密に交易をしていた薩摩を許す事の出来ない敵とみなした事、幕府の出兵命令に従い勤王の志士たちを討伐した事も重なり、尊王攘夷の第一党とも言える長州の怒りを買っていた。
だが長州も、文久三年、京での公武合体思想・勤王運動が明るみになってしまい、京での活動が一切できなくなった挙句、朝敵とまで言われる事になる。そして西郷隆盛によって、長州藩政が保守派一色になってしまい、倒幕派が孤立させられてしまう。しかしこの後の元治元年12月に高杉晋作が挙兵、藩政内の保守派一掃を成し遂げ、倒幕政権を樹立する事に成功する。
この中で新撰組が目立っているのは、文久三年の八月十八日の政変と呼ばれる事変で、池田屋騒動などは最も有名である。しかし、この頃の表で活躍する事件は非常に少なかった。主に将軍警護の為、不逞浪士の取り締まりと市中警護が中心だった。が…
「見殺しにすると言うのですか…」
近江で一人待っていた沖田は、薫に問い詰める。
「薫さんが私を殺すんじゃないよ。あくまで私が選んだ事だ」
静かに沖田を制する山南。但馬より戻った薫と山南は、沖田の回復を見計らいそのまま京に戻る事を伝えた。しかし、長州藩との盟約や伊東の計略は語らず、ただ『連れ戻す』という事だけを伝えた。
「西本願寺が屯所となると、勤王党が黙っていない。それを制する為に私は命を賭けるだけだよ」
「勤王党など、斬れば良い…。焙り出す為に屯所を移転させるんでしょう、近藤さん達は!」
「では何かい? 総司は京を地獄に変えたいとでも言うのかい? 我々は京の警護の為に命を賭ける新撰組では無かったのか? 私が腹を斬れば、新撰組内部の勤王党もおいそれと行動ができなくなる。もちろん外部の勤王党だって同じさ」
山南の口調は優しく、沖田を落ち着かせようとするが、認めたくない沖田は逆に反発する。
「薫さん、何とか…何とかできないんですか! そうだ、京の勤王党を移転前に斬り殺せば…」
我を忘れた沖田は、焦点の定まらない瞳で刀を取ろうとするが、山南はそんな沖田の奥襟を掴み叫ぶ。
「名を上げたいが為に人を斬るならば、私がこの場で総司を斬るぞ! 忘れるな総司、新撰組は京市中警護と不逞浪士の取り締まりだ! 我々が不逞浪士集団となって如何するか! 目を覚ませ!」
山南が声を荒げる。珍しく感情を剥き出しにした山南に、沖田は正気を戻した瞳になる。
「局長や副長に従い、試衛館の名を上げる為に将軍警護に就いたのは良い。だが、誰かの野望の為に新撰組を使わせる訳にはいかん。敵を間違えるな、総司…。今のお主は新撰組一番隊組長だ。役目を果たせ!」
山南の目には、うっすらと涙が溜まっていた。薫はその二人をじっと見つめ、その様子を眺めていた。沖田は反論さえしなかったが、納得もしていない。当然である。兄と同然に慕っていた山南がこのまま屯所に戻れば、間違いなく死罪になる。だが本人はそれを覚悟で戻ると言うのだ。
「総司、今まで何人の人を斬った?」
「…覚えていません…」
「その一人ひとりに思想があり、家族も友もいただろう。それら全てから奪ったのだ。その全てを背負う必要が、総司にはある」
ここに来る道中で、薫に行った様な言葉を山南に掛けられ、ふと薫に視線を移す。しかし、山南の言葉の裏にはまだ意味がある事を、沖田は気付いていなかった。
「とにかく、少し身体を休めましょう…幸い、石山温泉も近いですしね」
まるで空気を感じていない声で、明るく二人に提案する薫。
「オンセンッテ…」
沖田は声を裏返して聞き返す。当然の反応である。生きるか、死ぬかの会話の最中に割って入った声は軽く、明るかった。
「そうだな、新撰組に入って、まともに温泉につかった事も無かったな…久々に身を清めに行くか」
山南も同調して明るく言う。この二人は、すでに此処までに幾度となく会話をしており、薫も今後の歴史の為にその覚悟を容認するしか無かったのだ。
今できる事は、この山南の決死の覚悟を無駄にしない事。ただそれしか無かったのだ。
三人は、その後最初で最後の旅行に向かう。




