慟哭の龍
伊東甲子太郎が新撰組に入隊した翌日の昼、屯所に一人の男が訪ねて来た。
門番の隊士によると、妙に訛りのある男が沖田を訪ねて来た、友人だと言っている様子だった。
その時、沖田は薫と共に朝稽古の後の茶を飲んでいた時だった。
「訛り? どのような訛りなんだ?」
「恐らく土佐の訛りかと…勤王党の残党の可能性もありますが…追い返すか捕縛致しましょうか」
「身の丈は? まさか大男では?」
薫が聞くと、門番は大きく頷いた。
「龍さん…龍馬殿ですよ、沖田さん」
「あぁ、あの時の…。大丈夫。すぐに参りますと伝えてくれ」
そう言って刀を持ち、羽織を準備しだした。もちろん、薫も同じく準備に入った。
暫くして屯所の門に沖田と薫が現れ、大男の前に立った。
「久しぶり。元気でしたか?」
薫が聞くと、大男は訛り全開で薫を捲し立てた。
「元気じゃと? 呑気なもんじゃの、おまんは」
間違いなく龍馬だった。どうにも苛立ちを隠せない様子で、腕組みをして沖田を睨みつける。
「龍馬殿…私が睨まれる様な何かをしましたか?」
「エエ、ここでは話せんがじゃ。ちょっくと寺田屋に来てくれんがか」
そう言うと、さっさと歩いて行った。こちらの意思はまるで無視した様子に、沖田と薫はやれやれといった表情で後に続いた。
京の町を歩いている間、ずっと無口でブスっとした龍馬と、困惑する新撰組二人。
随分の距離を歩き寺田屋に着き、馴染みの部屋に入った途端、龍馬の口が堰を切る。
「取り敢えず、以蔵殿は今なんちゅう名じゃ」
「あ、そうですね。龍さんは知りませんでしたね…今は浅野薫となってます」
「ほうか、まあそれはそれでエエ。ワシが言いたい事は別にあるじがじゃ」
龍馬はどっかり座り、既に温まっている火鉢に手をかざして話し出した。
「お二人は、勝先生が海軍操練所塾頭を罷免されたっちゅう話しを知っちゅうがか?」
沖田も薫も初耳だった。
「なぜ、罷免に? 何か問題でもあったんですか?」
慌てて薫が詰め寄ると、龍馬は沖田を睨みながら話し出した。
「去年八月の政変で、長州藩士達が京から失脚したっちゅうのは知っちゅうがやろが。それに端を発した争いで保守派から完全に睨まれたがよ。先生は何もしちょらんのに、ただ内部の人間の思想が勤王じゃのいうだけでじゃ。何もかんも、あの騒動から何かが狂い始めたぜよ」
「龍さん、それは沖田さんのせいではありませんよ…」
「以蔵…いや、薫殿。その八月の政変で変わった物は大きいぜよ。土佐でも…武市さんが捕縛されちゅう事は知っちゅうがか?」
「え? 武市さんが? 京都留守居加役になられたのでは?」
「土佐勤王党のご機嫌伺いじゃ。山内容堂の策略じゃったわ。あの政変の直後、武市さんも他の昔馴染みも、皆投獄されちゅうがぜよ!」
龍馬は怒りで震えている。それを見る沖田の目は、明らかに敵視しいていた。その目に気付いた龍馬は沖田に跳び付き、
「沖田、お主はどう思うがか? 思想を持つ事だけで死罪になる今の時代は正しいがか? やり過ぎちゅう事は分かっちゅう。けんど、それを止めて、双方丸く収める方法っちゅうがを模索するがは悪か?」
「思想を持つのは自由です。しかし、土佐勤王党は過激すぎました。あまりにも多くの血を流し、反発する者を容赦なく切り捨てる。それでは解決策はありません」
「おまんら新撰組と、何が違うがよ!」
龍馬が沖田を掴み、叫ぶ。
「土佐勤王党は全員斬首じゃ、こうなる前に止めるのがおまんらの仕事じゃなかったがか!」
今度は薫に掴みかかり
「こうなる事を知っちょったがやろ! 何で教えてくれなんだがか?」
龍馬はその場で泣き崩れる。
「斬れば恨みが増えるだけぜよ、何でそれが分からんがか…」
三人の間には、暫く無言の時が流れた。友が投獄や死罪に合い、師と仰いだ人が罷免されている龍馬と、その言葉にどうしようもない罪悪感を感じる薫、そして予想以上に事が大きくなっている事に気付いた沖田。
「ふぅ…すまなんだ…」
その時を切り裂いたのは龍馬だった。
「沖田殿は沖田殿の生き方がある。それを否定しちゃいかんよな…。薫殿もそれなりの思惑があるじゃろう…まっことすまなんだ」
「坂本殿。失礼を承知でお尋ねするが…あなたは勤王党ですか?」
「ワシは、日本人じゃ。天皇も幕府も、どっちでも関係無いがぜよ。ただの、沖田殿…この国が変わるには、おまんも含むワシらが変えにゃいかんぜよ」
「私達が…変える?」
「そうじゃ。今こうしてる間も、どっかの藩で殺し合いが繰り返されちょる。それを止めるがは、ワシでもあり、おまんでもある。皆が好き放題じゃから国がバラバラになるがよ。それぞれの思想のエエ所を取り、より良い国を作るっちゅうのが、本物の国造りぜよ」
沖田は予想外の言葉に戸惑ったが、すぐに本来の顔に戻った。
「龍馬殿、私は新撰組。あなたと敵対する時が来るかも知れません。ですが、私はあなたを斬りたくない。あなたはこの国の先を案じている。幕府でも天皇でも無く、国自体を。その事が危険なのか、今の私には分かりません…。龍馬殿、願わくばその命を、新しい時代に…」
「沖田殿。ワシは薩摩藩に世話になっちゅう。薩摩と会津は仲がエエがやろ? ほいたらワシらは友達じゃ。この先、ワシがどうなろうとも、それは変わらんがよ」
龍馬は薩摩に刃を向ける事は無い、という事を伝えたかったのだろう。
「薫殿、おまんはこの先も新撰組で居るがか?」
「ええ、暫くはお世話になるつもりです。しかし、その事と刻の流れは関係ありません。暫くは成り行きに任せてみます」
沖田には意味が分からなかったが、龍馬には十分すぎる程分かった。
「新之助殿も薩摩藩邸で世話になっちょるき、暇な時にでも顔を出してくれ」
「分かりました。龍さん…いずれ、また」
薫と沖田は寺田屋を後にした。
「龍馬殿は、薫さんでは無く私に用事があったんですね…」
「ええ…。新撰組という在り方に、不安を持っているんでしょう」
「もう、止める事はできない流れになりつつある時勢の中、本当に動かしてしまうのは、龍馬殿のようなお人なのではないでしょうか…」
沖田は龍馬の底知れない思考と、その人間性に圧倒されていた。
そして翌年から、遂に止まらない刻の流れが加速し、全てを呑み込んでいく。




