新撰組浅野薫誕生
寺田屋より戻った沖田と以蔵は、土方の元に居た。
六畳ほどの広さにある部屋には隊旗が飾られており、赤いダンダラ模様に金色で「誠」の染め抜きが施されている。土方の顔は穏やかではあるが、底知れぬ存在感を持っており、引きこまれるような男だ。
その土方の正面に座り、沖田と共に酒を酌み交わしている。
「それで新撰組に入るということか?」
「ええ、新撰組にもこれほどの剣客は居ないと思います。今回の事件の事を考えても、しばらくは新撰組として入隊しておけば…」
「書面に記さない男が新撰組だという証明にはなるのか? 口裏を合わせば済む話では無いのか」
「土方さん、岡田さんは我々の側にも不利な状況を作らない為にも…」
「どうか分からん。新撰組をよく思っていない組織は、倒幕派だけとは限らんからな」
土方と沖田は、以蔵の入隊について話し合っている。新撰組は元々天然理心流である『試衛館』出身の者を中心に集まった浪士隊であり、近藤勇を担ぎ挙げた組織だ。その成り立ちから思えば無理も無い事だが、ここで放り出されても以蔵は戻れば良いだけの事。ただ成り行きに任せて酒を呑んでいる。
「岡田殿、先程から酒を呑んでばかりだが…入隊する真意はどこにある」
土方は以蔵に問い質す。
「真意なんてものは、言葉の通り。隊士が粛清した、という事を裏付ける為の入隊です。私の顔を知っている人間は、失脚した家老と一部の倒幕派、それに勝海舟とその身辺数人。それも幕府側の人
間です」
「素性の知れない浪士が粛清した…と?」
「安藤様は副長助勤程の御方です。それなりの男で無ければいけません。しかし、土方殿・近藤殿自らが粛清となると多少無理がある。それなりの筋に報告すらしていませんからね」
以蔵は酒を啜りながら土方に言葉を放つ。
「新人で、かつそれなりの地位を持つ者の仕業…と、言う事だな」
「流石に…御察しの通りです」
「望みの処遇は?」
「できれば一番隊付、監察方とでも」
「なるほど、隊士を見張ると言うのか」
「あくまで便宜上です。事後報告時に役立つでしょう」
「策が回るのは気に入らんが、暫くはそれで総司の元に居るが良い」
土方の許可が出た。局長は近藤だが、実質新撰組を動かしているのはこの土方であり、ここで以蔵は新撰組一番隊隊員という事が正式に決まった。
「よし、では以蔵さん。明日は朝から稽古の相手をお願いしますね!」
「明日からですか? 随分と…」
「あなたはもう私の元に配属になったのです。文句は言わせませんよ」
沖田はニィっと無邪気に笑って以蔵を見た。
「岡田殿、そうなると名前を変えた方が良いのでは無いか?」
土方が方膝を立てて以蔵に詰め寄る。何かワクワクしている風にも見える。その素振りを沖田は見逃さず、
「土方さんダメですよ。以蔵さんは私の隊に入ったのです。あの抜刀術は私が先に見せて貰います」
「総司、隊士の力量を計るのは副長としても大切なことだ。安藤も居ない今、副長助勤も空いた訳だしな…」
二人して以蔵の取り合いの様になっている。幕末随一とも言える剣豪二人に取り合われる状況が、面白く無い訳は無い。以蔵は背中がむず痒くなり、つい笑顔になる。
「何を笑っている。二人の会話がおかしいか?」
「いえ、私の名前を決めるのでしょう? 本題が随分と曲がっていますが…」
「そうだ、名前…カオルでどうです?」
「カオル…意味ありげな名前だな。素性を隠し、何かを匂わすか」
「洒落ですよ、洒落。どうです、以蔵さん」
「そうですね…ではそれで」
「ご自分の名前ですよ、拘りは無いんですか?」
屈託のない笑顔で笑う沖田だったが、かの沖田総司が名付け親で悪い気持がする訳が無い。
「よし、では性をアサノとするか」
今度は土方が名を付けた。何とも贅沢な話である。
「浅野薫…こうですね」
どこから引っ張り出したか、沖田が紙にそう記した。
「まるで御兄弟のようですね、お二人とも」
沖田と土方を見ていて、不思議にそう思った。
「武蔵の国に居た頃から、試衛館で内弟子として一緒でしたからね…。土方さんには色々面倒をかけてしまいました」
それを聞いて、ふふっと土方が笑う。人斬り集団としてのイメージしか持っていなかった以蔵には、何とも新鮮であり、愛すべき人物なのだと感じた。
沖田と以蔵改め薫は、土方の部屋を後にした。沖田は二十歳程だろう。恐らく薫と変わらぬ年齢。そのせいか、随分と気心の知れた仲に感じられた。
「薫さん、しばらくは私の隣の部屋を使って下さい。あなたは監察役、役付きですから堂々とお願いしますね」
「え? あぁ…分かりました。でも堂々となんて肌に合わないので、どうなるか分かりませんが…」
「ご自分から言い出した事でしょう? 随分変わった人だな」
沖田は笑いながら自分の部屋に入って行った。薫も、頭を掻きながら割り当てられた部屋に入り、寺田屋から持って来た荷物を隅に投げた。
『人斬り以蔵が、名前を変えて人斬り集団に入隊…どうにも刻は、僕に人を斬らせたがってるな』
今後しばらくは新撰組隊士として働くしかない事を覚悟した。そして、その時が刻々と近付いて来ていた事を知る事も無く…




