寺田屋にて
「ほんにまっこと驚いたぜよ、ほいたら勝先生は知らずに二人を引き合わせたがか」
とある宿屋。その一室には、龍馬と新之助、そして以蔵の姿があり、三人が膝をすり寄せて話しをしていた。
「私も驚きましたよ…同じ境遇の先輩がいるとは」
今までの孤独感から解放され、安心できる瞬間を噛みしめている以蔵が溜息交じりで言う。
「しかし龍馬殿は、刻を超えた事を信用しているのですか?」
新之助は、丁寧な言葉遣いで龍馬に聞いた。
「信じるも何も、本人がそうじゃ言うし、何やら不思議な道具も見せて貰うたがよ。おまけにこれまでの以蔵殿の行動・発言を見ちょると、疑うような所は無いがじゃき」
不審がってるそぶりは全くせず、素直に新之助の問いかけに答える龍馬。その姿に呆気に取られた新之助は、龍馬の膝をポンっと叩き、
「私が行った時代には、龍馬殿のように柔軟な頭を持った方は居らなんだ。龍馬殿は、この時代に現れるべくして現れた、英傑ですな」
そう言われて、さすがの龍馬も照れを隠しきれず
「ちゃちゃちゃ…参ったのぉ…」
時は元治元(一八六四)年八月。場所は京都。
勝と龍馬は海軍操練所開設の公布に伴い、関西での活動が続いていた。
「今、この国は瀕死じゃ。文久三(一八六三)年に幕府が操練所設を公に許可したがはエエが、長州が外国艦隊に向かって砲撃したり、その報復で砲撃されたり…おまけに仏蘭西に下関砲台を占拠されたりと、戦へまっしぐらじゃ」
文久三年、長州をはじめ各藩での武力活動が活発化していた。それは幕府に向ける矛先とは別に、諸外国にも向けられた。
「長州は武器が乏しいがよ、戦をして勝てる訳が無いじゃろう…何故戦を急ぐがかのぉ…」
龍馬は腕を組み、眉間にシワを寄せて考え込んでいる。元より大きすぎる体をぎゅっと縮めてはいるが、どうにも似合わない。
「薩摩・合津と長州は、完全に中互いをしてますしね」
新之助が龍馬との会話に乗って来る。
「尊王攘夷派として京都に陣取っちょった長州を、公武合体派の薩摩・合津が追いだしたからのぉ…その勢いで寺田屋で同郷の望月亀弥太も斬り殺されたがよ…それ以来、何ちゃ言うても仲が悪うなってしもうたの…」
「何か策は無いかね…」
新之助は以蔵に聞く。それと同時に、龍馬も以蔵を睨みつける。
以蔵は小さく溜息をつきながら、答えた。
「長州と薩摩・合津が喧嘩をして、それに乗じて幕府も各藩を抑えようとしている。もしここで薩摩と長州が手を結べば、幕府の力は半減し、さらに戦も減る…」
「幕府の力が減ってしもうたら、それを潰そうと企てる奴はおらんがやろか?」
「そうか、なるほど…今はその時じゃ無いって事か」
新之助は明るい表情で以蔵を見つめ、以蔵もコクっと小さく頷いた。
「幕府に力と威厳を残しつつ、薩摩と長州を結ぶ…こら難題ぜよ…」
「壬生の浪士組…いや、今じゃ新撰組か。これも厄介な相手になりそうですね」
新之助が呟くと、再び二人は以蔵を見つめる。
「何です? 私は嫌ですよ、新撰組と斬り合うなんて」
あの主要メンバーが一人欠けても、歴史は変わってしまう。斬り合えば自分が死ぬのは分かってる。死ねば刻の穴を潜る事になるのだろうが、ここまで来て維新を見ずに消えたくも無かった。
「斬り合いなぞ、ワシも望んじゃおらんき。それをせずに、京に泰平の礎を作れんかのお…」
この先、龍馬が拠点に選んだ理由が、薄らと分かった気がし、この先の龍馬を取り巻く不幸を案じた以蔵の影を、誰も気付かなかった。
「失礼します」
障子の向こうから女の声がする。
「お食事をお持ちしました」
そう言いながら障子を開けた女性は、目鼻立ちの良い美人。以蔵は佐那を思い出し、懐かしく思えたが、その瞬間、龍馬の言葉で我に返った。
「おお、お龍。すまんの…こっちまで頼めるかの」
龍馬が妻として後に迎える事となる、お龍だった。
「誰です? この美人は」
新之助は興味を全てこの美人に注ぎ込むが、お龍は表情を一切崩さない。
「ちょっと縁のあるお家の娘じゃ。訳あって寺田屋で世話をして貰うちょるがよ」
「へぇ…どうだい? 今夜一室借りて、私と…」
新之助はお龍に声を掛けるが、お龍はその表情を一切変えずに答えた。
「お侍さまが、私をおいくらで? 坂本様を超える度量と、それなりのお答え次第です」
「わはは、ワシを超える度量っち、ワシはただの阿呆ぜよ」
龍馬は大笑いしながらも、新之助に向かって胸を張って見せた。
「何だい、意地が悪いな、龍馬殿も…」
新之助は全てを悟り、頭をポリポリと掻いた。その向かいで、以蔵は龍馬の妻となるお龍という女性を、目に焼き付けようとしていた。




