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維新の剣  作者: 才谷草太
箱舘戦争
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二股口の開戦

 明治二年四月九日早朝、箱舘五稜郭本陣より北東に位置する、日本海に面した乙部より、新政府軍が上陸して来る。

 この情報を耳にした幕府軍は、上陸阻止の為に乙部から海岸線沿いに位置する差江より、一聯隊百五十名を派遣。しかし、新政府軍は既に上陸を開始しており、先遣隊松前兵により撃退される。更に新政府軍軍艦五隻による海上からの砲撃により、呆気なく差江すらも奪われてしまう。

 新政府軍は、この差江と乙部の二拠点から箱舘五稜郭への進軍を開始した。


 そんな中、土方率いる陸軍一大隊は五稜郭と乙部の丁度中間あたりに位置する、台場山へと到着。四月十日だった。

 土方ら新撰組の数人は、隊士服を身に纏い、この戦に赴いていた。新撰組は各連隊に散在していたが、『誠』の羽織は幕軍の意気を大いに高めていた。


 「胸壁ですか?」

 「ああ、山道で切り合いなどは最後の混戦ですれば良い。それまでの間に敵兵を可能な限り削る」

 土方軍は泥にまみれ、強固な壁を作っていた。現代風に言うと、簡易トーチカとでも言うのだろうか。

 数人が壁に隠れ、そこから銃撃するという作戦。

 「小銃しか持ち歩かない我々が、まさかこのような戦を展開するとは…」

 以蔵は眉を顰めつつも、口元を歪めた。

 「小銃だからこそ、だ。小回りが利き、無暗に撃たず狙いを定め、発砲し、全弾撃てば後方へ下がり第二列と交代…、かの織田信長の戦法だ」

 二人は胸壁を築き上げる兵士たちを見つつ、その山道を眺めていた。左右より回り込まれる心配は少ないだろう。崖に囲まれた山道である。だが、これを登り上方より攻撃されれば壊滅。


 「壁を昇る兵士が、新政府軍に何人居ると思う?」

 以蔵の不安を察したか、土方が問いかける。

 「この地を超えるには、その策が妥当と新政府も考える筈ですが…」

 「雨の中、この壁を登れると思うか?」

 ニヤッと笑いながら崖を見上げる。空は晴れている…雨など降る気配は無い。

 「鬼の副長、土方歳三が雨乞いでもやりますか?」

 土方の怪しい笑みに、以蔵も悪戯小僧のように微笑み返すが、

 「アイヌを味方に付けたのは、お前だけでは無い」

 そう言いながら、以蔵の背中をドンと叩く。


 「明日、雨が来るそうだ。本日中に胸壁を作り上げれば、凌げる」

 土方はあのアイヌの男達に現地の天気を伺っていたのだ。古くからこの地に住む者達は、空の状態、気温など、自然の観察によって天気を予測できる。

 「最も、確率の問題ではあるがな…。これまで嵐に泣かされた我々を、救う空が来るかどうか…」


 胸壁は合計十六か所。全ては天候により左右される。



 台場山にて胸壁が完成に近付いていた頃の十一日。

 五稜郭より南東の津軽海峡に面した松前では、伊庭八郎・春日左衛門が遊撃隊と陸軍隊を率いて差江奪還の為に、日本海側沿いに北上を開始していた。

 進軍途中、新政府軍の斥候に遭遇するが撃破し、翌十二日、茂草に到着、占拠する。しかし差江からの進軍を開始する新政府軍は、日本海側ともう一方、内陸部を横切り木古内へと向かう二分隊がある事を知り、松前側からの後方攻撃を怖れ、撤退を始める。

 更に同日、その動きを危惧していた大鳥圭介の元、伝習隊・額兵隊が木古内へと入り、先んじて防衛に就いていた彰義隊と合流。五百名での防衛を行う態勢を整えた。


 ここに、台場山・松前・木古内の三ルートの攻防準備が整う。



 十三日早朝。アイヌの予想通りの空が曇る。

 「岡田…どう思うか、この空…」

 「雨が降るまで堪えれば、崖が味方をしてくれますね」

 「空に見放される事は慣れているが…厄介だな」

 二人は重い空を見上げながら、そのまま昼に至る。


 雨は降らない。


 午後三時。遂に新政府軍が二股口へと差しかかる。


 「無情…。戦るしかない…」

 土方は、全軍に射撃命令を出す。一斉に爆音が小さな沢に木霊する。

 新政府軍は混乱し、一時撤退するも、再度突撃を行う。熾烈な銃撃戦が開始された。

 幕軍は胸壁を盾に、隠れては撃つ、撃っては隠れる戦法が功を奏し、次々に新政府軍を倒す。


 「奴等…焦ってるな」

 銃撃音の中、土方も応戦しつつ以蔵に言う。無論以蔵も銃撃を行っているが、どうにも剣術以外の修練を行っていない男の射撃は的に当たらない。じっくり狙う時間すら無い乱戦の中では、慣れる間も無い。

 「焦っているのは私もですよ…。どうにも銃は嫌いです」

 「侍であれば、銃など好む者は居ない」

 笑いながらも的確に撃つ様は、土方の真骨頂だった。柔軟に全ての戦術・戦法を取り入れる軍神、とでも言うべきか…。そう感じていた以蔵は、その状況を冷静に判断して口を開く。

 「数で勝る新政府軍は、暫く力押しで二股口を抉じ開けようとしますね」

 「だが、このまま夜になると崖を登り、上方から撃って出るだろうな…」

 闇にまぎれて撃ち下ろされれば、人間誰でも混乱はする。


 陽が沈む…。土方は静かに舌打ちをしつつも、ただひたすらに銃を放つ。

 撤退か…それも止むを得ない。そう考えていた土方の鼻先に、雫が落ちる。


 「……?」


 次いで以蔵の頬にも。


 「来ましたね…。土方さん、降雨対策命令を!」

 「分かってる!」


 そう言うと、土方は伝令を走らせる。胸壁から胸壁へと、その命令は伝染して行き、火薬に布を被せ、雷管が湿るのを上着で守り、ひたすらに攻撃を続ける。

 左右の山肌からは水が流れ落ち、新政府軍の銃は雨に濡れ砲撃ができなくなる。それでも突撃を繰り返す新政府軍を、雨天予想していた土方軍は夜通し砲撃。


 翌十四日午前七時。


 十六時間に及ぶ銃撃戦は、新政府軍撤退と言う成果を残して勝利に終わった。


 二股口に流れる沢の水は鮮血で染まり、至る所に亡骸が転がる。

 激戦が終わったと言うのに、誰一人として歓声を上げないその光景は不気味だった。


 「総兵、敵兵に敬意を表し、一時黙祷!」

 土方の命により、一斉に胸壁より立ち上がり、頭を下げ目を閉じる。

 春の沢に似つかわしく無い地獄で、侍の意地を守り通した土方軍は、仁を貫いた。


 「私は一時隊を離れ、五稜郭本陣へと戻る。今後も激戦が続くだろう…物資補給と援軍を要請して来る…。市村、着いて来い」

 以蔵は戦地に残り、小姓として就き従っている市村鉄之助を連れ立ち本陣へと舞い戻った。


 この十六時間で幕軍が費やした弾数は、三万五千を上回っていた。




 しかし、新政府軍はこの二股口の戦いを重く受け止め、最重要拠点と位置付ける。ここさえ突破すれば幕軍が潰れると睨んだのだ。

 鬼神・土方を破るべく、この後も激戦を強いられる事となる。


 十六日には差江より新政府軍の援軍二千四百名が上陸、二股口には薩摩・水戸藩の兵士が向かい、弾薬も補充された。

 更に十七日には二股口を囲む山を回り込み、幕軍の背後から襲撃する計画も同時に進められた。


 二股口攻略に専念している新政府軍の背後で、同日松前守備に当たっていた五百名は差江に向けて進軍を開始していた。

 しかし、茂草までの進軍途中、折戸浜付近で新たに上陸していた新政府軍と遭遇。

 新政府軍千五百名に加え、海上からの砲撃が合わさり大混戦となる。戦力差は明らかであり、善戦するも死者四十名を出し後退。松前城すら奪われ、福島まで撤退を余儀なくされる。


 これらは全て、二股口の土方軍を背後から攻略する為の軍隊だった。

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