箱舘に残す武士の魂
本陣奥より、浅葱色の羽織を纏った男達が現れる。
急遽の作成となった為、百五十名全員には行き届かないが、それでも三十七名の隊士が着用し、土方を先頭にして堂々と出て来る。
頭には額に薄い鉄板の付いた鉢巻、浅葱色の羽織に袴…、腰には二本差し。
土方の後ろからは、『誠』の旗を掲げた以蔵が着き従う。
「感慨深いな、この羽織がそこまで我々の脳裏に焼き付いていたとは…」
土方は羽織の袖口を見つめて言う。
新撰組時代、結成から暫くは着用していた物の、夏向きの素材である事と、返り血が目立ち過ぎる色である事から、滅多に着用しなかった羽織。
土方が足を止めると、後ろに続いていた三十五名は即座に土方の前に回り、和服に着替えていた他の隊士と共に整列をする。
そして、以蔵の持つ隊旗を受け取り、百五十名全員が『誠』の元に集まった。
「知っているか岡田。この羽織は赤穂浪士の羽織を参考に、近藤さんが作った物だ」
「え…? そうだったんですか?」
本当に知らないという表情を見てとった土方は、意外そうに言う。
「全てを知っている、という訳では無いのか」
土方は愉快そうに笑った。その間、隊士百五十名は一切の動きを律し、堂々と佇む。
そしてそれを見つめる、他の兵士達も洋式の軍服を纏い、背筋が伸びている。春の訪れを感じる箱舘の空に、凛とした空気が流れる。
土方は左腰の太刀を腰から抜き、右手に持ち替える。その様を見ていた隊士全員が、再び正座をして太刀を右に置く。が、今度は周りの兵士たちもサーベルを腰から外し、右手に持ち替えて立ったまま頭を下げる。
「壮観だな…。やはり皆、侍なんだろう…」
ポツリと土方は呟く。その表情は嬉しそうでもあり、悲しそうでもあった。恐らく、それが土方の素直な気持ちなのだろう。
陣屋正面で行われている『儀式』を感じ取り、五稜郭周辺の兵士が集まり、皆一様に頭を下げる。それはまるで、土方を侍の棟梁と認めるような光景だった。
「近藤さん、総司…新撰組の皆…、今箱舘で侍達が忠義を以って集った。皆に見せたかった…」
土方の目に、涙が滲む。
その感情は、次第に五稜郭全員へと広がり、陣屋の廊下から外を眺める榎本・大鳥等の胸をも支配して行く。
誰もが感じていた。この後の戦が、最後の戦になると。
しかし運命に対し後悔は無い。
ただ唯一、この戦いでの魂を、後世の侍に受け継がれる事を願っていた。
それを理解しているかの様に、土方は口を開く。
叫ぶでも無く、声量は抑えているが、その声は皆の腹に響く。
「赤穂浪士の忠義に倣い仕立てた誠の羽織…。これに袖を通した者は、その忠義を抱き戦い抜け。そしてその背を見る者、武士の一分を貫き通せ」
土方のその言葉の後、誰からとも無く頭を上げ土方を見る。
「死に行く戦いでは無い、魂を受け継ぐ戦いだ。命を無謀に掲げるな。切腹は侍の美学等とは考えるな。我等侍の命はそう安い物では無い筈だ」
武市瑞山・山南敬助…以蔵が関わった者達の中でも、腹を切った者達が居た。そして、この時は間違いなく彼等が以蔵の背後に居た。彼らの魂を背負い、以蔵にも戦う理由があった。
『この刻に来た理由は、これだったのか…。俺は侍達の最後の戦いを見届け、背負った魂と共に戦わなきゃならないんだな…』
いつの間にか、土方と以蔵の背後には幹部達も集まっていた。
「五稜郭に侍の活き場所を作るぞ。例え死に損ねてもその生き永らえた理由を悟り、後世に伝えよ。この戦、死んで行った者達の魂をも絶やす事は…決して許さん」
静かに、そう言った土方に、再び全員が頭を下げる。
「良い侍たちだ」
そう言ったのは榎本総裁だった。
「ええ、彼らの魂は決して潰える事は無いと信じたいです…」
大鳥もそれに答える。
土方の元に集まっていた者達は、決して昂ぶる事無く淡々と戦の準備に取り掛かっていた。だが胸には熱い魂を宿し、その身のこなしは素早く、鋭くあった。
それぞれの持ち場へと戻った彼等は、それぞれの想いを抱きながらも、かつての仲間達の魂を背負っている。彼等にとっての戦の意義は、敗戦が負けでは無く、魂を受け継ぐ事でこそ勝利があるのだと確信していた。故に、敗戦を怖れ、打ちひしがれている者はもう一人も居ない。
「戦に負ける事は、既に万人が理解しているだろうに、あの演説だけでこうも変わるか、侍という男達は」
愉快そうに土方に語りかける榎本総裁だが、その榎本総裁自身の目も薄らと赤く、どこか誇らしげに笑っていた。
「戦の勝敗に拘っていたのは、我等中央だけだったようですな、総裁」
苦笑いをしながらも、兵士たちを見つめる大鳥。
この数日後、箱舘攻防を主とする最後の戦が幕を開ける事となる。




