海戦回避、そして未来と過去
刻は既に明治二年になっていた。
箱舘市内巡回から戻った土方は、早速松平太郎の元へ向かった。
豪商への金品強奪に関する報告と、それに対する異論を唱える為だった。
「松平副総裁はおられるか!」
五稜郭本陣の正面から入り、いきなり声を荒げながら、奥へと続く廊下を歩き、正面突き当たりを右へ。すぐ見えるドアを勢いよく開け放ち、更に言う。
「副総裁!!」
その視線の先には、大きなダイニングテーブルに着く松平太郎が居た。隣には、先程強奪を行っていた兵士が居た。丁度報告をしていた時だった。
「どういうつもりですか! あれは税収というより強奪です!」
「土方殿、落ち着きなさい…。我々の経済情勢を知らぬ訳でも無いだろう?」
確かに、連戦の中で軍費は底を付き、これ以上の戦は困難な状況であった。その為に強引な税を課し、民の敵対心も煽っている。が、その影響で先のアイヌの男が言っていた内通者、内部の敵を生み出す事に繋がってしまった。
「商家を敵に回しては、先に物資の調達も困難となります! 税を課すのもその手法を誤っては新たなる問題が膨らむばかりです!」
「分かっている。だが、どうやら情勢が動いたのだ」
「情勢など、元より不利!」
土方がそう言うと、松平太郎は隣に佇む兵士を部屋から追い出し、次いで以蔵も部屋から出る様にとの指示を受ける。
土方は以蔵に向かい、軽く頷き外へと誘う。
軍議が行われる広い板張りの間。左右には大きな窓があり、無気味な静けさが広がる。
「海軍がその力を失ったのは知っているな?」
「ええ、ですが、それでも新政府軍との戦力差は無い筈です」
「…甲鉄が新政府の手に渡った…となると、どうかな?」
甲鉄とは、アメリカが幕府に売る筈だった装甲軍艦であり、大政奉還後、その販売先が消滅した為に宙に浮いていた。無論、新政府が購入の意思を表明していたが、アメリカはそれを保留し、時勢を読んでいたのだ。
その最中、旧幕府軍が蝦夷地において榎本を総裁とし、対外的に『独立国家』として認められてしまい、更にはイギリスへとその援助を求めている事から、日本の主導権が明治新政府にあると判断。最強とも言える軍艦を、新政府へと引き渡したのだった。
「甲鉄が…新政府に…」
土方も事の重大さが分かった。
完全に制海権を奪われる形となってしまう。
そうなれば、ここ箱舘は海上より砲火を浴び、一溜りも無く壊滅するだろう…。
「幕臣保護の嘆願書を黙殺し、我等を降伏か壊滅か、どちらかを選ばせるつもりか…」
「敵対の意志を既に見せていない我等に対し、降伏・壊滅の選択を迫るなど、武士道にあるまじき行為。我等は戦わねばならんのだ」
「防衛だけを考えてる状況では無くなったと?」
「防衛は壊滅を意味する事は、お主なら分かるであろう…」
松平太郎は、両手で頭を抱えて俯いてしまった。
「…軍艦など、止まっていれば小島同然。乗り込めば装甲戦艦など無用の長物と化します」
「中から潰す、と言うのか!?」
片腕を下ろし、斜めに睨みつける松平太郎。それを睨み返す土方歳三。
「甲鉄号沈なれば、我等は再び均衡します。成さざれば、防衛止む無し…」
「容易な作戦では無いぞ」
「承知の上。当たっては、俺が軍を率い、敵軍艦へ突撃します」
「…今、仏蘭西からの元軍人がこちらに居る…。彼らを補佐役とし、海戦を有利に運ぶ手段を思案しよう。新政府には亜米利加が着いている…世界で行われている戦術を使わねば、他諸国からも非難を浴びてしまうからな」
当時、海戦においては『万国公法』に則って行わなくてはならず、それに背けば世界で裁かれる事に繋がるのだ。
「榎本総裁達を呼び、軍議を始めよう。起死回生となるか、万策尽きるか…」
その時、以蔵は五稜郭の整備が進む堀に立っていた。
『六百年前の北海道…1200年頃か。鎌倉時代に龍さんが飛ばされたのか…、一体何の為に?』
自らが暗殺した親友、龍馬が生きている事が分かったのは、宜振と斬り合った時。そして、蝦夷地のアイヌ達から、その行き先を聞いた。
刻は恐らく、何らかの目的の為に人を運ぶ。
龍馬は何の為にその時代に飛び、ここに来たのか…。また、自らも何の為に再びこの時代に降り立ったのか。
『高松・伊東の目論みは潰した筈。一体何の為に…』
以蔵はゆっくりと振り向いた。
更地に悠々と広がる星形の堀。その中に数軒の建物が並び立ち、中心には鐘楼を携える本陣がある。
城砦とは決して言えぬ脆弱な作りの城…。
流れに身を投じるしかない現状を、その身にしっかりと確認させ、ゆっくりと堀に腰を下ろす。
その以蔵の遥か背後を、首脳陣に引き連れられたフランス人が本陣へと入る。
万国公法に則った戦術で、甲鉄を沈める、あるいは強奪する策を絞り出す軍議が始まった。
その作戦は、円滑に進んだ。
可能か、不可能かは別としての立案から始まった。
第三国の国旗を船に掲げ、幕府軍艦が甲鉄に接近。甲鉄に接舷させた直後に、幕府海軍の旗である日章旗を掲げ、陸軍が敵戦へ侵入。
船員を抑え、可能であれば甲鉄を奪い船ごと逃走。奪取が困難であれば、舵・動力を破壊した後、可能な限りの内部破壊を行う。
作戦としては無謀だった。
幕府軍の中で、旗艦はひと目で分かる為に然程大きな軍艦は使えない。そうなると陸軍兵士の数も限られ、敵戦場での乱戦となる。
が、海上での戦闘を避けるには陸軍で奇襲を掛ける他、無かった。
新政府軍の追加援軍を絶つ為、まずは甲鉄と陸を結ぶ道を絶つ事が最重要作戦とされ、船上での戦が求められる。
幕軍に選択の余地は無かった。
土方と以蔵は、流れに身を投じ、信念を腹に括る時が来た。




