~海の上の休息~ 居合とは
海の上。幕軍にとって今ほど心が落ち着く時は無かった。
戦を繰り返し、行く先々で血の匂いを嗅いで来た連中は、しばしの休息を取っていた。
それは土方とて同じ事。
僅かの休息を、甲板で以蔵と共に取っていた。
「岡田、尋ねたい事があるのだが…答えにくければ答えずとも良い」
いつになく畏まっている土方に、頬笑みを浮かべ聞き返す。
「何ですか、土方さんらしくも無い。良いですよ?」
そんな以蔵に対して、尚も畏まった表情で口を開く。
「お前の居合の極意を知りたい」
唐突な質問に、以蔵は驚いた。
「いや、土佐藩外不出と言われる剣技の極意など、簡単には口には出せないだろうが…」
土方はそれでも聞きたい、という目を以蔵に向けている。しかし以蔵は元より、健一にとって藩外不出と言われる方がピンと来ない。
「私は極意を極めた訳ではありませんよ」
意外な言葉に土方が驚く。
「沖田と同等に渡り合うお前が、極めて無いと言うのか? 居合とは、一体何なのだ…お前の剣技は未だ極まっていないのか」
「居合とは、『鞘の内』という変名を持つ剣術です。つまり抜刀せずして勝ちを納める」
「…まるで柳生のような言い回しをするのだな…」
以蔵は苦笑いをしつつ、重ねて言う。
「座した状態からの剣術…。先に抜かせ、尚且つ護身と攻撃を一呼吸で行うのが居合です」
「お前は立ち合いをしていたじゃないか」
「ええ、ですからあれは居合では無く、正確には抜刀術に部類されますね」
どの流派にも抜刀術はある。しかし、それのみに徹したのが土佐居合術。
「一刀必殺と聞くが…?」
「居合はその業の特質で、どうしても片腕での抜き付けになります。双腕での斬撃に比べ、非力な打ち付けになります」
「それでは必殺にならない…。腕力を付けるのか?」
その質問に対し、以蔵は自らの首を指差す。
「首・腹・目…。人には一撃で機能を失う個所が無数にあります。例え片腕でも、迷い無く正確無比に斬り込めれば、人は崩れるのです」
至極当然の事である。その位は達人と呼ばれる土方にも分かっている。
「それが居合の極意とは思えんが?」
「ですから、私は極めた訳ではありません…。ですが…斬り合いという中で、私が分かった事は…」
土方は身を乗り出して、言葉を聞き洩らさぬようにしている。そんな子供の様な土方が新鮮に見え、思わず笑顔になってしまう以蔵。
「体捌きですかね。足の運び、身体の回し方、腕の振り方…。どれを取っても通常の剣術とは違う様に感じます」
「確かに沖田と対していたお前は、舞を連想させる動きだった」
「藩外不出になった理由とは思えんがな」
以蔵の背後から、野太い声が聞こえる。
「榎本艦長…、いらしたんですか」
土方が苦笑いをしながら、以蔵の背後の男に声を掛ける。
以蔵は驚き、振り向いて頭を下げる。
「止めてくれ。『活人剣・以蔵』に頭を下げられると、恐怖が込み上げる」
榎本は笑いながらその輪に加わる。
『この人が蝦夷共和国の首相になる人か…』
軍議に参加していなかった以蔵は、近くで見るのが初めてである。
「教えてくれないか、岡田殿。お主が考える居合術の怖さはどこにある」
榎本まで目を輝かせ、以蔵の話しに割って入り出した。
以蔵は大きく溜息を吐き、説明を始めた。
「考えて見て下さい。防御・攻撃が一体になる事だけに洗練された剣術です。攻撃をした直後には、どんな剣術でも隙が生じます。そこに一撃必中、急所に斬撃が入るんです」
「攻撃を止めず、連撃であればどうする?」
それは榎本が聞いた言葉。土方は沖田の連撃を見事に捌いた以蔵を見ているので、頬を緩めて榎本を見つめる。
「連撃は、その繰り出す側が2手・3手を組み上げる剣の流れがあります。その剣の流れを逆に変えてしまえば、連撃は途絶えますし…剣を振う瞬間、人は呼吸を止めます。延々と続けられる業ではありません」
「攻撃を交わしきる身体能力…それは居合で無くとも同じなのでは無いか?」
「居合、若しくは抜刀術と呼ばれる剣技は、攻撃の瞬間まで抜かないのが基本です。抜刀すなわち斬撃。太刀を構える事が無い事で、攻撃の場所が読み辛い上に、間合いが分からない」
「抜刀した瞬間に反応できる者でなければ、相対する事はできぬ…と、言う事か…。そんな男が居るのか?」
「ええ、居ましたよ。少なくとも3人は」
「誰だ、その達人は!!?」
「沖田総司・坂本龍馬、岡田…以蔵」
「岡田はお主だろう」
事情を知らない榎本は声を上げ笑う。土方は事情を理解し、目を閉じて口元を緩める。
「しかし岡田殿と同じような連中がゴロゴロ居ると、暗殺剣だらけの世になるな」
榎本は不敵に笑いながら、その場を立つ。
「良い話しを聞かせて貰った。何故ここに岡田以蔵が居るのかは聞かんが、土方司令官とも旧知の仲と見受ける。宜しく頼むぞ」
そう言って下へと降りて行った。
「相手は薩長…。示現流を相手に、居合で勝てると思うか?」
「中村半次郎…ですか。本気であればどうなるでしょうね」
「お前…あの時闘ったのか?」
伊東の企てた暗殺計画(正確には装った)の阻止の事を思い出していた。
「ええ、説得で乗り切るつもりでしたが…剣は交えました」
「榎本艦長が居たら、喜んだろうな」
不敵に笑いながらも、土方は満足そうだった。
この会話の最中、以蔵はある一つの事を思っていた。
『みな、剣士なんだな…。この先の戦いに、剣は殆ど無用になると分かっているのに』
無論、この船に乗る者は皆理解している。しかし、周りを見渡せば時間があると剣を振っている者が目立つ。
「彼等は剣の腕を磨いているのでは無い。剣の腕を磨く事と、自らを磨く事は同じなのだ」
以蔵と同じように周りを眺める土方は、その心中を察してか、そう言った。
毎日を規律正しく行き、自らを磨く事を決して忘れず、互いに切磋琢磨し、私利私欲は考えない。
侍と言う文化が消えて久しい未来の住人であった事を、久しぶりに思い出した健一は、過去の自分を恥じていた。




