受け継ぐ魂
刻は既に八月下旬になっていた。
足の傷の完治を待ち、庄内藩へと到着した土方と以蔵は、町外れの旅籠に居た。
「入城すら叶わんとはな…」
「中立を守る、という姿勢ですね。こうなると奥羽越列藩同盟も崩れる恐れも…」
「既に降伏する藩も出始めている。会津も…総攻撃を受けている様だしな…」
大手門で聞いた話では、既に新政府軍は若松城への攻撃に入っている。
防衛が手薄な母成峠から攻め込み、城下に侵入した…という情報までは聞き出せた。
「今から援軍を頼み、出陣できたとしても会津は救えまい」
悲観的な土方に、以蔵は何とも言葉を返せない。
「母成峠から攻められては、恐らく他に回している青龍・朱雀・玄武が駆け付けた頃には、城下は火の海だ」
「回り込まれた…と、言う事ですか」
「あぁ。俺の傷さえ無ければ…」
土方は自らの右足を強く掴み、歯を食い縛って怒りを堪える。
「白虎隊の行く先を教えてはくれないか…?」
土方は怒りを堪える表情を右足に向けたまま、以蔵に聞く。
「聞いて…どうするおつもりですか」
「俺の救えなかった者達の事を、心に留め置く」
予備隊である白虎隊導入は避けられぬ、という状況は誰にでも分かる。そうなった先、彼等少年たちがどうなるかも…。
以蔵は、知る限りの白虎隊を語り始めた。
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白虎隊を組織する三百名の少年たちは、城下の隠防衛拠点へと配備された。
しかし、白虎隊の投入が焼け石に水なのは誰から見ても明白。老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、それぞれで苦戦を強いられ、撤退・全滅が相次ぐ。
そんな中、負傷者を抱えた白虎隊の一個小隊は飯盛山へと落ち延びる。
総勢二十名の少年たちだった。
何とか態勢を立て直し、再び戦場へと向かう決意で峠へと生き抜いて集まった少年たちがそこで見た光景は、若松城が業火に包まれる様だった…。
彼等は涙を流さなかった。
ただ、その光景を魂に焼き付ける様に見つめ、誰からとも無く腹を斬る。
その切腹は、少年たちの間に瞬く間に広がり、腹を斬る者、自らの喉を裂く者が現れる。
まだ幼い魂は、会津城の見下ろせる峠で、次々と果てて行った…。
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「安易な道を選ぶなと言っただろぅ…」
土方は涙を堪え、真っ赤に染まった目を見開き、両膝を掴む。
「子供の犠牲の元に築き上げる平和になど、何の価値があると言うのだ!」
「土方さん…彼等は侍として散ったのです」
「腹を斬れば、侍になれるとでも言うか!」
鮮血に染まった目を見開き、以蔵を睨みつける。
「命惜しさに降伏する年寄りが居れば、惜しまず義の為に差し出す少年が居る。この国は一体どうなっているのだ!」
「あなた方が長い歴史の中で、そういう国へと作り上げたのです」
冷静な声で土方に言う。
「我々は戦をすべきでは無かったと言うのか」
「止まらなかったでしょうね…。慶喜公を蟄居させた事で、眠っていた物を揺り動かしてしまったのですから」
「眠っていた…だと?」
「仮に、今各地で起きている戦。そこに臨む者達の魂は、違いがあるでしょうか?」
「違いだと…?」
「少なくとも、私利私欲の為に戦っている者は一人もいない筈です。それは倒幕を志す者にとっても同じだった筈」
「何が言いたい」
「主君に対し、命を賭けて間違いを正そうとした結果、倒幕と言う形になった。更に今は、慶喜公が黙って隠居した事による理不尽な仕打ちへの抗議と、奮起を呼び起こす為の結果…ではないですか?」
「ただ黙って主君に従うが侍では無い…そう言いたいのだろ? 分かっている。だが…」
「土方さん、貴方の戦う理由は、恐らく白虎隊の少年達とは違っていた筈ですが?」
以蔵のその言葉に、土方は言葉を失う。
「徳川の為、朝廷の為…。その様な志で新撰組を組織したかも知れません。が…今、貴方の胸に秘めた義や忠は、そこには無い筈」
「何故俺の心中を…そこまで言い切れる?」
「会津で戦い抜こうとはしなかった」
その言葉が、土方自身の本質に最も近い言葉だった。
「会津で果てようとも、この戦は止まらない。朝廷が政権を取り、徳川が姿を消す事は武家社会の終焉を意味します。そうなると、武士道すらも薄れて行き、自らの存在理由も見失う」
宿には大きく傾いた陽の光が入って来る。橙色に染まった光景を、土方と以蔵の二人は共有していた。間もなく夜が訪れる。
以蔵の言葉の後、二人は無言でその色の世界に浸り、様々な思いを巡らせていた。
「貴方が畏れているのは、徳川の滅亡では無い。武士としての生き様を否定される事です」
紫色が濃くなり始めた空の元、ようやく以蔵が言葉を続けた。
「新政権の発足。軍隊の設立。かつての常識を全て覆す革命が起きた時、侍は過去の物となる。戦を専門にする組織ができれば、そこに義は無くなる。戦いこそが生きる道になり、そこに武士道という理念は存在価値を見出せず、道徳観すらも変わって行く…」
「今の侍達に、武士道などを持っている者が、どれ程居るか…」
以蔵の言葉を、土方は打ち消す様に言う。
「徳川の時代が長すぎた…。腐敗した侍達は、欲の為に政を執り行い、益を貪り始めていた。長い平和の中で、武士道という価値観は一介の道徳としてしかその価値が出無くなり、生き様とする者は少なくなっていた」
「混乱の世にあって初めて意味を成すのが武士道だと言うのか?」
「武士道が薄れたからこそ、混乱の世になった」
「岡田…。俺は戦いを続ける」
「何の為に?」
「この…国と云う物に忠義を尽くす為に」
「土方さんの口から、国と言う言葉を聞くとは思いませんでした」
「侍が、例え消えようとも、武士道・侍の魂は消しては…坂本を始め、回天を成し遂げたかつての敵、更に戦で潰えた同志達に申し訳が立たん」
「仲間の義を背負い、敵の義を背負い戦うのですか?」
「敵とは、相対する思想。その者にも忠義はあった。尊敬を持たずして武士道は成り立たん」
口で言うのは何とでも言える。が…、この男は敵すらも仁の心で敬意を持ち、更に仲間の義を背負い命を賭けている。
「鬼神らしくない言葉ですね」
以蔵は茶化しながら土方の言葉を呑み込む。
「我等の生き様は、後世に語られているか?」
「勿論です」
「それだけ聞ければ良い。願わくば、武士道が未来永劫続く事を祈る」
命を賭けてる…。武士道を道徳としてではなく、国に生きる全ての者への、魂の生き様として残していく事に…。
以蔵は改めて、土方がかつて出会った事のない侍だったと知る。
「岡田…。会津は諦めるぞ」
「…どちらに?」
「仙台に向かう。榎本艦隊と合流し、残存兵力を集め、蝦夷へと向かう」
「仙台から蝦夷へ…ですか」
遂にこの日が来るのかと、以蔵は腹をくくる。
「奥州とは…因縁だな」
「因縁?」
「かつて公家政治から武家政治へと転換を図った、源頼朝が弟、義経も…奥州平泉でその命を絶たれ、その後武家政治が始まった」
「成る程…。武士にとっては何か運命の土地なのかも知れませんね」
「俺は死なんがな」
土方は笑顔を見せる事無く、真っ直ぐに未来を見る。




