勝海舟
「朗報があるぜよ、お二方」
そう言いながらボロボロと溢しつつも飯を掻き込み、早足で以蔵の部屋に向かう龍馬。
「食事も落ち着いて摂れないのかね、龍さんは」
「朗報って言ってましたね…今日一日歩き回って、何か噂でも聞き付けて来たんじゃないですか?」
「あの龍さんの行動力は、何が燃料になってるんだろうねえ…」
以蔵と重太郎は一日中剣を握っていた為、体力は限界に近く、食も細い。しかし、残そうとすると佐那が鬼の形相で睨む為、二人は時間を掛けて平らげた。
「遅い、遅いちゃ」
一足も二足も先に部屋に入り、ガタガタと貧乏ゆすりをしていた龍馬が手招きで二人を誘う。
「おまんら、勝海舟っちゅう男を知っちゅうがか?」
「ああ、軍艦奉行であり、開国論者の勝だろう?危険な男だよ」
「以蔵殿は知っちゅうがか?」
「ええ、知ってますよ。一風変わった男ですよね」
以蔵は多くを語らず、龍馬を見る。そこに気付いた龍馬は、フフンと笑い、懐から一通の書状を取り出して見せた。
「ほら、目を見開いて倒れるがエエ」
そこにあるのは、何やら紹介状らしき文面。
「何だい、それは…」
重太郎が覗き込むように読む。
「龍さん…これは!」
「そうじゃ、異論を唱える勝への面会紹介状ぜよ!」
「松平…春嶽? 今日一日でこれを受け取りに行ってたのかい?」
「ああ、流石にほうですかっちゅう具合にはいかんかったが、根負けさせちゃったぜよ」
そう言うと龍馬は、書状を元の懐に入れながら二人に言う。
「異論を唱えちゅう勝に会い、その真意を聞きに行くがじゃ」
「真意なんて聞かずとも、斬れば良い!」
「まぁ、それも考えないかんじゃろうが、斬るがはいつでもできるじゃろ、のお以蔵殿。真意を聞き、危険じゃと判断してからでも遅くはなかろう」
「まぁ、せっかくの好機だ。勝に近付く事ができただけでも、開国派に与える影響は大きくなるさ」
二人の会話を黙って聞いているだけの以蔵に、龍馬は尋ねた。
「以蔵殿、御一緒頂けるがやろ?」
以蔵は、暫く考えていたが、黙って座っていれば歴史への影響も少ないだろうと判断し、
「ええ、大丈夫です」
と、快諾した。しかし、心の何処かで勝に頼りたい、という気持ちも持っていた。
「ほいたら、明日にでも行くか」
「明日? 随分急じゃないか」
「善は急げ、っちゅうがやろ?」
この男で恐ろしいのは、この行動力と思考の柔軟性である事を再認識した以蔵だった。
翌朝、三人は赤坂にある勝の屋敷に向かった。そして半刻程歩き、屋敷に着いた三人は門の前に立ち、目の前にある殺風景とも言える光景を眺めながら、勝という人物像を想像する。
敷地はそれ程広くなく、庭の手入れはされている様だが、奉行の屋敷というより、一介の旗本の屋敷と比べても質素に見える。
「御免!」
突然龍馬が叫ぶ。大きく開いた門…といっても、門自体それ程大きくは無いが、その奥に見える庭師らしき男に声を掛けた。
「どちら様だね?」
こちらを振り向き尋ねる庭師。せっせと庭木の手入れを行っていた男は、その手を止めて龍馬に近寄って来た。
「松平春嶽公よりの紹介で参った、土佐の坂本龍馬、小千葉道場が長男重太郎、と、護衛一名」
そう言うと書状を取り出し、庭師に見せる。
庭師は書状を確認し、三人をぐるっと見渡した後、やれやれ、という声が聞こえそうな程の動きで背中を向け、
「良いよ、こっちに…」
そう言って屋敷に向かって行った。
「態度の悪い庭師ぜよ」
龍馬が以蔵に耳打ちしながら、後に続く。
案内された部屋は六畳程の部屋だが、壁一面、そして畳二畳程が書物で埋まっている。
その開いた空間に、ポンっと座布団を放り投げ、上座に庭師がどっかと腰を下ろす。
「さ、用件は何だい?」
以蔵はクスっと笑って一番廊下側に座り、庭を眺める。
「いや、直接勝殿とお会いしたいがよ。お主では困るがぜよ」
「勝殿に会って、お斬りなされる気かい?」
その言葉に重太郎は眉を動かす。それを見逃さなかった庭師は重太郎に向かい言う。
「やっぱりそうかい。泰平とは言えない時勢だね、どうにも」
「紹介状は本物です。勝殿にお目通り願いたい」
重太郎は、庭師如きに負けてなる物かと反論するが、その男は続けて言う。
「全く…開国、佐幕、勤王…何で皆固まって物を考えるんだろう
ね。こんな小さな日ノ本で争って、何になるって思ってるんだい」
そう言いながらキセルに火を付け一服しつつ、三人を観察した後、
「私が勝義邦、海舟だよ」
呆気に取られた重太郎を無視し、今度は驚きながらも龍馬が口を開く。
「勝殿、ワシらは勝殿を斬りに来たがよ」
単刀直入すぎる言葉を勝に投げかけた。
「あはは、そんなに素直に言われたのは初めてだよ。私が警護の者を呼ばないとでも思ったのかい?」
「勝殿が眉を動かす瞬間に、首を落とせる者が居るきに」
以蔵は身動きせずに庭を眺める。我関せず、という素振りに見て取れるが、その以蔵の姿を無視して龍馬は話しを進める。
「まぁ、しっかし只斬るのも芸が無いちゃ。斬るならいつでも斬れるきの。今日は話しを聞きに来たがぜよ。これから、何を進め、何を捨てるか」
「捨てる気なんてさらさら無いさ。必要な物は勝手に残り、必要のない物は勝手に消えるからね。ただ、開国・佐幕などと騒いでる連中は、それでこの国を強くできると思ってるのかい?」
勝は龍馬を睨む。そして、反論する気は無い、と判断すると、キセルを手に、畳み掛ける様に話し始める。
「独自文化に染まりきった隣の清国は、列強諸国との戦に負け、植民地となった。そして今この国では、勤王だの佐幕だのと政権を揺るがす思想で溢れ返ってる。暗殺、辻斬りが横行し、血生臭い時代が来るだろう。藩同士で叩きあって疲弊したこの国は、一体どこに向かうと思う?列強諸国にとって、この国は補給基地とするには絶好の場所にあるんだよ」
そこまで話すと、文献の隙間に挟まっていた一枚の地図を取り出した。
「見なよ、これは世界地図だ。この日ノ本はどれか分かるかい?」
重太郎に聞くと、重太郎はアジア大陸を指差した。
「あはは、ほら、その程度さ。今あんたが指した国は、列強に負けた清国だよ。日ノ本はその隣…ここだ」
「こんなに小さいがか! 江戸は、土佐はどこじゃ!」
龍馬は身を乗り出して聞いた。
「江戸はここ、土佐はここだ。形は随分違うと思うが、大きな目で見るとこんな物さ。この小さな中で争っていて、こんな国に勝てると思うかい?」
勝は、アメリカを指した。
「日ノ本がこの大きさ。亜米利加との距離は、これ程までにあるんだ。その大海を蒸気船で往復し得る科学を持ってるんだ。我々は侍だの殿様だの言っているが、そんな奴らに勝てるかい?」
龍馬は瞳を輝かせながら、ほうほうと聞いている。重太郎は最早理解の範疇を超えたのだろう、腕を組み、悩み出している。
「私が唱えてるのは、開国論じゃ無いよ。この列強の力を日ノ本に取り入れ、より強い、より豊かな国に発展させて行く事なんだ。その過程で、日ノ本に暮らす人々が何を消し、何を残すかは、それぞれが決めて行く事だと思う。もちろん、政権を誰が握るか、それも重要になるけどね」
「そこじゃ、そのでっかい亜米利加の将軍は、幕府は、どげんなっちゅうがか?」
「亜米利加には将軍は居ないよ。いや、正確には国民全員が『入れ札』という物を使って、一人の代表者である大統領を決めるんだ」
「国民…国の民全員が将軍を決めるがか」
「そうだよ。だから、農民も役人も関係ない。能力のある人間が、国民に支持されて政を行うんだ。今の日ノ本に暮らす、誰にそんな発想ができる?」
勝はキセルの先を龍馬に向けた。
「いや、ワシは全く思い付かなんだっちゃ」
「そうだろう、まあ、日ノ本もそれに倣えとは思わないけど、そんな知識すら持たない我々が、その知識を得て、独自に進化しなきゃならないんじゃないかい? その結果、将軍が政を行うにしても、天皇が行うにしても、進化なぞできはしないさ」
ここまで聞くと、重太郎が立ち上がり叫ぶ。
「黙れ俗物めが!誤魔化してばかりおって、結局は亜米利加の言い成りに事を進めるだけではないか!」
それを聞いた勝は、今度は重太郎にキセルを向ける。
「じゃあ、君は亜米利加の何を知ってるんだい?私は実際に行って来たんだよ?」
「何、亜米利加にかや!」
龍馬が身を乗り出すと、勝はキセルをくわえて話す。
「向こうじゃ石の家ばかり建っててね。そりゃあ頑丈だったよ。どでかい建物もあって、とても同じ時代を生きて来たとは思えなかったさ。敵を知らずに、どう戦うんだい?」
「黙れ黙れ!」
そう言いながら立ち上がり、刀を引き抜こうとした瞬間、龍馬が大きく頭を下げ、叫んだ。
「たまらんがよ、考えちゅう事がでっかすぎる!ワシらでは到底理解できんはずじゃ」
不意を突かれた重太郎は、茫然と立ち尽くす。その姿を目に留めず、龍馬は続ける。
「勝殿、いや、勝先生、ワシを弟子にしてくれはせんかの!」
「あはは、君は斬りに来た男の弟子になるって言うのかい?」
「先生の言うてる事は、ワシの全てをひっくり返す話しじゃった。それも説得力があったがよ。間違うちょったのは、ワシの考えじゃったき、正しいと思う方に直すがは当然じゃ!」
この思考の柔軟さこそが、龍馬が当時では考え付かない行動を続け、近代日本の基礎を作り上げる所以となっていた。
勝はポンとキセルの灰を落とし、頭を下げる龍馬に言った。
「良いよ、君は面白い。共に色々学ぼう」
「良かったの、重太郎さん、以蔵殿!」
「あれ? 三人ともかい? まぁ別に良いけどね」
成り行き上、重太郎も弟子入りしてしまったが、それを拒否するよりも龍馬の柔軟さに呆気に取られていた。
「それは良いとして、そこの護衛さんは岡田以蔵さんだね?」
「あ、しもうたの…」
龍馬は頭を掻きながら舌打ちした。
「いや、土佐の男の護衛をする男だからね…怪しいとは思ってたんだ。噂に聞く男とは、随分雰囲気が違うから別人だと思ったけどね…。でも、まあ問題無いだろう。流浪をするより、私の所で働いてくれると助かるよ」
神速の抜刀術という事で、土佐の男だろうと推測するのは当然。勝相手では、ばれるのも時間の問題だと以蔵は諦めていた。
「まんず、何をしたらエエがやろか」
龍馬は相変わらずの行動力で、早速何かを求めるが、流石の勝も即座には動けず、
「まだ何も無いよ。只、今準備をしている仕事があるから、その手伝いをして貰いたいとは思うけどね」
「何でもするぜよ、以蔵殿は剣豪じゃき、護衛でも何でも言うてくれれば!」
「龍さん、勝手に仕事を決めないで下さいよ」
以蔵はそう言いながら、我関せずを貫いた。
「うん。皆個性があるだろうから、それに合う仕事があれば良いけどね」
「いや、私は道場があります故…」
重太郎は、そういって勝の斡旋を断った。
「そうかい、そりゃ残念だ」
呆気なくそう言い切った勝に、重太郎は若干何かの期待をしていたのか、俯いてしまった。
「まだ許可は当分先の話しになるんけどね、海軍操練所を作るように動いてるんだよ。神戸にね」
「操練所? 海軍を作るがか?」
「あはは、まあそんな所かな。この国には海軍っていう物が無いからね。訓練をして一人前の海の男にするんだよ」
「そんな事をしなくても、漁師を使えば良いじゃないですか」
重太郎は除け者にされた様で、面白くないらしい。少し拗ねた表情で勝に意見をした。
「君は漁師が大砲を撃ったり、大型帆船や蒸気船を操舵したりできると思うかい?」
「ちゃんと教えれば、できるでしょう」
「だから教えるんじゃないか。海軍操練所には、身分なんて関係ないからね。侍でも漁師でも、百姓だって希望と適正がありゃ入ったって構いやしないよ」
「百姓もじゃと? ほいたら侍と百姓が、同じ仕事をする、っちゅうがな?」
龍馬は身を乗り出して勝に詰め寄る。
「そこに身分は関係ないがか?」
「海の上に出るんだよ?そこにこの国の身分なんて物は関係無いと思わないかい?能力のある人間が、それぞれの能力に適した仕事をする。それが海の上でできる事だよ」
それを聞いて、一層不機嫌になる重太郎が、勝に言い放つ。
「我ら武士が、百姓に仕える事になるって言うのか!」
「うん、まぁ能力によってはそうなるだろうねえ」
「凄いちゃ…身分も何も無い、能力次第か」
「もちろん、それぞれの持ち場を責任持って担当する以上、その持ち場ではそれぞれが将軍になるがね」
もう既に魔力にでもとり付かれたかの如く目を輝かせている龍馬と、それとは対照的に非現実的な物の怪を見るような重太郎と、そんな二人を見つめる以蔵は、つい笑ってしまった。
「以蔵さんは、興味が無いのかい?」
勝は無関心に笑う以蔵に尋ねた。
「聞く処によると、以蔵さんは抜刀術を使うそうだね。剣術以外に興味は無いのかい?」
「そういう訳ではありませんが…」
そう言いながら、以蔵は庭を見つめながら話を続けた。
「私は脱藩し、主君を持たぬ浪人。世間では人斬りなどとも呼ばれております。勝先生にご迷惑を御掛けする事になるやも知れませぬので」
それを聞いた龍馬が、今度は以蔵に詰め寄った。
「天下に響く孤高の剣豪が、まさか幕府直結の訓練所におるっちゅうとは、誰も思わんじゃろ。身を隠すにゃ最高の場所ぜよ」
「私は匿うつもりは無いけどね」
間髪入れず、龍馬の意見を否定するように言葉を挟む。
「いくら身分の違いによる差別が無い集団とは言え、人斬りの修羅が共に働く、と言うのは、周りにとって良い物ではないからね」
「私は弟子入りさせて下さい、とは一言も言ってませんよ」
人斬りと言われた以蔵は、少し苛立ちを見せながら勝の言葉に反論する。
「うんうん、そうだったねえ…」
腕を組み、何かを考えている勝を見て、龍馬が以蔵に摺り寄って話し掛ける。
「以蔵殿、失礼っちゃ。ワシらは弟子入りしたがよ。先生に向かって…」
「弟子入りしたのは龍さんですよ」
「ほいたら、ワシの先生に失礼な真似をするがやない」
ヒソヒソと言い合いをする二人に、勝はそのままの体勢で言葉を掛けた。
「どうだろう、岡田殿は私の護衛をしてはくれないかい? 先程坂本殿からも提案があったようにね」
「先生、ワシは弟子っちゃ。殿はいらんき」
「そうか、じゃあ…龍馬と呼ばせて貰うよ」
そんな中、一人蚊帳の外にいた重太郎が、ここぞとばかりに口を開いた。
「世間では開国論者と言われる勝海舟が、伝説の以蔵を護衛に付けたとなっては要らぬ緊張を与えませぬか」
「確かに、以蔵殿は佐幕・勤王どっちの味方でも敵でも無いき…それが勝先生の護衛になってしもうたら、敵味方がハッキリ分かれてしまうがな」
実際の所、以蔵にとってはどちらでも良い事だった。ただ、歴史上の偉人である勝海舟とあまり関わっては、歴史をまた変えてしまうかも知れない恐怖の方が大きかった。伊井直弼、武市半平太(瑞山)、吉田東洋、そして本物の以蔵…既に考え得る全てに影響が出ていると思われる事から、これ以上歴史に関わるのはやめておいた方が良い、そう思っていた。しかし反面ではその中で、勝の力を使い、助けを請いたいとも考えていた。
そんな以蔵を尻目に、ここに居る偉人達は論議を止めない。
「龍馬はそんな複雑な事を考えて、毎日過ごしてるのかい?」
「ワシか?ワシはその時々でどちらにも転ぶぜよ。自分が正しい、間違っちょった思うた瞬間、コロコロ転がるき」
笑いながら話す龍馬。
「そりゃあ危ないね、いつ敵に転がるか分からんって事だよ」
「敵なんておらん。どの人間も最終的に見ちゅう物は同じじゃき。そこに辿り着く道が違うだけじゃ」
この返答には、流石の勝海舟も驚いた。この乱世へと向かおうとしている時勢に、敵という感覚がこの男には備わって無いのだ。その驚きは重太郎も同様だった。最も、その感覚こそが龍馬最大の武器であり、魅力だったのだが。
その驚きの中、勝は以蔵に違和感を覚えた。この時勢、龍馬の感覚は異質であり、それ故に驚きを見せた二人だったが、以蔵は一寸たりとも驚いた様子を見せていない。
「以蔵さんも、龍馬と同じかい?」
勝が以蔵に問う。
「人斬りですよ、私は。襲われれば斬ります。それが敵となります」
「では、何を信じて動く? 何の信念の元で人を斬る?」
以蔵は言葉に詰まる。歴史を守る為、とは言えないし、実際、土佐での一件はそれだけの信念で吉田東洋を襲ったとは言えない。あの時は武市に利用される自分を感じ、陥れた武市に怒りを感じた事も事実。歴史との利害一致とは言え、結果論に過ぎないのだ。
「信念が無いから、人斬りなんでしょうね」
そう呟くしか無かった。全てを見通された感じがし、人斬りと何ら変わらない自分の都合である事も感じ取った。
「信念が無けりゃ、どんな悪党でも人は斬れないよ」
笑いながら勝は言った。
「金を奪う、命を守る、権力を握る。事の浄不浄はあれど、信念があるから人は動くんじゃないかな?」
「信念か。ワシの信念は何じゃろうな」
龍馬が考える背後で、重太郎も同様に考えている。
そんな二人を見ながら、勝は話を続ける。
「確固たる信念を胸に刻み、その為に動く事が出来る奴の目は輝いてるんだ。龍馬のようにね」
自分の信念を探している最中の龍馬には、驚きの言葉だったようで、
「ワシの信念っち、分からんぜよ」
「良いさ、今は分かる時じゃ無いんだろう。何をすれば良いのか、何が最善か、それを模索しながらも自分の声に素直に動けば良いさ」
「それが間違いだった時は…?」
重太郎が尋ねる。
「自分の行き先が間違いだったと気付いた時に改めれば良いんじゃないかな」
「先生も、迷われるがか?」
「残念ながら、私はこれからする事が自分の信念だからね。そこに行き着く道に迷う事はあっても、もう先は見えてるよ」
「操練所が行き着く先ですか?」
重太郎の問いかけに、勝が答える。
「いや、操練所はそこに行き着く為の道でしか無いよ。それで終わりじゃ、ただ軍隊を作ったに過ぎないからね」
「そのまだ先を考えちゅうがか」
勝は少し間を置いた。
キセルの先に葉を詰め、火を付ける。
ふぅっと煙を出し、それを見ながら口を開いた。
「その為に、仲間がいるんだよ。身分差別の無い操練所と違い、私は幕府の人間である事に違いは無いからね。動くには制約が多すぎる」
「ワシは脱藩しちゅう身じゃき、動き回る事は避けたいが…」
そう言いながら龍馬は頭を掻く。
「そんなモン、私が何とかしてやるさ。下の者を助けるのも、上の者の仕事だからね」
「おぉ、有難い。恩に切るちゃ」
「龍さんは何の為に脱藩なんて罪を犯したんだい?」
重太郎が龍馬に尋ねると、勝も聞きたそうに龍馬を見る。
「いや、何ち。参ったのお…。その時は必要じゃったが、今は疑問に感じちょるがぜよ。そん時に信じちょった人がやろうとしちゅう事と、ワシがしたい思うちゅう事が、違い過ぎちょるがぜよ。まっこと参ったち」
ウンウンと頷きながら、今度は以蔵に聞く。
「以蔵さんも脱藩したんだね。私が口を利いても良いが、どうする?」
キセルを口で遊びながら尋ねるが、以蔵は首を振り、
「私は全ての事と繋がりを絶ちたくて脱藩したんです」
「繋がりね…龍馬達と居るのにかい?」
以蔵は痛い所を突かれた。佐那と結ばれ、既に偉人たちとも面識がある中で、繋がりを絶つとは良く言えた物だ、と我ながら情けなくなる。
「うーん…まあ良いだろう。どちらにしても一旦私の元に来ると良いよ。それから先の事は、ゆっくり考えれば良い。そうだ、船に乗ってみるかい?」
「あるんかえ!乗る乗る!」
龍馬は子供のように喜んだが、それを制するように勝がなだめる。
「幕府の船だよ、そんなに簡単には乗せられないよ」
興醒めしたか、龍馬は溜息を吐いて座りこみ、ボソボソ呟いた。
「勝先生の船じゃ無かか…」
そんな龍馬を無視し、
「2.3日してまた来れば乗せてあげるさ。海に出ると、どれだけ小さいか分かるよ」
キセルで広げてある世界地図を指しながら、以蔵を見ながら勝は言った。




