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維新の剣  作者: 才谷草太
騒乱
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開戦 ~序章~

 慶応三年 十二月九日。

 徳川が新政府の中央に座る事を防ぐ為、薩摩藩が中心となり朝廷を掌握。幕府体制の廃止や摂政・関白の廃止等を含めた詔を発令した。事実上、徳川は政治から離され、その立場をも無くす事になる。


 世に言う「王政復古の大号令」である。


 更に慶喜の領地差し出し、官位返上(辞官納地)を行い、京での長州復権を成し遂げる。


 この事により、薩長の連携が今後の日本を大きく変える事となる。


 慶喜は配下の者の暴発を避ける為、京の二条城から大坂城へと移り住むが、そこで辞官納地を批判。


 薩摩藩はこの機に旧幕府勢力を制圧する事を目論み、江戸の町に火を放つ。そしてその報復として、幕府側は江戸にある薩摩藩邸を焼き討ちする。


 報復には報復を…。


 両勢力の戦への歩みは、最早止められる物では無くなった。



 慶応四年 一月三日。

 京の南に位置する鳥羽及び伏見において、旧幕府軍と新政府軍が戦闘に入る。


 新政府軍は、薩摩・長州を核に構成されており、翌一月四日には錦の御旗を掲げる事を許され、正式に薩長軍は官軍となった。後にこの戦に土佐藩も参戦。

 賊軍となった旧幕府軍を受け入れる根城が無くなり、敗走を始める。


 更に一月六日、総兵力で勝っていた物の不利な状況が続く旧幕府軍から、徳川慶喜が離脱。江戸へと退却したのだった。この事により、鳥羽・伏見で戦っていた者は敵味方関係無く、敵前逃亡を呆れ、戦闘の意義を失い終結。


 この間、各地で旧幕府軍と新政府軍が戦を開始するが、ことごとく新政府軍へと下って行く。


 更に二月、慶喜は江戸城から上野の寛永寺に移り、謹慎を始める。朝廷に敵意無し、と訴えたのだった。




 ここから、龍馬が避けたかった戦へと転じて行く。




 会津藩が、新政府に対抗しようとしたのだ。無論、そうなれば近藤・土方率いる新撰組も出兵せざるを得ない。


 戦いは、始まった。

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